見出し画像

結果が出る前に心を折らない小さな支え方:反応のない日に、次の一歩を残すために

投稿した記事を出した後、しばらくしてから画面を開くことがあります。

「少しは読まれただろうか」

そう思って数字を見る。
けれど、思ったほど変わっていない。

頭では、すぐに結果が出るものではないとわかっています。
それでも、何度か画面を開いてしまう。
通知が増えていないか。誰かが読んでくれていないか。
自分でも少しおかしいと思いながら、確認してしまうのです。

書いたばかりの記事が、何の返事もなくそこに置かれているように見える時があります。

そんな時、書くことをやめたいわけではありません。
まだ書きたいことはある。
伝えたいこともある。
ただ、続ける力が少し弱くなる。

結果が出ない時に苦しいのは、努力そのものより、次に何を支えにすればよいかわからなくなることだと思います。

数字が伸びれば、気持ちはわかりやすい。
読まれた、届いた、もう少し書こうと思える。
けれど、反応が薄い日は、その支えが急になくなったように感じる。

そこで「もっと頑張らなければ」と自分を急かすと、かえって息が詰まります。

書き続けるためには、結果とは別のところに、小さな足場を持っておいた方がよいのかもしれません。

私の場合、投稿した後に数字ばかり見ていると、書いた文章まで悪く見えてきます。
昨日まで「これは大切なことを書けた」と思っていたのに、反応が少ないだけで、「やはり伝わらなかったのか」と考えてしまう。

けれど、数字を見ないで翌日に読み返すと、印象が少し変わることがあります。

ここは自分らしい言葉だった。
この一段落は、もう少し読者の近くから始めた方がよかった。
題名は悪くなかったが、入口が少し遠かったかもしれない。

そうやって読むと、記事は「成功か失敗か」ではなくなります。
次に書くための材料になります。

その違いは大きいと思います。

結果が出ない時、私たちはすぐに答えを急ぎます。
続けるべきか。やめるべきか。
自分には力があるのか。ないのか。

けれど、反応が少なかった一日だけで、そこまで決めなくてよいのではないでしょうか。

書いた文章には、書いた時の自分が残っています。
考えていたこと、迷っていたこと、誰かに渡したかったもの。
それは、すぐ数字にならなくても消えません。

だから投稿した後は、少し離れることも必要です。

画面を閉じる。
お茶を飲む。
机の上を片づける。
外へ出て、少し歩く。

何か特別なことをする必要はありません。
ただ、書いた文章から目を離す時間を持つ。

種をまいた直後に、芽が出ているか気になって何度も土を触れば、かえって落ち着かない。
文章も少し似ている気がします。

書き手ができるのは、書くところまでです。
どう読まれるか、いつ誰に届くかは、もう自分だけでは決められない。

そこまで抱え込むと、書くことが苦しくなります。

もちろん、読まれたい気持ちはあります。
反応がほしいと思う。
読者を増やしたいと思う。
それは自然なことです。

ただ、反応が少ない日に、自分の中まで空っぽにしないためには、数字以外のものも残しておく必要があります。

今日は一本書いた。
途中で投げ出さなかった。
自分が本当に言いたかったことに、少し近づけた。

その程度のことでも、次へ戻る足場になります。

仕事でも同じかもしれません。

一生懸命やったのに、すぐには認められない。
誰かの役に立ったはずなのに、言葉は返ってこない。
そんな日が続くと、自分のしていることが見えなくなります。

けれど、だからといって、その日までの努力が消えるわけではない。

結果が見えない時期には、力をためているというより、続ける理由を確かめている時間があるのだと思います。

私は、数字が伸びなかった記事を見て落ち込むことがあります。
それでも、しばらくすると次に書きたいことが浮かんでくる。

それがあるうちは、まだ書けるのだと思います。

結果が出る前に心を折らないとは、いつも前向きでいることではありません。

反応のない日にも、翌日また机に向かえることです。
少し疲れていても、次の言葉を探す気持ちを手放さないことです。

今日は、画面を閉じてもいい。

けれど、書く場所まで閉じなくていい。

いいなと思ったら応援しよう!