論理の皮をかぶった非論理──ショートスリーパーから健康情報まで
「論理的に話せば正しい」と思う人は意外と多いかもしれません。
でも実際には、どんな論理展開にも必ず“前提条件”があります。
その前提を見失った瞬間、論理はあっという間に見かけ倒しの言葉になってしまいます。
一見きれいに見える論理構造や、耳障りのいい言葉でも、実際にはほんの一部分の事象を全体にすり替えている場合があります。
その危うさは、思い込みや誤解を生むだけでなく、生き方にまで影響を与えてしまうこともあるのです。
今日は、その論理構造を身近な話題から見ていきたいと思います。
あるショートスリーパーの話──前提をすり抜ける“風鈴ロジック”の罠
とあるショートスリーパーの方がインタビューで言っていました。
「睡眠は健康に悪い」と。
なぜなら──
「体温は高いのと低いのはどちらが健康的ですか?高い方ですね。
なぜなら体温が高い方が免疫力が高いからです。
睡眠中は体温が下がりますよね。だから睡眠は免疫力を下げるんです。だから睡眠は健康に悪いのです」
これは、この方の発言の論理構造をまとめたものですが、言い換えると、次のような2つのいわゆる実践的三段論法のような論理構造になっていると考えられます。
「体温が下がると免疫力が下がる
睡眠は体温が下がる
よって睡眠は免疫力が下がる」
「免疫力が下がることは健康に悪い
睡眠は免疫力が下がる
よって睡眠は健康に悪い」
一見すると筋道があるように見えますが、よく考えてみると、論理の隙間はあちこちに潜んでいます。
まず、「体温が高い方が免疫力が高い」という話は確かに医学研究でも見かけます。
ただし、その人の体温の変動が、そのまま免疫力を決めているとは限りません。免疫には様々な要素が絡んでいます。一部の事象だけを取り上げて免疫力全体を論じることはできないのです。
次に、「免疫力が下がると健康に悪い」という話も、もっともらしく響きます。
しかし、免疫力だけが健康を決めるわけではありません。ホルモンバランス、神経系、代謝の働き……多層的な要素が絡んで、私たちの健康は成り立っています。
さらに言えば、免疫力が高いこと自体も、健康を意味するとは限らないのです。
こうしてみると、ショートスリーパーの主張は三段論法のような形をとっていますが、実際にはこの前に前提条件として論じなければならないことが沢山あるのです。
1つの事象を取り上げて事実であるかのように結びつける──これは、経営コンサルタントの後正武さんが名付けた“風鈴ロジック”という手法です。
ひとつの音の揺れを見て、まるで全体の風を知ったかのように錯覚する、そんな論理の飛躍を指す言葉です。
健康食品の話──巷に溢れる“風鈴ロジック”
「この成分が健康にいい」と聞くと、私たちはつい期待してしまいます。
実際、健康食品の広告やSNSでは、次のような話をよく目にします。
「コラーゲンは肌にいい。だからコラーゲンドリンクを飲めば美肌になれる」
「オメガ3は認知症や脳卒中を予防する。だからオメガ3サプリをとれば若返る」
「ポリフェノールは抗酸化作用がある。だから赤ワインを飲めば長生きできる」
一見、筋が通っているようにも見えますが、よく考えてみると「ある成分がいい」という話は、その成分の一部の機能を示しているにすぎません。
実際の食品やサプリの体内での働きは、取り入れる条件や量に大きく左右されます。
にもかかわらず、
「ある成分は健康にいい」
「その成分がAに入っている」
「だからAは健康にいい」
というロジックが、まるで三段論法のように繰り返されています。
「〜が健康に悪い」とされる情報も、同じ構造をしていることがほとんどです。
音が鳴った瞬間に、風のすべてを決めてしまう──それが、風鈴ロジックの怖さです。
論理の体裁をした飛躍
ここまでの話を読んで、どのように感じたでしょうか?
ここからは、もっと分かりやすい例を考えてみます。
次のような話を聞いて、どう思われますか?
「汗をかくことは健康的だ
サウナに入ると汗をかく
だからサウナに入ることは健康的だ」
その通りだと思いますか?では次はどうでしょう?
「汗をかくことは健康的だ
カレーを食べると汗をかく
だからカレーを食べることは健康的だ」
少しおかしい気がします。次はどうでしょうか?
「汗をかくことは健康的だ
緊張すると汗をかく
だから緊張することは健康的だ」
最後の例は直感的にもおかしいと感じると思います。
こうした“おかしな論理の飛躍”と同じ構造が、実は私たちの日常にあふれているのです。
健康情報、ライフハック、自己啓発の言葉......どれも論理構造のような形を借りながら、その前提や条件の違いを曖昧にしたまま「正しさ」を語ろうとします。
一見するともっともらしく、言葉巧みで説得力を持っています。
だからこそ見抜くのが難しいし、思わず「そうかもしれない」と信じてしまうのです。
どんなに立派な人が言っていても、論理的に見えても、その下に「どんな前提が隠れているのか?」を問い直す目を持つこと、それが、論理的思考の始まりなのです。
