小説【檻のベッド】(第11話) 『いくつかの明日』
「春澤さん」
頭上からの声に品出しの手を止め、顔を上げた。
「業務中にごめんなさい、ちょっと伺いたいことがありまして」
「あ、はい。なんでしょう?」
立ち上がって相手を見る。
100円ショップの店員としては場違いな、スーツを着ている。私と同じ20代か、もう少し上か。
黒縁メガネに、今風の横を刈り上げた短髪の男性は、新しく担当になったエリアマネージャーの方だった。
先週くらいに店長から紹介されたけど、ほとんど頭から抜けていた。名前も覚えてないや……。
「あくまで業務上の質問なんですが、突然失礼とは思いますが、ご結婚はされてますか?」
本当に唐突な問いだった。
私は少しだけ考えて、答えた。
「あー……はい」
「あ! そうでしたか、ちなみにお子さんはいらっしゃいますか?」
「……ええ、まあ、年少さんが、ひとり?」
「ああ、なるほど、手がかかる時期ですね。わかりました。急に申し訳ありませんでした」
私の答えに少し気落ちしたような様子で、エリアマネージャーは戻っていった。
それから1時間後、私は事務所で1人、休憩をとっていた。
足音が近づいてきて、ドアが開いた。
「あ……春澤さん」
またエリアマネージャー。
私は、お疲れ様です、と会釈した。
「お疲れ様です、あのですね」
少し言葉を選んでいる感じで続けた。
「先ほど店長から聞いたのですが、春澤さんは独身でアパート暮らしだと……」
「うん、まあ、そうですね」
「えっ? ど、どちらが本当のことなんでしょう? なんだかアンケートに答えられているような雰囲気なんですが」
私のテキトーな答えに対し、見事なまでに困惑している。
でも、怒ってはいないみたい。
「そういう未来もあったかな、って」
「へ?」
「ごめんなさい。質問されたときに、色々と浮かんでしまって。結婚してたり、子どもがいたり、大学生になってたり」
「ええと、何の話をされているのか……」
「独身で一人暮らしの春澤です。変わり者だと思ってください」
笑顔で言い切ると、エリアマネージャーはぽかんと口を開いていた。
次の言葉を待たず、
「そろそろ戻りますね。失礼します」
と、言って、事務所をあとにした。
バイトが終わり、帰宅した。
賃貸アパートの2階。角部屋。
高校を卒業してから初めての一人暮らしの場所。
気に入らなかったらすぐ引っ越せばいいやと考えていながら早、8年。
なんだかんだ近隣住民にも恵まれ、引っ越す理由もないまま今に至る。
ドアを開けて中に入る。
昼間の熱を残した、もわっという生ぬるさを最初に感じた。
夜はまだ涼しい5月後半ではあるが、昼間はしっかりと夏の始まりなのか。空調の効いたショッピングモールで働いていると、それがわからない。
部屋に入り、窓を開けて網戸にする。
浄化されるように嫌な空気が消えていく。
ベッドの出窓を見た。
カーテンが開いたままだった。
太陽光の熱を入れたのはこれだ。
「あーあ……」
出窓の向かい側にすぐ建物がないとはいえ、防犯上よろしくない外出をしてしまった。
レースカーテンくらい閉めておくべきだった。
せっかく一人暮らしを認めはじめた母の、
「そういうところよ!」
という顔と小言が浮かぶ。
ベッドに膝立ちして、カーテンを閉めた。
そのとき。
からん、と、出窓に置いてあった写真立てと、かつての相棒、クマのぬいぐるみのララ君が引っかかって、倒れた。
──あ、ごめん。
すぐに直した。
直しがてら、写真を見た。
そこに映るのは、8年前の私と、上田先生と、小児外科の看護師さん。
……懐かしいな。
思うのはそれくらいだった。
指先に、少しだけホコリがついた。
ララ君の毛色も、ピンクのリボンも、どことなくくすんでいた。
もう何年も洗ってないかもしれない。
次の休みの日に、掃除洗濯でもしようか。
うん……まあ、気が向いたら。
換気の窓を閉めて、シャワーに向かった。
シャワーから戻った。
スマホの通知ランプが点滅していた。
タオルを被ったまま、手に取る。
LINEが入っていた。
『八木店長』
私より6歳上の、アルバイトさんではあるが、店長を任されている方だ。
社員さん以下、バイトリーダー以上くらいの役職になるのかな? それか契約社員というやつ?
よくはわからないけど。
気さくでおおらかで、ちょっと抜けてる、話せるオンナ。私の嘘とは違い、正真正銘の主婦の方。
メッセージを開いた。
1行目から、え? となった。
たびたび、申し訳ありません。エリアマネージャーの楠木です。八木店長の許可をもらい、メッセージを送らせていただきます。今日の勤務中に、コンプライアンス違反にあたる質問をしてしまい、本社の方から厳しく指導、叱責されました。謝って許されることとは決して思いませんが、私の本心としては、春澤さんの仕事ぶりをここ1週間の中で拝見し、是非とも副店長になっていただけないかと言う思いから、勤務時間の都合を伺いたくプライベートに関する詮索をしてしまいました。本当に失礼なことを口走ってしまい、心より謝罪させていただきます。今後、春澤さんの気分を害すことは一切いたしません。アルバイトの方をどうか継続していただけたらと、勝手ながらお願いするばかりです。
目で追っただけだが読み終えて、私は思った。
なっっが!!
それと、
楠木さんって名前なのか。
という発見のみ。
早速、返事を書いた。
気にしてないです。体力ないので副店長やりません。バイトまだ辞めません。
コンプライアンスか。
なんだか難しい世の中だ。
病院内の決まり事しか気にしてなかったけど、
『普通』は『普通』で大変なんだな……。
……それにしても、八木店長のスマホからこれを送信したってことは、相談したのかな。
「エリマネ、やっちゃいましたね。春澤さん、怖くて泣いてるかもしれないですよ! すぐに謝らないと! スマホ貸すから、ほら早く!」
とか、あの人なら楽しんで焚きつけたのかも。
次のバイトは3日後。
八木店長、あんまり楠木さんを脅かさないでほしいけど。
さて、
それより明日は外来の通院日。
物心がついてから、変わらないスケジュール。
『忘れないでね。あなたは、こっち側』
と、頭の中でもう一人の私が釘を刺す。
だからといって、感情は揺れない。
淡々と、義務感で動くだけ。
私は未だ、行ったり来たり。
点と点を、行ったり来たり。
とても線では結べない。
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