ノアの手記|脱ぎ捨てた星屑のローブと、澄み渡る泉の夜
窓の隙間から、雨上がりの湿った土の匂いがふわりと入り込んできました。
夜の冷たい風が頬を撫でると、今日という一日がようやく終わったのだと実感します。
先ほどまで、図面を引くための魔法のコンパスの角度を、一ミリの狂いもなく並べることに全精力を注いでいました。
無事に完璧な配置を見つけて満足したのも束の間、立ち上がろうとして自分の長すぎるローブの裾を見事に踏み抜いてしまいました。
盛大な音を立てて転び、美しく並べたはずのコンパスたちは床に散乱して、私はそのまま冷たい石の床に突っ伏しています。
顔を上げると、部屋の中は「名もなき散らかり」で溢れていました。
椅子の背もたれには昨日から脱ぎっぱなしの星屑のローブがだらりと垂れ下がり、机の上には飲みかけの月露茶のカップが放置されています。
どれもほんの五分もあれば片付くものばかりなのに、視界に入るその乱雑な情報量だけで、もう指先ひとつ動かす気力が湧きません。
「もう無理……今日は、ここで寝ようかな……」
私はぽつりと呟き、完全にキャパオーバーを起こした頭を抱えて目を閉じました。
こんな夜は、外部の視覚ノイズをすべて遮断する、十五分間だけの結界が必要です。
私は床に倒れ込んだまま、最後の魔力を振り絞って小さな箱庭の建築を発動させました。
ぽわんと淡い光が弾け、部屋の中央に青く澄んだ泉が現れました。
すると、その清らかな水面から、透き通るような羽を持った小さな水の精霊がふわりと飛び出してきました。

精霊は床で伸びている私を見てやれやれと小さくため息をつくと、冷たくて気持ちの良い手で私の頭を優しく撫でてくれました。
そして、水しぶきを上げながら宙を舞い、散らばったコンパスや飲みかけのカップを、魔法の力で次々と本来の場所へ戻してくれます。
静かになった部屋に、三段になった石造りの噴水から、さらさらと水が流れ落ちる音だけが響き始めました。
泉の周りを囲む巨大なピンクや青の水晶が、ゆっくりと呼吸するように柔らかな光を放っています。
小さな木の橋の下を流れる澄んだ水面には、睡蓮の花が静かに浮かんでいました。
草むらに置かれた石の灯籠の温かい光と、水が跳ねる心地よいBGMに包まれていると、心の中に溜まっていた見えないノイズまでが、少しずつ洗い流されていくのが分かります。
ほんの15分、ただ水の音に耳を傾けるだけで、また明日も起きてみようかなと思えるから不思議です。
今日もお疲れ様。
どうか優しい夜を。
