「できて当たり前」が見えなくしたもの | 施設での気づき10
厨房職員の離職が続いていた時期があった。
人間関係の不和から現場の空気は重く、新人は定着せず、ベテランも次々と辞めていった。
毎月のように「仲良くしましょう」というミーティングが開かれていたが、離職は止まらなかった。
そんな頃、副主任として一人の管理栄養士が異動してきた。
翌月には勤務表の並び順が変わった。
それまでは栄養士から始まっていた名前の並びが、長年勤めている調理員から始まるようになっていた。栄養士は最後、副主任である彼女は一番下だった。
その並びに意図があったのかは分からない。
けれど私は、そこに現場への敬意のようなものを感じた。
それ以外に何があったのかは分からないが、気がつくと厨房から辞める人がいなくなっていた。
採用にはコストがかかる。
求人を出し、面接をし、教育を行い、その間は現場も負担を背負う。
それでも短期間で辞められてしまえば、そのコストは回収できない。
だからこそ、「離職が止まった」という事実には大きな意味があると思っていた。
私は密かに、その副主任を評価していた。
ところが、そのことは話題にもならなかった。
あるとき上司に「彼女が来てから厨房は平和そうですよね」と話してみた。
しかし、返ってきた反応は期待したものではなかった。
彼女は日々の業務ではミスが目立ち、あまり評価されていないようだった。
少し残念に思った。
先日、その副主任が上司から職員の勤務時間について注意を受けている場面に居合わせた。
少し興奮した様子で話しかけてきた彼女に、私は以前から思っていたことを伝えた。現場の職員を大切にされていますよね、と。
副主任は、
「見てくれていた人がいて嬉しい」
と涙ぐんでいた。話し終える頃には、笑顔になっていた。
その出来事のあと、不意に家庭での出来事を思い出した。
上の子はうっかりミスが多い。
私は、どうしてもできていないところに目が向いてしまう。
ある日、子どもから言われた。
「ミスばかり責めないで、できている日は褒めてほしい」
私はそのとき、
「できて当たり前のことを褒めるのは違うでしょう」
そう答えた。
しかし、厨房で起きていたことも、同じだったのではないかと気がついた。
問題が起きれば、誰の目にも留まる。ミスがあれば評価は下がる。
けれど、問題が起きない状態は、ほとんど意識されない。
毎日、何事もなく1日が終わる。それらは「当たり前」として扱われる。
成果とは、何かを大きく変えたときだけ生まれるものではない。
「何も起きない」ということは、目立たない。けれど、それもまた一つの成果なのだと思う。
