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【悩み】悩みをうまく言葉にできない時人はなぜ苦しくなるのか

「どうしたの。何かあった?」

そう聞かれても、うまく答えられないことがあります。

何か大きな出来事があったわけではない。
仕事も、家のことも、表向きはいつも通りに進んでいる。
それでも、朝から胸のあたりが重い。人と話している時も、どこか気持ちが置いていかれているような感じがする。

けれど、理由を聞かれると困ってしまう。

「別に何でもない」

そう答えてしまったあとで、本当は何でもなくはない、と自分で思う。
ただ、何がつらいのかを、まだ自分でもつかまえられていないのです。

悩みが言葉にならない時、人は二つのものを抱えることになります。

一つは、もともとの苦しさです。
もう一つは、「こんなことで苦しい自分はおかしいのではないか」という戸惑いです。

この二つ目が加わると、気持ちはますます行き場を失います。

たとえば、人間関係で疲れている時がそうです。

相手が明らかに意地悪をしたわけではない。
でも、会った後はいつもぐったりする。話している間、自分でも気づかないうちに相手の顔色を見ている。言いたいことがあっても、その場の空気を考えて飲み込んでしまう。

「あの人が嫌い」と言い切れるほど単純ではない。
だから誰かに話しても、何をどう説明すればよいのかわからない。

けれど、帰宅して一人になると、肩に力が入っていたことに気づく。

こういう疲れは、出来事としては小さく見えるかもしれません。
しかし心の中では、何度も同じことが起きている。

相手の言葉を気にする。
次に会う場面を先回りして考える。
自分の言い方が悪かったのではないかと振り返る。

それが積もれば、理由のわからない重さになります。

悩みは、最初からきれいな文章で現れるわけではありません。

「私は職場の人間関係で消耗している」
「私は将来のお金が不安で眠れない」
「私は家族に本音を言えず、孤独を感じている」

そんなふうに整理できるのは、少し時間がたってからです。

最初にあるのは、もっと曖昧なものです。
食事をしていても味がよくわからない。
何もしていないのに疲れている。
スマホを見続けてしまう。
夜になると、急に先のことが怖くなる。

その曖昧さを、すぐに「気のせい」と片づけてしまうと、悩みは見えない場所に残ります。

私は、悩みは「解決するもの」である前に、「見つけるもの」なのだと思います。

見つけずに解決しようとすると、間違った場所を直そうとしてしまうからです。

本当は人間関係に疲れているのに、「自分の気合いが足りない」と思って頑張りすぎる。
本当は休む場所がないのに、「もっと予定を入れれば気がまぎれる」と自分を忙しくする。
本当は誰かに話したいのに、「こんなことを相談しても仕方がない」と黙ってしまう。

それでは、苦しさの根に届きません。

悩みを見つけるというのは、立派な分析をすることではありません。
自分の中で何が起きているのかを、少しずつ確かめることです。

「最近、朝が重い」
「この人と会った後だけ、妙に疲れる」
「数字を見ると、自分まで否定されたような気がする」

そこまで言えれば、もう十分に入口に立っています。

悩みの輪郭が見え始めると、すぐに解決できなくても、向かう方向は少し変わります。

人間関係が重いのなら、相手を変えようとする前に、会った後の自分を休ませる時間が必要かもしれない。
将来が不安なら、人生全部の答えを出す前に、今月のお金や今日の予定を見直した方がよいかもしれない。
心が疲れているなら、「もっと頑張る」より先に、何に気を張り続けているのかを知る方が先かもしれない。

悩みを見つけることは、自分を甘やかすことではありません。

むしろ、自分を雑に扱わないための作業です。

言葉にならない苦しさを抱えていると、周りからは元気に見えることがあります。
本人も普通に働き、普通に返事をし、普通に一日を終える。

それでも、どこかに小さな無理が残っている。

ある晩、台所で湯を沸かしている時に、ふと手が止まる。
何がつらいのかは、まだはっきりしない。
ただ、「最近、私はずっと気を張っていたのかもしれない」と思う。

その一瞬は、問題が解決した瞬間ではありません。

けれど、自分の苦しさを見失わずにすんだ瞬間です。

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