ハートセンターによるマカバ瞑想~自己救済としての自己内対話 その2 後編
このシリーズも四回目となりました。自己救済というテーマ。そのアプローチとして、自己内対話の可能性を考えたとき、果たしてどうなのか、という問題意識が根底にありました。
前回のディレクターズコメントでは、伊波氏から過分な評価をいただけて書いた甲斐があったと有り難く感じられたことでしたが、ここで手綱を緩めるわけにはまいりません。さらに駒を進めてまいりたいと思うので、思索と探究好きな方は今しばらくお付き合いください。
ところで、2本前の「その1」後編の記事の終りでは、「檸檬は外的な装置なのか」という問いかけをしました。
もしそうであるなら、悩める人間は外部に「依存」してしまうことになります。
「ガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」檸檬が、丸善の埃っぽい空気をも変えてしまうほど不調和な波動を調和させる力をもっているのだとしたら、私はそれはそもそも置いた人の心の「波動」が、檸檬に「転写」されて起きているともいえるのではないか、と思ったのです。
なんなら、作中の「私」の心に「自分を幸福にしてくれたこの檸檬が、他のより多くの悩める人たちや病める人たちの役にも立ってほしい」という願いをもって、そっと置かれたというふうに書き換えたなら、「救済範囲」を本人だけでなく、多数の人々へと拡大させたって辻褄が合うんじゃないか。もちろん、梶井基次郎がそうしたかったわけではないでしょうけれど。
じつは、梶井基次郎の『檸檬』を何十年ぶりかで再読する前に、近頃気になって再読していた本があります。

舞台は主として1990年代のアメリカ合衆国ですが、当時は大気汚染問題が深刻化していました。
スピリチュアルな分野で探究を重ねてきた著者であるドランヴァロ・メルキゼデクは、環境問題に取り組む天才発明家と引き合わされます。そのあとの展開を見れば、この出会いは誰の眼にも運命的と映ることでしょう。彼はR-2と称する装置を使用した大気の浄化実験に参加することになります。
どうやって行うか。簡単に説明します。排気ガスなどで汚染され、明らかに空気の色が赤茶け、悪臭の感じ取れる空気をきれいにするには、雨を降らす必要があります。それをこの装置が可能にするのです。
まず雨雲が稲妻を発生させる直前にその波形をとらえ、コンピューター・チップに取りこんでおきます。そしてこの波形が、銅製コイル(特殊な磁場をつくる巻き方であると考えられます)から成るR-2のスピーカーシステムに埋めこまれたハーモナイザーと称するコイルをつうじ、高度56㌔の上空に送られます。
たぶん「音」波を、送るのかなと想像しますが、その波形はトロイド型(ドーナツ状)に膨張し、そのフィールドで町全体を覆います。それから重力波に作用して上空より大気の汚染を浄化するという仕組みです。
わかりやすくいえば、人工的に雨雲をつくり雨を降らす。それによって、有害な炭化水素が、酸素と水蒸気に分解して無害化され、大気が浄化されることになります。
この装置でもチューニングがずれるときがあり、その場合は、人間がダイヤルのつまみを調整してやると、再び効果が現れます。これをドランヴァロ氏は試みさせられるのです。
しかも興味深いことには、本人の勘に頼るやり方で、まず「瞑想」に入ってから行うのです。
この体験は、後に彼が或る重大な発見をすることになる端緒を開くことになります。
チームが当初デンバーで行った実験はみごとな成果をおさめます。もっとも、市の環境保護局は空気がきれいになったのを、自分たちの手柄にしてしまいますが。
ただし、研究プロジェクトに協力的だった米空軍の検証実績もあり、その後アリゾナ州フェニックス市でもR-2を設置させてもらい、設置期間中は大気が浄化され、やめると戻るということも実証されます。
再現性を実証できたということは、科学的に証明されたことになります。しかし、なぜか市はこの事実を認めようとしません。
その後、ドランヴァロ氏は、装置を譲り受け、自由に独自な実験を行うことが可能になります。
さらに彼は人間の意識と装置のつくりだすフィールド(エネルギーの電磁場といってもいいでしょう)との相互関連性に気づきます。
そして彼はずっと考えてきたことを実行に移します。
それは、人間の光の体(ライトボディ)である「マカバ」と称せられるもののイメージを物理的につくりだしたのがR-2ではないかとの仮定のもと、もしR-2にある地域の大気を変えることができるなら、マカバを知っている人間にも同じことができるのではないかと考え、これを証明するための実験を行うことでした。

結果は、オーストラリアでも、メキシコシティでも、イギリスでも例外なく成功でした。
瞑想に入ると、15分くらいで雲が集まり、何ヵ月も雨が降らない地域に雨が降り、大気が浄化されました。
太陽が何ヵ月にもわたり照ったことのないイギリスの湿原地帯では、霧に覆われた草原で、55人の人々とサークルになって瞑想に入り、15分くらいでポッカリと霧の壁の上に窓があいたように青空が見え、あるいは昼間なのに月が出て、星が輝き、周囲では鳥の鳴き声が聞こえ、動物たちが寄って来るなど、信じられないようなことが起きます。そして、瞑想をやめると、また元通りにもどってしまうのです。
私の中でこの話と梶井基次郎の『檸檬』のことが結びついたのは、ご想像に難くないことと思われます。
レモンは紡錘形です。マカバフィールドは、トロイド型すなわちドーナツ状であり、円環体(トーラス)とも呼ばれる、ハートを中心としたエネルギー場です。このふたつは似ていると思いました。
そして、神聖幾何学と呼ばれる正四面体をはじめとする図形がハートの中に入れ子構造のように幾重にも折りたたまれているというイメージが『檸檬』のイメージと重なりました。
梶井の檸檬は彼自身の心象風景が具現化したもので、もともと内在化していた「ハーモニー」が、波動転写されたのが檸檬であり、果物店で見つけた檸檬の明るい色調や心地よい形状が、彼の眠れる力を引き出して、それがさらに檸檬として外在化し、檸檬のもつ力と共振し、増幅されていったのではないか、と考えたのです。
本当の力はハートの内奥(ないおう)深くに蔵されているのではないか。ドランヴァロ氏はさらに具体的に「心臓」につなげて解説しています。心臓には手術中そこに触れたら死んでしまう大事な場所があるのを心臓血管外科医は知っているそうです。
いかがでしょうか。
マカバフィールドの位置と形状から、梶井基次郎の檸檬イメージのハートセンターの潜在力と檸檬の秘め持つ可能性が連想されたのは、けっして偶然ではない気がしませんか。
(文責: 言海 調)

「檸檬」の話、まだまだ続きましたね^^
悩める人間は外部に依存することになるということですが、
悩める人間の外的装置としての「檸檬」と、内的装置である「心の沼」を行ったり来たりすればいいのではないでしょうか。
行ったり来たりする間に、時機が来て想念は変転するかもしれません。
檸檬が「救済範囲」を多数の人々へと拡大させていくというくだりはたいへん興味深いですね。
梶井基次郎は、そんな解釈もできるのかと、あっちでうなづいているかもしれませんね^^
ここで述べられていることも一種の対話だと思います。
波動を転写した対象物を通して、仕掛けた側と受け取った側の対話です。
この対話は重要で、仕掛けた側が受け取る側の救済を願う思いについて、
双方の直接対面の対話はありませんが、仕掛けた側が、受け取る側のことを思い、想像することを通じて、仕掛けた側は自分自身への気づきがあるかもしれないのです。
以前お話した、僕がカフェなどで鶴を折って、そこのテーブルの上に置いてくるというのも同様で、受け取る側がどんなことを思うのかを想像することで、僕自身もいろんなことに気付くことがあるのです。なんて^^
次に記していたドランヴァロ・メルキゼデク氏のお話はたいへん興味深いですね。
大気汚染が「人ー悪魔エレメンタル」を具現化してしまったものだとすると、
それを救った一連のR-2による実験は「人ー天使エレメンタル」を具現化したものだと言えるのではないしょうか。
最後のマカバフィールドと檸檬とハートの関係性に言及した言海さんの洞察力は見事でしたね〜。
感服いたしました。
皆さんも「檸檬」のみならず、自分が気になる作品を読んで、ぜひ、いろんな解釈を駆使した想像力の世界へ散歩してみてはいかがでしょう。
ではまた。
(伊波 達也)
