ニュースは娯楽。理解は労働。
ニュースを「理解しなきゃいけないもの」だと思うから、話がこじれる。
正確にはこうだ。
ニュースは娯楽で、理解は労働。
この二つは、まったく別物だ。
ニュースは気軽に消費できる。
スマホを開いて、見出しを読んで、数分で感情を動かす。
怒ったり、安心したり、誰かを叩いたりして、スッキリする。
これはもう完全に娯楽だ。
一方で、理解は違う。
時間がかかるし、頭も使うし、前提知識も要る。
自分の知らなさと向き合わされるし、
「簡単に結論が出ない」という不快さも引き受けなきゃいけない。
つまり理解は、労働だ。
ニュースを読んで「わかった気になる」人が多いのは、
理解したいからじゃない。
気持ちよくなりたいだけだ。
自分は正しい側にいる。
自分は常識人だ。
自分は騙されない。
そう確認するためにニュースを消費する。
それは理解とは関係がない。
特に、他業種・他分野の話になると、このズレは顕著になる。
業界の構造も、
インセンティブも、
現場の空気も知らないまま、
「あるべき論」だけが飛び交う。
でも本当は、
中にいないとわからないことだらけだ。
それを「説明しろ」「納得させろ」と言われても、
理解する気がない相手に説明するのは、
労働ではなく消耗になる。
だから私はこう思う。
ニュースを娯楽として楽しむのは、悪くない。
怒ってもいいし、笑ってもいい。
ただし、理解したつもりになるのはやめた方がいい。
理解はタダじゃない。
時間と労力と謙虚さが要る。
その覚悟がないなら、
「これは娯楽だ」と割り切った方が健全だ。
ニュースは娯楽。
理解は労働。
この線引きができるだけで、
世の中はもう少し静かになるし、
自分もずっと楽になる。
理解する人が減っても構わない。
でも、わかった気になる人が減れば、
それで十分だと思っている。
©️雑談文学

