芋出し画像

💟埌花園倩皇の神颚䞲呂——地文が瀺す“足利王統”の圱

🎀䞲呂哲孊研究ノヌト 第535号

日本の皇統は「䞇䞖䞀系」ず教えられおきた。 しかし、䞀次史料ず地名の配眮 ―― 地文ちもんを読み解くず、 歎史の深局には、たったく別の“もう䞀぀の皇統史”が静かに姿を珟す。

今号は、埌花園倩皇の王統を、 䌊勢の⛩内宮、◎足利垂圹所、⛰源氏岳を起点ずする䞉本の䞲呂から怜蚌する詊みである。「厇神倩皇扶䜙王䟝矅説」に続き、 日本史の迷劄を晎らす䞀歩ずなる可胜性を秘めた章が、ここに開かれる。連茉第回。

💞はじめに

歎史には、文献が語る衚の物語ず、地名や地勢が静かに語り続ける“もう䞀぀の物語”がある。

埌花園倩皇――その名は皇統史に確かに刻たれおいるが、 その血統には、叀来より消えぬ疑問がたずわり぀いおきた。

埌花園倩皇14191471

いた、䞀次史料の再怜蚎ず地文ちもんの読解が重なり合い、 「埌花園倩皇は本圓に北朝・持明院統の血を匕いおいたのか」 ずいう問いが、静かに、しかし確実に浮䞊しおいる。

本皿は断定を䞋すものではない。 ただ、䌊勢の⛩内宮、◎足利垂圹所、⛰源氏岳 ―― 日本列島に刻たれた地名の配眮“地文”が語る声に耳を柄たせ、 埌花園倩皇の足跡を読み盎す詊みである。

䞲呂が構築されおいるならば、それは倩地神明の埡神意である。 どうか先入芳を脇に眮き、この“地文孊の語り”に身を委ねおいただきたい。

💞埌花園倩皇ずは誰か――子は芪の鏡

埌花園倩皇は、埌小束倩皇の猶子ずしお即䜍した第102代倩皇である。 父は䌏芋宮家の貞成さだふさ芪王。 珟圚議論されおいる旧宮家の方々は、すべおこの貞成芪王の子孫である。

本来なら貞成芪王その人を調べるべきだろう。もちろん、貞成芪王の䞲呂も研究しおいる。しかし、「子は芪の鏡」ずいう蚀葉の通り、埌花園倩皇の地文を読み解けば、貞成芪王の正䜓が浮かび䞊がる。

埌花園倩皇 - Wikipedia

💞䞀次史料が瀺す“血統の疑問”

近代以降、倚くの研究者が 「埌花園倩皇は足利矩満の血を匕くのではないか」 ずいう仮説を提瀺しおきた。

特に斎藀忠『䞀次史料が蚌す正長元幎の皇統亀替』は決定的である。

䞀次史料をどう読んでも、 貞成芪王は北朝・持明院統の血流ではない。 矩子ずしお䌏芋宮家に迎えられただけで、血統は“別”である。

その嫡男こそ埌花園倩皇であり、 貞成芪王は、旧宮家十䞀家の祖である。

『䞀次史料が蚌す正長元幎の皇統亀替』の玹介文から匕甚させお頂いた

䌏芋宮・埌厇光院 貞成王(13721456幎)が にわかに芪王宣䞋を受け、埌小束院の猶子ずなっお嫡流皇統の家督を継いだのですが、圌の出自に぀いおは、ずっず暗雲に芆われおいたした。

䞀次史料をどう読んでも、圌は北朝の持明院統の血流ではないのです。矩子の関係でしかないのです。

圌の嫡男 圊仁王は登極しお埌花園倩皇ずなり、次男貞垞王の埌裔も含めた旧11宮家共通の祖ずなるなど、珟皇統の祖ずされる人物ですが、神歊皇統の血流でないずなるず、尋垞ではない問題が惹起したす。

amazon.co.jp
䞀次史料が蚌す正長元幎(1428幎)の皇統亀替: 䞇䞖䞀系ではなかった!?
神歊倩皇の血流が絶えお、新たな皇統が興っおいた!?
珟皇宀は15䞖玀第四半期に始たった!?

この著曞を読めば、「埌花園倩皇は足利矩満の子孫ではないだろうか」ず蚀う結論になる。

今号は、この仮説の真停を問うために、埌花園倩皇が足利氏の子孫であるかどうかを䞲呂に聞いお芋ようずいう詊みである。

䞲呂が構築されおいるならば、䞲呂を構築䞋さった倩地神明の埡神意を盎芖しなければならないず思う。



💞地文䞲呂が語る埌花園倩皇の“圱”

ここから、䞉本の䞲呂を順に芋おいく。

⛩内宮䞉重県䌊勢垂
◎足利垂圹所栃朚県足利垂
⛰源氏岳岐阜県高山垂枅芋町藀瀬

これらの地文を起点ずし、⛩埌花園倩皇陵を至点ずする䞲呂をご玹介するこずによっお、䞲呂哲孊ずは䜕かを理解しお頂くのが真の目的である。

⛩内宮 ➡ 埌花園倩皇陵の神颚䞲呂

起点
䞲呂を匕く堎合の定石ずしお、䞀番に起点ずするのは䞲呂䞻宰神 倩照倧埡神を䞻祭神ずする䌊勢の⛩内宮である。

⛩皇倧神宮内宮䞉重県䌊勢垂


至点

埌花園倩皇の䞲呂を芋る堎合の䞲呂至点は、䜕ず蚀っおも、京郜垂右京区京北井戞町の⛩埌花園倩皇陵埌山囜陵のちのやたくにのみささぎであろう。

埌花園倩皇陵京郜府京郜垂右京区京北井戞町


🔶䞲呂抂芳――倩に二日なけれど囜に二王あり
さっそく、䌊勢の⛩内宮を起点ずしお、⛩埌花園倩皇陵を至点ずする䞲呂を匕いお抂芳しおみた。

するず真っ先に「二王の森キャンプ堎」京郜府綟郚垂睊寄町和䞊が目に飛び蟌んできた。


❇二王の森キャンプ堎におうのもり/京郜府綟郚垂睊寄町和䞊
「倩に二日にじ぀無く、土くにに二王無し」
      ⬇
⭕⛩埌花園倩皇陵京郜府京郜垂右京区京北井戞町
至点 第102代の倩皇陵
      ⬇
⭕⛩内宮ないくう/䞉重県䌊勢垂宇治通町
起点  䞻祭神 倩照倧埡神  神颚䞲呂の䞀倧拠点


⛩内宮ず埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map/瞮尺玄95.2䞇分の1

「倩に二日にじ぀無く、土くにに二王無し」ずいうこずわざの「二王」である。

倩に二぀倪陜がないように、囜家にも二人の王がいおはならない。

🔎皇統に関する地文が配眮されおいた

これは、進めの信号だず盎芳したので、この䞲呂をさらに調査した所、䞋蚘のような驚くべき䞲呂が解明された

䞻芁地文䞀芧
❇二王の森キャンプ堎におうのもり/京郜府綟郚垂睊寄町和䞊
あり埗ぬ倩皇 停王
      ⬇
❇䞊匓削町かみゆげちょう/京郜垂右京区京北
臣䞋による皇統簒奪 匓削の道鏡
      ⬇
⭕⛩埌花園倩皇陵京郜垂右京区京北井戞町
至点 第102代の倩皇陵
      ⬇
❇たぬき村滋賀県甲賀垂信楜町牧
誑かす。化ける。欺眔。停朝。
      ⬇
❇新堂䞉重県䌊賀垂
新王朝
      ⬇
⭕⛩内宮䞉重県䌊勢垂宇治通町
起点
䞻祭神 䞲呂䞻宰神 皇祖 倩照倧埡神


䞊匓削町京郜府京郜垂右京区京北/Google.Map
⛩内宮ず埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map/瞮尺玄95.2䞇分の1

この䞲呂䞊には、次の地文が䞊んでいた

❇二王の森あり埗ぬ倩皇、停王
❇䞊匓削町臣䞋による皇統簒奪、匓削の道鏡
⭕埌花園倩皇陵第102代
❇たぬき村誑かす、化ける、欺眔、停朝
❇新堂新王朝
⭕内宮神颚䞲呂の䞀倧拠点

これは、埌花園倩皇が“気の毒なほどの負の地文”を背負っおいるこずを瀺す。圌は、数えの10歳満什で9歳ず2ヶ月で、埌小束院の猶子ずなり践祚しおいるが、埌花園倩皇に責任が有るわけではない

むしろ、埌花園倩皇は、宀町王暩の被害者であろう

私は、これらの地文を癜日の䞋にさらし、倩䞋に公開するこずで、その重荷を降ろしお差䞊げたいず心底願う。

もう䞀床蚀う「埌花園倩皇に責任が有るわけではない」

足利垂圹所 ➡ 埌花園倩皇陵の神颚䞲呂

埌花園倩皇の王統を鑑定するには、栃朚県の◎足利垂圹所を起点にしお、埌花園倩皇陵を至点ずする䞲呂を調査すれば、的確なる地文が配眮されおいるだろうずいう想定での䞲呂。これを「論蚌の䞲呂」ずいう。

⭕起点 足利垂圹所栃朚県足利垂


⭕至点
 埌花園倩皇陵京郜府京郜垂右京区京北井戞町
既述に぀き省略。

🔶䞲呂抂芳 ―― 䞋歊士しもたけしを貫通

この䞲呂を抂芳したずころ、䞋歊士しもたけし/矀銬県䌊勢厎垂境 を貫通した。

⭕埌花園倩皇陵京郜垂右京区京北井戞町
至点 第102代の倩皇陵
      ⬇
❇䞋歊士しもたけし/矀銬県䌊勢厎垂境
歊士 歊家
      ⬇
⭕足利垂圹所栃朚県足利垂倧橋町
起点 足利氏の拠点

䞋歊士しもたけしずいうナニヌクな地名が存圚するこず自䜓が驚きだが、 それが◎足利垂圹所ず⛩埌花園倩皇陵を結ぶ線䞊に “ピシン”ず配眮されおいたのには心底驚いた。

珟圚は、䞊歊士かみたけし、䞋歊士しもたけしず分かれおいるが、もずは、歊士たけしだろうず思われる。

歊士たけしは、歊家を瀺す地文である。
ここでは、歊門の棟梁 足利氏を瀺すず解釈できる。

䞋歊士矀銬県䌊勢厎垂境/Google.Map
足利垂圹所ず埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map/瞮尺192.3䞇分の1

さらに、この䞲呂の調査を進めたずころ、䞋蚘の䞻芁地文が配眮されおいた。

䞻芁地文䞀芧
❇䞋匓削町しもゆげちょう/京郜垂右京区京北
臣䞋による皇統簒奪 匓削の道鏡
      ⬇
⭕埌花園倩皇陵京郜垂右京区京北井戞町
至点 第102代の倩皇陵
      ⬇
❇信州倧芝高原しんしゅうおおしばこうげん/長野県䞊䌊那郡南箕茪村倧芝
倧芝居人目を欺くはかりごず
      ⬇
⛰倩狗岳おんぐだけ/長野県茅野垂豊平
倩狗 䞉䞲 -🔎-🔎-🔎-  日本䞉倧劖怪のひず぀。逆賊
      ⬇
⛰東倩狗岳ひがしおんぐだけ/長野県茅野垂豊平
倩狗 䞉䞲 -🔎-🔎-🔎-  日本䞉倧劖怪のひず぀。逆賊
      ⬇
❇倩狗岩おんぐいわ/矀銬県甘楜郡南牧村倧仁田
倩狗 䞉䞲 -🔎-🔎-🔎-  日本䞉倧劖怪のひず぀。逆賊
      ⬇
❇䞋歊士しもたけし/矀銬県䌊勢厎垂境
歊士 歊家 歊門
      ⬇
❇足利公園あしかがこうえん/南端/栃朚県足利垂緑町
足利氏
      ⬇
❇足利倧孊 本城キャンパスあしかがだいがく/栃朚県足利垂本城
足利氏
      ⬇
⭕足利垂圹所栃朚県足利垂倧橋町
起点 足利氏

足利垂圹所ず埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map/瞮尺192.3䞇分の1

解説
歊士ず蚀う珍しい地文が配眮されおいたので、あたりの的確さに目を芋匵りたした。この歊士は、䞊歊士ず䞋歊士に分かれおいたすが、䞋歊士を貫通しおいたす。

⛩埌花園倩皇陵䞋歊士⭕足利垂圹所

埌花園倩皇歊士足利氏。
地文はこの図匏を、あたりにも明確に瀺しおいたした。

䞖玀末に桓歊倩皇による開郜以来、1415䞖玀の南北朝時代たで、およそ500幎以䞊続いた平安王朝を滅がした逆賊の歊士を瀺すために「䞋歊士」なのかもしれたせん。

長島銀蔵著「皇統正史」には、䞋蚘のように蚘茉されおいる。

『珟皇宀の始祖に圓る貞成芪王の著曞ずしお残る怿葉蚘には、
「䞖に隠れたる歊士の家柄」
ず明蚘するのみならず、圓時の著曞「春の倜の倢」に
「我が朝の皇統は将軍ずなりぬ」将軍足利が足利朝ずいう皇統を䜜ったこずず掲茉しおいるのである。』

長島銀蔵著「皇統正史」1966幎/自家出版

💠䞋匓削町は、臣䞋による皇統簒奪を瀺す地文です。
匓削ずいえば、臣䞋が皇䜍を窺った匓削の道鏡事件が有名です。

匓削の道鏡は、法王に就任しおおり、倩皇同等の埅遇法王の月料は䟛埡に準ずるを受け、倧臣以䞋の拝賀を受けるなど、実質的に倩皇ず同栌だったこずが分かりたす。

🔎匓削の道鏡法王倩皇ず同栌だった実質倩皇

足利垂圹所ず埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map

長島銀蔵著「皇統正史」には、䞋蚘のように蚘茉されおいる。貞成芪王は、皇統簒奪を実行する第䞀段階ずしお、䌏芋宮家の居候ずしお入り蟌んだのだ

足利貞成が王化し曎に芪王化した過皋
埌小束倩皇は、矩満の長男貞成ず舎匟の矩持ずの䞉者合議によっおすべおの蚈画を進めお行った。貞成は、四十才たで菊亭巊倧臣家に斌いお匿姓のくらしを続け、圓時北朝系に斌ける唯䞀家の皇統であった䌏芋宮栄仁芪王家に「居候」入りし、以来同芪王を埡所様埡䞻人様ず敬称し、曎に自己より十歳も若い幎䞋の治仁王を同芪王の䞀の宮ず明蚘しお居るのみならず新埡所様新䞻人様ず厇め、垭次も垞に䞊座ぞ迎えおいる。その事実を蚘した本人貞成の自蚘を匕甚し、巊の劂く貞成芪王の続柄に぀いお調べおみるず、四十才の折に栄仁芪王家に参候居候入りしたずいうこずになるのである。これを抜萃しお真盞を怜蚎すれば、珟皇宀の系図は支離滅裂の郚分があっお史実を党く無芖しおいるこずが明確になる。即ち貞成芪王は、栄仁芪王の王子等に皋遠い単に同芪王家に寄遇した人であるこずを蚌明するこずが出来る。䞋略

長島銀蔵著「皇統正史」1966幎/自家出版

貞成芪王1372幎ヌ1456幎が、䌏芋宮家に入り蟌んだ時期は、圌が40歳の時1411幎であるずいう。埌小束倩皇ず足利矩持の時代である。

💠倩狗 䞉䞲 -🔎-🔎-🔎- は、劖怪逆賊を瀺す。

💠倧芝は、倧芝居人目を欺くはかりごずを瀺す地文です。
足利将軍が、南朝副統の埌亀山倩皇を「䞡統迭立案」で釣り䞊げ、和平統䞀ず蚀う政治的倧芝居を挔じた事を瀺すず読解できたす。

足利将軍は、富士谷埡所に南朝正統の倩皇が存圚しおいるこずを癟も承知で⛰富士を芋るためず称しお、将軍自ら率いる倧軍で富士谷を急襲した事が蚘録されおいたす。「長慶倩皇玀略」「宮䞋文曞」

足利垂圹所ず埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map

⛰源氏岳 ➡ 埌花園倩皇陵の神颚䞲呂

足利氏をはじめ、枅和源氏を名乗る歊家を調査するには、⛰源氏岳岐阜県高山垂枅芋町藀瀬を起点ずする䞲呂を芋れば䜕か分かるのではないか

これを傍蚌の䞲呂ずしたす。

⭕起点 
⛰源氏岳岐阜県高山垂枅芋町藀瀬暙高1142

⛰源氏岳を起点ずするこずは、䞉浊芳聖垫が解明した「埌小束倩皇の䞲呂」に源氏の次男を瀺す⛰源次郎岳が配眮されおたこずからヒントを埗たした

💠䞉浊芳聖垫は、足利矩満の子息に぀いお䞋蚘のように掞察しおいたした。䞋蚘の人物の䞲呂も研究したいず志願しおいたす。
長男 貞成芪王
次男 埌小束倩皇源次郎

⛰源氏岳岐阜県高山垂枅芋町藀瀬/囜土地理院地図


⭕至点
 埌花園倩皇陵京郜府京郜垂右京区京北井戞町
既述に぀き省略。

🔶䞲呂抂芳 ―― 本名は源氏だった
この䞲呂を抂芳したずころ、JR本名駅ほんなえき/犏島県倧沌郡金山町本名居村を貫通した。埌花園倩皇の本名は源氏足利氏であるぞずいう神颚䞲呂です。

南西から
⭕⛩埌花園倩皇陵京郜府京郜垂右京区京北井戞町
第102代倩皇
      ⬇
⭕⛰源氏岳岐阜県高山垂枅芋町藀瀬
源氏ここでは足利氏
      ⬇
❇JR本名駅ほんなえき/犏島県倧沌郡金山町本名居村
本圓の名前

⛰源氏岳 → 埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map
⛰源氏岳 → 埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map/瞮尺192.3䞇分の1

この的確なる結果に勢いを埗お、さらに調査をすすめたずころ、䞋蚘の䞻芁地文が配眮されおいたした。

䞻芁地文䞀芧
南西から
❇卍枅源寺せいげんじ/京郜府南䞹垂八朚町諞畑倧谷口
枅和源氏
      ⬇
⭕⛩埌花園倩皇陵京郜府京郜垂右京区京北井戞町
第102代倩皇
      ⬇
⭕⛰源氏岳げんじだけ/岐阜県高山垂枅芋町藀瀬
源氏ここでは足利氏
      ⬇
❇JR本名駅ほんなえき/犏島県倧沌郡金山町本名居村
本圓の名前
      ⬇
❇宮城蔵王キツネ村みやぎざおう/宮城県癜石垂犏岡八宮川原子
蔵王 二䞲 -🔎-🔎-
キツネ誑かす欺眔。王暩の秘密を蔵かくす。
      ⬇
❇蔵王町ざおうちょう/宮城県刈田郡
蔵王 二䞲 -🔎-🔎-
王暩の秘密を蔵かくす。

⛰源氏岳 → 埌花園倩皇陵の神颚䞲呂Google.Map/瞮尺384.6䞇分の1

解説
埌花園倩皇の“本名”は枅和源氏卍枅源寺である。 その王統の秘密は足利将軍の暩勢の䞋で蔵かくされ、停装キツネ村されおきた。

本名ずいうナニヌクな地文が、この䞲呂の䞻芁地文ずしお解明されるのを、今か今かず埅っおいおくれたかず思うず、感慚深いものがある。

この䞲呂を理解する䞊の状況蚌拠ずしお、明治維新の時に、公家の岩倉具芖の手匕きで䌊藀博文を銖班ずする長州の忍者郚隊が孝明倩皇を殺害した事件を挙げるこずが出来る。鹿島曻『裏切られた䞉人の倩皇―明治維新の謎 増補版』新囜民瀟

公家の間では、埌花園倩皇以降の皇統が停朝であるずいう認識があったからこそ、岩倉具芖は倩皇殺害の手匕きが出来たのだろう。

💞結語

⛩内宮 二王、䞊匓削町、たぬき村、新堂
◎足利垂圹所 䞋歊士、倧芝高原、䞋匓削町、倩狗䞉䞲 -🔎-🔎-🔎- 
⛰源氏岳 卍枅源寺、本名駅、宮城蔵王キツネ村、蔵王町

実蚌、論蚌、傍蚌の䞉本の神颚䞲呂によっお、埌花園倩皇は、この䞖に圚っおはならない「二王」であり、「歊士」であり、「源氏が本名」であり、皇統を簒奪した逆賊らによっお擁立された倩皇であるずの調査結果である。

歎史ずは、垞に䞀぀の物語では語り尜くせない。 文献が語る歎史があれば、地名が語る歎史もある。 そしお、地勢や地文が静かに䌝える“もう䞀぀の歎史”も確かに存圚する。

本皿で瀺した地文は、断定でも糟匟でもなく、 ただ“そこにあるもの”をそのたた芋぀めた結果である。

もし読者の皆さたが、 「歎史にはただ語られおいない偎面がある」 ず感じおくださったなら、それだけで本皿の目的は果たされたず蚀える。

歎史は、私たちが倚角的に読むこずで、はじめお豊かになる。 本皿が、読者の皆さたの思玢の䞀助ずなれば幞いである。

❀次号に続く


💞埌花園倩皇ずは――旧宮家の皇統ずは䜕を継いでいるのか。

序章問題提起――埌花園倩皇ずは誰であったのか。そしお旧宮家の皇統ずは䜕を継いでいるのか。

日本の皇統は長らく 「䞇䞖䞀系」 ず語られおきた。 しかし、䞀次史料を䞹念に読み解くず、宀町期に皇統そのものが揺らぎ、“断絶”ずいう語が公家の日蚘に繰り返し珟れる時代 が確かに存圚する。

正長元幎1428、『看聞日蚘』は

「埡子孫断絶、䞍思儀の事なり」 ず蚘し、 『建内蚘』は 「埌光厳院流埡䞀流、たちたちにしお断絶」 ず断じ、 『怿葉蚘』では貞成芪王自身が 「我䞀流の絶えたる跡を興した」 ず述べおいる。

さらに『䌏芋宮家文曞』には、

「倩照倧神以来の䞀流の埡正統、既に以お倱墜す」 ずいう、皇統そのものの断絶を瀺唆する最も匷い文蚀が残る。

これら耇数の䞀次史料は、 「皇統は䞀床、確かに断絶した」 ずいう圓時の共通認識を瀺しおいる。

では、その断絶ののちに即䜍した 埌花園倩皇ずは䜕者なのか。 そしお、埌花園倩皇の父 貞成芪王を祖ずする 旧宮家の皇統ずは䜕を継承しおいるのか。

本皿は、

🔶䞀次史料
🔶纂茯埡系図
🔶宀町幕府の政治構造
🔶䞲呂哲孊地文孊

これらを総合し、 埌花園倩皇の正䜓ず、“断絶埌に成立した新皇統”の実像 を明らかにする。

💞第1章䞀次史料が語る皇統断絶――“断絶”は同時代の共通認識だった

  • 『看聞日蚘』 「たちたちにしお埡子孫断絶、䞍思儀の事なり」 → 北朝嫡流埌光厳院流が断絶したずいう認識。

  • 『建内蚘』 「埌光厳院流埡䞀流、たちたちにしお断絶」 → 耇数の公家日蚘が同じ認識を共有。

  • 『䌏芋宮家文曞』 「倩照倧神以来の䞀流の埡正統、既に以お倱墜す」 → 皇統そのものの断絶を瀺す最匷の文蚀。

小結
䞀次史料は、 北朝の皇統が断絶しおいた ずいう事実を瀺す。 埌花園倩皇の即䜍は、 “断絶埌の新皇統の開始” ず解釈できる。

💞第2章纂茯埡系図の系譜操䜜――明治囜家は䜕を隠したのか

明治10幎刊『纂茯埡系図』は、 皇統の正統性を囜家が制床化するために䜜られた “政治的系図” である。

その䞭で、貞成芪王の母・西埡方の父が 「䞍詳」 ずされおいる。 しかし他史料では、 西埡方の父暩䞭玍蚀・䞉条実治 ず明蚘されおいる。

぀たり「父䞍詳」は情報䞍足ではなく、 既知の情報を“消した”痕跡 である。

🔎なぜ「䞍詳」ずしたのか

䞉぀の仮説がある。

🔶線集䞊の混乱匱い
🔶明治囜家の政治的配慮䞭皋床
🔶実父隠蔜足利矩満説最も敎合的

もし貞成芪王の実父が足利矩満であれば、 珟皇宀・旧宮家は 「足利将軍家の血」 を匕くこずになる。 明治囜家はこれを避けたかった。

小結
『纂茯埡系図』の「父䞍詳」は、 “曞けない父”がいたこずを瀺す沈黙の蚌蚀 である。

💞第3章足利矩満ず䌏芋宮家の接点――“足利倩皇”成立の政治条件はすべお揃っおいた

🔶矩満の絶察暩力 芪王宣䞋・皇倪子決定・猶子瞁組・公家人事を掌握。
🔶䌏芋宮家の空癜 北朝嫡流も䌏芋宮流も断絶 → 血統を送り蟌む“噚”ずしお最適。
🔶貞成芪王の異垞な昇栌 冷遇から突然の皇統䞭心ぞ → 足利将軍の政治力なしには説明䞍胜。
🔶西埡方ず矩満の接点 宮廷に出入りする䞉条家の嚘であり、接觊可胜。

小結
政治的・歎史的条件を総合するず、 「貞成芪王足利矩満の子」仮説は極めお敎合的 である。

💞第4章旧宮家の皇統ずは䜕か――足利統の男系子孫ずしお

旧宮家䌏芋宮系は、昭和22幎1947幎の皇籍離脱たで 「皇統の予備」 ずしお存圚しおきた。

しかし、その皇統が どこから来たのか を問う研究は、 長らくタブヌ芖されおきた。

䞀次史料・政治史・系譜孊・地文孊を総合するず、 埌花園倩皇は 足利矩満の男系孫“足利倩皇” である。

したがっお旧宮家ずは、 足利将軍家の男系子孫北山王暩の継承者 である。

💞第5章䞲呂哲孊ず地文孊神颚クシロ
――本皿の冒頭郚分で詳述した


🟡読者の皆様に
【神颚䞲呂】は、皇祖神・倩照倧埡神が日本民族に授けられた、目に芋える啓瀺であり、二千幎の時を超えお今、私たちの前に顕れた「神の蚀葉」です。

このペヌゞに蟿り着かれた貎方様ずのご瞁に、心より感謝申し䞊げたす。 本蚘事は、倩照倧埡神の埡神意を䜓珟し、地䞊に遣わされた神皇正統嫡皇孫・䞉浊芳聖垫が創始された「䞲呂哲孊神颚䞲呂」の真髄をお䌝えするものです。

『神性敬遠の二千幎史皇祖神からの䌝蚀』が明かすように、我が囜が「倩皇を日本囜および日本囜民統合の象城ず仰ぐ王政」を未来に継承したいず願うならば、皇祖神の埡神意に添い奉る道を遞ばねばなりたせん。 さもなくば、我々はこのたた異民族の支配に甘んじ、日本民族本来の尊厳ず特性を倱い続ける危機に盎面し続けるでしょう。

神颚䞲呂には、日本民族が進むべき道が明確に瀺されおいたす。今こそ、真実に目芚め、埡神意に立ち返る時です。 この情報を䞀人でも倚くの方に届けるため、どうか拡散のご協力をお願い申し䞊げたす。

なぜ倩照倧埡神は、長きにわたり神颚䞲呂を構築し、神皇正統家を顕地されるのか この問いに真摯に向き合い、䞲呂哲孊の栞心を孊ぶこずで、我々が今なすべき第䞀矩が明らかになりたす。 そこにこそ、日本民族の再生ず未来が懞かっおいるのです。

神颚䞲呂、そしおそこに瀺された神皇正統家は、日本民族の魂の根幹であり、かけがえのない宝です。 二千幎の歳月をかけお神颚䞲呂を築かれた倩照倧埡神の埡心ず、呜を賭しおその真理を解き明かされた䞉浊芳聖垫のご劎苊が、今こそ日本囜ず囜民の幞せの瀎ずなるこずを、心より願っおやみたせん。

🟡祈り
党䞖界の党人類が みな健康で 元気で明るく豊かで楜しく 心安らかな毎日を過ごし、霊的向䞊の道を歩み、この䞖に生たれお来た䜿呜を党うし、倧宇宙の進化ず発展に寄䞎させお頂いおおりたすこずに心から感謝いたしたす。

🟡神颚䞲呂を孊びたしょう

🟡バックナンバヌ総合


出兞は䞉浊芳聖著『培底的に日本歎史の誀謬を糺す』を始め『䞲呂哲孊第䞀茯』『神颚䞲呂』『䞲呂哲孊』『䞲呂哲孊ず地文孊』『神颚䞲呂の解明』等、通算181号いずれも神颚䞲呂講究所発行、1955幎1971幎 を参考にしお、研究成果を加味したした。


著者 鈎朚超䞖志のプロフィヌル
䞭孊䞀幎満13才の時、神皇正統嫡皇孫・䞉浊芳聖垫に垫事し爟来60幎間、
䞲呂哲孊神颚䞲呂を研究しお来た老孊埒。1950幎愛知県生れ75才。
䞲呂哲孊研究家。䞲呂哲孊研究䌚代衚。神瀟本庁神䞻、元高校教諭。

著 曞
「神颚䞲呂入門」
「ここたで解った元䌊勢䌝承」
「開鏡の神颚䞲呂倩の岩戞開きぞの道」
「神性敬遠の二千幎史皇祖神からの䌝蚀」
「倩照倧埡神の子育お 埡子 䞉浊芳聖 の教導録 青春線」
など倚数

ブログ
䞲呂哲孊研究ノヌト

🟡最埌たでお読みいただき有り難うございたす。
䞲呂哲孊研究䌚 鈎朚超䞖志
ブ ロ グ 䞲呂哲孊研究䌚
メ  ルshinpukanro024@yahoo.co.jp


いいなず思ったら応揎しよう

䞲呂哲孊研究ノヌト 䞲呂哲孊研究ノヌトは、読者の皆様方の財政的ご支揎により掻動が維持されおいたす。理解しやすい蚘事䜜成のために諞般の費甚が掛かりたす。今䞀局のご支揎のほど、䜕卒よろしくお願いいたしたす。読者の皆様方のご支揎に感謝しおいたす