見出し画像

何もしていないのに疲れる人へ:一日の始まりを少しだけ取り戻す

私自身、よくあるのです。

昨日、特別に疲れることをしたわけではない。
遠くまで出かけたわけでもない。
夜更かしをしたわけでもない。
むしろ、ぐっすり眠れたはずなのに、翌朝起きた時に、体の奥にだるさが残っている。

布団の中で目は覚めている。
けれど、気持ちが起きてこない。

「ああ、今日は少し重いな」

そう感じた途端に、一日の始まりに水を差されたような気分になることがあります。

本当は、朝は気持ちよく始めたい。
せめて一日の始まりくらい、軽い気持ちでいたい。
けれど実際には、起きた瞬間から心が少し曇っている日がある。

何もしていないのに疲れている。
よく眠ったはずなのに、気持ちが乗ってこない。

こういう朝は、意外に多くの人にあるのではないでしょうか。

以前の私は、そういう朝を少し責めるように受け止めていました。

年のせいだろうか。
気力が落ちたのだろうか。
自分が怠けているのだろうか。
もっと前向きでなければいけないのではないか。

けれど最近は、少し違う見方をするようになりました。

これは単に、体が疲れているだけではない。
心の入口が、朝から少し乱れているのかもしれない。

朝というのは、一日の入口です。

家にも玄関があるように、心にも入口があります。
その入口が乱れていると、まだ何も始まっていないのに、もう疲れたような気分になる。

たとえば、目が覚めてすぐにスマホを見る。
ニュースを見る。
メールを見る。
誰かの投稿を見る。
昨日の続きを、そのまま今日に持ち込んでしまう。

ほんの数分のことです。
けれど、その数分で心は一気に外へ連れて行かれます。

まだ顔も洗っていない。
まだ水も飲んでいない。
まだ自分の体調も確かめていない。

それなのに、誰かの言葉や世の中のざわつきだけが先に入ってくる。

これでは、朝から疲れても不思議ではありません。

ただ、朝のだるさは、スマホだけで説明できるものでもない気がします。

スマホを見なくても、気持ちが重い朝はある。
何か嫌な予定があるわけでもないのに、胸のあたりに薄い重さが残っている日がある。

そういう時は、前の日の疲れがそのまま残っているというより、心の奥で小さな音が鳴り続けているような感じがします。

はっきりした不安ではありません。
誰かに説明できるほどの悩みでもありません。
けれど、まったく何もないわけではない。

生活のこと。
人との関わり。
これから先のこと。
うまく言葉にならない気がかり。

そうしたものが、眠っている間にも完全には消えず、朝になってもまだ、胸のどこかで小さく鳴っている。

大きな音なら、原因がわかります。
大きな出来事なら、人にも話せます。
けれど、小さな音は説明しにくい。

説明しにくいから、自分でも軽く扱ってしまう。

「このくらいで疲れるなんて」
「別に大したことはしていないのに」
「もっと元気に始めなければ」

そう思ってしまう。

でも、小さな音ほど、長く続くと疲れます。

人は、大きな出来事だけで疲れるわけではありません。
小さな気がかりを、毎日少しずつ抱え続けることでも疲れます。

誰にも言わない気遣い。
先回りしてしまう心配。
はっきり形にならない不安。
何となく落ち着かない感じ。

そういうものは、表には出にくい。
だから人からは見えません。
自分でも、疲れている理由がよくわからない。

けれど、心は確かに働いているのです。

比べている。
気にしている。
考えている。
受け止めている。
無意識のうちに、次のことに備えようとしている。

体は眠っていた。
でも、心は完全には休めていなかった。

朝のだるさには、そういう疲れも混じっているのかもしれません。

では、どうすればよいのでしょうか。

私は、大きな解決策を並べるより、まず一つだけでいいと思っています。

朝の最初の五分を、外の世界に渡さないこと。

これだけです。

朝起きてすぐに、スマホを見ない。
ニュースを見ない。
メールを見ない。
誰かの言葉を浴びない。
今日やるべきことを、いきなり全部考えない。

そのかわりに、まず自分に戻る。

布団の中で、ゆっくり息を吐く。
起き上がって、水を一杯飲む。
窓を少し開ける。
外の空気を入れる。
顔を洗う。
空を見る。

これで人生が変わる、などとは言いません。

けれど、朝の五分を自分の側に取り戻すだけで、一日の始まり方は少し変わります。

朝は、まだ心が柔らかい時間です。
そこへいきなり心配事を投げ込まない。
まだ弱い火に、強い風を当てない。

まず、小さく火を守る。
今日の自分の中に、静かな温度を戻す。

そのくらいの感覚でよいのだと思います。

何かしていないと落ち着かない人ほど、本当は何もしない時間が必要です。
けれど、いきなり長い休みを取ろうとすると、かえって不安になります。

だから、五分でいい。
五分が長ければ、一分でもいい。

朝、スマホを見る前に一度息を吐く。
今日の予定を見る前に、足の裏を床につける。
人の言葉を読む前に、自分の体の重さを感じる。

それは、怠けることではありません。
逃げることでもありません。

自分を雑に始めないための、小さな支度です。

一日は、始まり方で少し変わります。

朝から焦って始めると、心はそのまま一日を走り出してしまう。
朝から不安を入れると、何でもない出来事まで重く感じやすい。

反対に、朝の入口を少しだけ静かにしておくと、同じ一日でも受け止め方が少し変わる。

もちろん、それだけで問題が消えるわけではありません。
暮らしの心配も、人間関係の重さも、体調の波も、すぐにはなくならない。

それでも、朝一番に全部を背負わなくていい。

朝はまず、自分を起こす。
人生全体ではなく、今日の呼吸に戻る。
先の不安ではなく、今ここにいる自分を確かめる。

それだけでいいのです。

私たちは、つい一日を「やるべきこと」から始めてしまいます。
けれど、心が疲れている時は、「やるべきこと」より前に、「戻る場所」が必要です。

その場所は、大きなものでなくていい。

窓のそばでもいい。
台所の水でもいい。
洗面所の鏡でもいい。
湯のみ一杯のお茶でもいい。
朝の空でもいい。

そこに一度、自分を置く。

それから、一日を始める。

何もしていないのに疲れる朝。
ぐっすり眠ったはずなのに、気持ちが乗らない朝。
起きた瞬間から、だるさが胸のあたりに残っている朝。

そういう日は、誰にでもあります。

だから、そんな自分を責めなくていい。

ただ、朝の入口だけは、少し丁寧に扱ってみる。

疲れた時代を生きる私たちは、もっと頑張る前に、朝の入口を取り戻した方がいい。

一日は、自分の呼吸から始めていい。

いいなと思ったら応援しよう!