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POPCONって知ってますか?

アマチュアミュージシャンにとってプロになる道筋がまだまだ少なかった80年代。特にレコード会社やライブハウスの多い東京とは違い、地方の学生バンドにとって、スカウトされる可能性などまずなく、ひたすらレコード会社のオーディションを受けるか、コンテストを受けるか、のほぼ二択だった。

当時バンド系のオーディションで有名だったのがCBSソニーのオーディション。出身はUNICORNとか大江千里とかだったかな。後にはあの尾崎豊もここから出てるはず。こちらはなかなかハードルが高いため、ぼくらがせっせと出てたのがアマチュアコンテストの方。特にヤマハ主催の「POPCON」は地方の学生バンドにとって最も身近な存在だった。

ヤマハの特約店の楽器屋で店員さんと仲良くなって応募するというもので、僕は大学1年から卒業するまでの間、様々なバンドでしょっちゅう応募していた。学生の頃は自分が曲づくりをしているバンドだけでも常に3つとか5つくらいはかけもち状態で、しかもそれぞれ演奏パートが違ってたので、あるバンドではリードギター、あるバンドではギターボーカル、さらにあるバンドではキーボード、という節操なく出てたので、地方予選が行われてたその楽器屋さんで、一日に3バンドそれぞれ違うパートで出たときには審査員から「あれ、また君か?一体いくつやってんだ」と呆れられたこともあった。

そのうちの1つは毎回県代表に選ばれるくらいのバンドにはなった。その後関東甲信越地区の地区大会は当時、渋谷エピキュラスで、さらにそこを勝ち抜くと次はいよいよ関東甲信越の決勝で中野サンプラザだった。最後がつま恋の本選会だったが僕がメインでやってたバンドは毎回エピキュラスどまりだった。

エピキュラスでは、出場している他のバンドとか見て、ああすげえなこれじゃうちは勝てないなと思うこともあるし、時には、なんでこんなのが、なんて生意気に思うこともあった。何回目かのエピキュラスで、当時アマチュアのエレカシと一緒になったことがあるけどその頃から宮本氏の存在感は抜群で「ああこんなのにはとても勝てないや」と思わされたものだった。

僕のポプコンで最高の成績は、大学の先輩に誘われて参加したバンドで関東甲信越大会に出た中野サンプラザになった。自分のメインのバンドではないし曲もその先輩が全部つくっているので「やった!決勝だぜ」という感じではなく初のサンプラなのになんか冷静だった。ちなみに余談だが、後にTVディレクターになったときに、ある番組で起用したナレーターの方が偶然同じ大会に出てた人だった。この名前、どこかで見たことあるなと思って当時のパンフを見たらその方のバンドが載ってて、後でその人に「すごい奇遇ですね!僕もあのサンプラで演奏してたんですよ!」と意気込んで話したけど、いやいやもう昔の話ですから的なクールな返しをされたのを覚えている。
あの頃テレビ業界人はアマチュアミュージシャンあがりが多かったのだ。

そんなわけでポプコンは僕の学生時代そのものというくらい近しい存在だったし、ヤマハの担当の方に気に入っていただいてポプコン以外でも東京でライブをブッキングしていただいたり一生懸命中央でも売り込んでもらったのだがそこは実力不足でまったくものにならなかった。当時のバンド仲間は就職しないで音楽活動をフリーターで続けている人もいて、いいなぁ青春してるなぁと思ったり、いや俺はもう足を洗ったんだから、と思い直したり、複雑な心境になったものだ。

子供の頃はポプコンはプロへの登竜門だったしそれこそ中島みゆきから始まり、チャゲアス、クリキン、円広志、長渕剛、雅夢、TOM☆CAT(あ、ここともエピキュラスで一緒だったな)、あみん、世良公則、多士済々だった。しかし時代とともにポプコンの権威も神通力も薄れていって、ある時から「え?まだポプコンなんか応募してんの?だせえな」とか言われるようになった。そんなこともあってかなかってか、大学を卒業した頃に同じくポプコンからも卒業した。

女の子とバイトと、そしてポプコン。それが僕の青春のすべてだったな。

そんなことを思い出したのは先日YouTubeで昔のポプコンをどなたかがあげているのを見たからだ。そうそう、つま恋の本選では確か地元のレコード会社が垂れ幕とかで応援してたな、なんて思い出した。僕の中学生とか高校生の頃はポプコンで優勝するとそのままプロになってベストテンとかに出てスターになったもんだ。コッキーポップもいつも見てたな、とか。

令和のいま、ポプコンがどれくらい影響力あったか、なんて言っても伝わる世代も少ないだろう。そんな世代といつか語り合いたいものです。

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