💟明治天皇 南朝王孫説4-地頭 大江高広の活躍-⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂3
🎀串呂哲学研究ノート第499号
前号、前々号では、「⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂」には、⛩️伏見桃山陵に眠る明治天皇は、南朝 松良天皇の王孫であることが彰示されている地文を多数ご紹介しました。
その中でも、下記は代表的な地文でした。
🔶松尾 南松尾山・・・南朝の松良天皇の王孫をあらわす。
🔶和田山町・・・・・先祖が松良天皇であることをあらわす。

この記事は、前号からの続きです。
初めての方は、まず下記をご覧下さるようご案内します。
⭐明治天皇の神風串呂について(3)
💞応永十六年 地頭 大江高広の棟札
昭和42年(1967年)5月30日の三浦皇統家の月次祭中に三浦芳聖師が被った、御祖大神からの御神示には、文献史学では到底知り得ぬ興味深い歴史の真実(秘史)がいくつも含まれていました。
その一つが、光良親王を奉戴して大内氏を頼って周防国(山口県萩市)へ西下した武将の名が「大江氏」である事でした。
💝これは、大変重要な歴史事項ですので、取り上げて見たいと思います。
上記の御神示の主旨は、「明治天皇は、松良天皇の第四皇子『光良親王』を、応永17年(1410年)三州萩より長州へ大江氏が遷し、この地を萩と名付け、大江氏(後の毛利氏)が代々守護し来り、この王孫を明治維新時に孝明天皇の猶子として擁立し王政復古せるもので、霊統は後醍醐天皇 第五皇子 征東将軍 宗良親王の再現である。」という内容です。
(三浦芳聖著『神風串呂』第140号1~2頁要約、1967年7月2日発行)

☀️神皇正統家の略系図

⭕神皇正統とは、往昔、崇神天皇の御代に創始された皇室制度で定められた「三種の神器(形代)」を継承した天津日嗣の天皇という意味です。
💞ここで確認しておきたいのは、三浦芳聖師が書き残した『神風串呂』に、光良親王や大江氏の名前が出て来るのは、この昭和42年(1967年)5月30日の御神示が初めてであり、それまで三浦芳聖師は田中光顕 氏の証言通り「明治天皇は、後醍醐天皇 第十一皇子 満良親王の王孫」と認識していたのです。
ところが、記憶の間違いか勘違いで、三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(1970年)の序文に、田中光顕 氏の証言として「大江氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち・・・」と誤記されているのですが、
これを読んだ宮下文書の研究家「加茂 喜三 氏」(富士地方資料調査会)は、この情報の真偽を確認するために愛知県豊川市萩町に出向いて現地調査を実施したのでした。
💞その結果「加茂 喜三 氏」は、豊川市萩町の⛩️下賀茂神社に残っていた「応永十六年 地頭 大江高広」と記載された「棟札」を確認し、応永年間、萩に隠棲中の松良天皇に近侍していた武将の姓名が判明したのでした。
戦国時代の乱世を無事に潜り抜け、貴重な一次資料である「棟札」が残っていたことは、天佑神助と申すほかありません。
🔶『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』より引用
『実は「明治天皇」は「後醍醐天皇」第十一番目の皇子「満良親王」の御王孫で、毛利家の御先祖即ち大江氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち、やがて大内氏が滅びて大江氏の子孫毛利氏が長州を領有し、代々長州の萩に於て、此の御王孫を御守護申し上げて来た。』
🔶『富士〝隠れ南朝〟史』より引用
下賀茂社の応永十六年の棟札に「地頭大江高広」の名があり、「姓氏家系大辞典」には、これを大江忠成の六世の孫であろうとしている。この高広のあとの大江氏の事跡がこの三州萩でぷっつり消えていて、どうやらこの高広が光良親王の長州落ちに関与していた如くである。
🟠 大江広元-忠成-忠氏-忠広-行広-康広-高広
☀️このような経緯で、明治天皇の遠祖「光良親王」は、「応永17年(1410年)三州萩より長州へ大江氏が遷し・・・」という御神示が間違いないであろうことが確認されたのであります。
💞さらに驚くべきことには、WEB地図のお蔭で、現在研究中の「⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂」に、この大江氏の活躍が串呂地文として構築されている事が判明したのです。
㊗️これは新発見です!🌈🌅💐🍀🎯
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🟡神風串呂を学びましょう!
🟣情報拡散のお願い
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。
🌷この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
三浦芳聖師が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
🌷串呂主宰神 天照大御神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
🌷神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!
神風串呂の主宰神は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。
一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。
⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂3
1、明治維新 王政復古の神源(霊的原動力)
「⛩️内宮と⛩️明治天皇陵との神風串呂」の3回目となります。
巻頭でご紹介しましたように、この串呂の主旨は「明治維新 王政復古が成功し、晴れ舞台に立つことができた明治天皇は、南朝 松良天皇の王孫であること」が彰示されています。
この串呂の意味をよく理解するには、この背景となっている歴史を振り返る必要があります。
日本の南北朝戦争の勝者は、武家方であり、北朝の皇族は皇統の簒奪(天皇家の乗っ取り)に利用され、その挙句は血統を根絶やしにされて滅亡したのでした。
【参照】
一次史料が証す正長元年(1428年)の皇統交替: 万世一系ではなかった!? 神武天皇の血流が絶えて、新たな皇統が興っていた!? 現皇室は15世紀第2四半期に始まった!?

天佑神助により皇統を内伝に継承することを得た南朝正統家は、第百代 大宝天皇が、三種の神器を地下深く埋蔵して岩戸籠りとし、崇神天皇から始まった皇室制度は、およそ百代で終焉を迎えたのでした。
ここには、天照大御神の悠久にして遠大なる神経綸が存在しているのです。明治維新 王政復古の神源(霊的原動力)は、天照大御神の御心であったのです。
興味のある方は、下記をご覧下さい。
🔴ここまで解った元伊勢伝承
💟第1話 崇神天皇、宝鏡を奉遷
💟第2話 崇神天皇が畏怖した理由は?
💟第3話 天照大御神は崇神王朝の祭祀を拒否
💟第4話 各地巡行は元伊勢クシロ構築の旅
💟第5話 両朝融和計画進行中
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明治大室王朝の神風串呂
明治大室王朝説をあらわす神風串呂を21本以上まとめたマガジンです。明治大室王朝説とは、明治天皇が南朝の王孫「大室寅之祐」であるという仮説で…
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