💟串呂哲学とは(2)串呂哲学の解読法
🌷このオンラインブックは、「串呂哲学とは(1)串呂哲学概説」の続編です。
串呂哲学の解読法
「串呂哲学とは(1)」で、「方角の正確な日本地図(国土地理院発行の地勢図・地形図)を貼り合わせたものと糸とによって、同一方角線上に連なる地名(集落、村落、神社、御陵、仏閣、山岳、丘陵、池湖沼、島、湾 など)を貫線的に考証し」と述べましたが、
串呂哲学では、この「地名=地文」をどのように解読する(意味を読み取る)かが重要となります。
串呂は、神霊界の意図を三次元の地上(現象)世界に反映させたものであるため、さまざまな制約があることを理解し、臨機応変・柔軟に地文を解読しなければなりません。
三浦芳聖は串呂哲学を解明する体験の中で、地名(地文)に秘められた様々な啓示を解読していきましたが、元来、神風串呂は、神皇正統家に伝わる「天津神の神意を読み取るための秘法」である事を申し述べておきます。
要するに、串呂を解明するためにこの世に派遣された、串呂台とも言うべき三浦芳聖にしか理解できない事象が多々あったということです。

1、諺文解読法
諺文(おんもん)とは、音標文字のことですが、串呂哲学では、「諺文=音文=隠文=陰文」で、地名の読み方の中に秘められた意味を読み解きます。
これは、音韻により地名を転化させて地文を解読する技法のことです。
三次元の限られた空間において、東西南北・縦横無尽に張り巡らされた串呂地文の中に秘められた神霊界の意図・啓示を、多角的、多面的な視点から柔軟に解読する技法のことを言います。
三浦芳聖師は諺文を「おんぶん」と読み、音韻による転化だけでなく、後述するさまざまな「転化式解読法全般」を諺文と称していました。
藤原石山著『南朝正統皇位継承論』(119頁)に、『熊谷家伝記』に後醍醐天皇の第11皇子の事を「遠良親王」「遠露大和尚」と記されていることについて次のように出ています。
後醍醐天皇の第11皇子「満良親王」の「満良」を、「みちなが」と読み、「みちなが」は「道長」で「道長し」すなわち「遠路」で、遠良(えんろ)、遠露(えんろ)大和尚と 称したという解説が出ていて、こうしたことを「諺文学」「韻文学」といって、当時(南北朝時代)こうした学問が通用していたと書かれています。
ここから満良の読み方は「みちなが」であり、「みつなが」ではなかったことが分かります。
また、藤原石山著『三河に於ける長慶天皇伝説考』(10頁)には、韻文学と諺文学について下記のように説明されています。
意味の違うことでも発音の同じなことは何か相通ずるものがあると考え、発音の同じ字を使って陰語として用いることが韻文学であって、道理や諺から同じ意味のことを合わせて用いることを諺文学と云う。こうした考え方が当時は強く用いられていたのである。
韻文学=発音の同じ字を転化させる法
例、松永(まつなが)=松長(まつなが)=松良(まつなが)
例、甘呂=串呂=甘露
諺文学=道理や諺(ことわざ)の意味から転化させる法
例、堀之内=御陵(天皇のお墓)
(御陵の回りにお濠が有ることから。下記↓参照下さい。)
これまでにご紹介した例を用いて諺文解読法の復習をしましょう。
大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝=天皇(または皇居)という意味と解釈します。
蔵王山(ざおうざん)・・・蔵(くら)は大事な物をしまっておく所。蔵王=王が隠されている=王の隠棲を表わす。
二見浦夫婦岩(ふたみがうらみょうといわ)二見浦は「ふたみうら」とも言う。「ふたみうら」「みょうといわ」で、見浦(三浦)と夫婦になった(婚姻関係を結んだ)と解釈する。正統天皇が三浦氏と婚姻関係を結んで三浦の姓を名乗っていることを表わす。
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