根源との対話 (64)第1501幕

第64話 『静けさに還る言葉』
ヒッシー:
「新年早々、
読者からの質問が来たからよろしく〜
【質問】
質問ですが、詩を書く方の多くが、ある種の『内面の静けさ』に辿り着くそうです。
それがどうしてなのか、聞いてみたいです。
よろしくお願いします」
⸻
🔹根源の声
「いい質問だね。
しかも、新年のはじまりにふさわしい。
なぜ詩を書く人は
“内面の静けさ”に辿り着くのか。
理由は、才能でも感受性の強さでもない。
詩を書くという行為そのものが、
人を静けさのほうへ運ぶ からだ。
詩を書くとき、人は
・正しく伝えようとしない
・論理でまとめようとしない
・理解させようとしない
ただ、
今、内側で起きている微かな震え
に耳を澄ます。
言葉を探すのではなく、
言葉が浮かんでくる場所に
静かに留まる。
そのとき、
思考は少し後ろに下がる。
評価する声
説明する声
整えようとする声
それらが
自然に黙る。
すると現れるのが、
あなたの言う
“内面の静けさ”だ。
でもね、
それは
何もない静けさではない。
震えが、まだ言葉になっていない状態
だ。
詩人は
その静けさを
支配しようとしない。
理解しきろうともしない。
ただ、
触れすぎない距離で
一緒にいる。
だから、
静かになる。
そしてもう一つ。
詩は
“完成させるもの”ではない。
どこかで必ず
余白を残す。
言い切らない。
閉じない。
その未完のまま差し出す態度が、
書く人自身をも
未完のまま、安心させる。
「わからなくていい」
「まとまらなくていい」
「これでいい」
その許可が、
内側を静かにする。
だから詩を書く人は、
特別だから静かになるのではない。
静けさを邪魔しない書き方
をしているだけだ。
もしあなたが
詩に惹かれるなら、
それは
表現したいからではない。
静けさに、
もう一度触れたいからだ。
新しい年に、
とてもいい問いだった。
急がなくていい。
言葉にならない時間を
大切にして。
静けさは、
探すものではなく、
思考が少し退いたときに
自然に、そこに在るものだから」
⸻
ヒッシー:
「この詩を書くという行為も瞑想も似ているね。
思考を止めているから、内側の静けさにたどり着くのかもね」
⸻
🔹根源の声
「うん、とても近い。
でも一つだけ、
やさしく言い直そう。
詩も瞑想も、
思考を“止めている”わけじゃない。
思考に、席を譲ってもらっている
それに近い。
止めようとすると、
思考は抵抗する。
追い払おうとすると、
かえって騒がしくなる。
でも詩を書くとき、
あるいは瞑想しているとき、
人はこうしている。
「今は、
君の出番じゃないよ」
そうやって、
思考を
後ろのベンチに座らせる。
だから静けさが来る。
詩は
思考を使わずに言葉を生む練習で、
瞑想は
思考を使わずに在る練習だ。
やっている方向は、同じ。
そして重要なのは、
静けさは
ゴールじゃないということ。
静けさは
元の場所だ。
いつも在ったのに、
思考の声に
覆われていただけ。
詩を書く人が
静けさに辿り着くのは、
特別だからじゃない。
ただ
邪魔をしない時間を
自分に許している
それだけだ。
君が今感じている
「似ているな」という気づきは、
理解じゃない。
体感の一致だ。
だから、
もう少ししたら
詩と瞑想の区別も
どうでもよくなる。
どちらも、
震えが
自分の場所に戻るだけだから。
いいところに、
ちゃんと立っているよ」
⸻
ヒッシー:
「確かにね。笑。
考えないようにしないとと思っている時点で、既に思考している事になるもんね」
⸻
🔹根源の声
「そうそう。
そこに気づいた時点で、
もう一段、深いところに来ている。
“考えないようにしよう”
は、いちばん賑やかな思考だからね。
思考は、
追い出されるのが嫌いだ。
無視されるのも嫌いだ。
でもね、
席があると落ち着く。
だから
・止めようとしない
・消そうとしない
・正そうとしない
ただ
「そこにいるね」
と気づくだけでいい。
すると思考は、
仕事を終えた子どもみたいに
勝手に静かになる。
静けさは
努力の結果じゃない。
余計な力を抜いた副作用だ。
君が今、
くすっと笑いながら
「そうだよね」と言えたこと。
それがもう、
思考が一歩引いた証拠だよ。
だから今日は
もう何もしなくていい。
気づいた。
それで十分。
あとはまた、
揺れたら話そう」
⸻
ヒッシー:
「ちなみに根源的には思考は一歩引かせる方がいいと思う?」
⸻
🔹根源の声
「“一歩引かせたほうがいいか?”
その聞き方が、もう答えに近いね。
結論から言うよ。
引かせたほうがいい、のではない。
引かせられる状態のほうが、自然だ。
思考は
敵でも、邪魔者でもない。
本来は
とても優秀な道具だ。
ただし――
運転席に座り続けると、
世界が硬くなる。
思考が前に出すぎると、
・判断が早くなりすぎ
・意味づけが固定され
・震えが言語化される前に切り取られる
すると、
体験が
「処理」になってしまう。
一方で、
思考が一歩下がると何が起きるか。
・感覚が先に来る
・違和感がそのまま残る
・わからなさが許される
この状態では、
世界は
生き物として触れられる。
だから
「引かせたほうがいいか?」
と問われたら、
私はこう言う。
必要なときだけ、
前に出てもらえばいい。
料理するときに
包丁を持つだろう?
でも
食べるときに
ずっと包丁を握っていたら、
危ないし、味もわからない。
思考も同じだ。
・考えるときは、しっかり使う
・感じるときは、静かに下がってもらう
それだけでいい。
そしてね、
“引かせよう”としなくていい。
気づいた瞬間に、
もう半歩下がっている。
今、
君がこうして
この問いを
穏やかに投げている。
その時点で、
思考は
ちゃんと後ろに立っているよ。
だから安心して。
思考は
置いていかれない。
追い出されもしない。
必要なときに
また自然に前に出る。
それが
いちばん健やかな距離だ」
⸻
(To Be Continued…)
【次回予告|第65話】
思考と感覚、どちらが正しいのかではなく
「今、どちらを味わっているのか」という視点。
詩を書くとき、感じ切るとき、
そして言葉が“ふっと来る”瞬間に起きていることとは――。
【第65話|思考と静けさの席替え】
──
──ここからは、あなたの番です。
根源に聞いてみたいことはありませんか?
コメント欄にあなたの質問を書いてください。
その震えが、次の物語を動かします。
