専業主婦だった義母がキャリアを築いたきっかけはパンツ(スラックス)
これから日本に発つのだが、ここまで1ヶ月余りハワイ島にある義父母の家に居候になっていた。二人とも心から歓迎してくれて良くしてもらった。本当にありがたいことだ。ちなみに義父は夫のステップファザーで夫とは血のつながりはない。
さてこの義母であるが、朝5時くらいに目を覚ましてからずーっとおしゃべりをしている。着想がどんどん湧いてきて次々に話したいことが出てくるようだ。夫と結婚したての頃は、内向的で英語もままならない私はこの勢いに圧倒されていたが、さすがに20年以上付き合っているとお互いに上手く対応することもできるようになってきた。
おしゃべりは今日あったことから、親戚の近況、政治の話、昔の思い出話など尽きることはない。その中でいくつかの思い出話は鉄板ネタとなっているようで、プロのコメディアンのように面白おかしく話してくれるので、こちらも引き込まれてしまう。その中にいくつか私のお気に入りの話がある。その一つのオチを忘れてしまっていつか聞いてみようと思っていた。
昨晩、みんなでレストランに食事に行ったのだが、そこでその話のオチを聞いてみた。そうしたらまた初めから最後まで話してくれたが何度聞いても面白い。落語のようだ。忘備録も兼ねてここでシェアしたい。
ただし私はその臨場感を言葉で伝える力がないので、実際の話はこの10倍くらい面白いと思いながら読んでいただきたい。
義母がキャリアを積むきっかけになった話だ。
1970年代の初め、20代後半の義母は二人の子供を育てるために専業主婦であった。ところが義父(こちらは夫の血のつながった父親)が腰を痛めて仕事を休むことになり収入が途絶えたので、義母は仕事に出ることになった。
知り合いの伝手で職業訓練学校のようなところで、就職の面接にどう対応するかとか、職場でのコミュニケーションのようなことを教えていた。おしゃべりで、機転が効いて、ユーモアがある義母はその仕事がとても気に入っていたそうだ。
義母は今でも美しいが、昔は女優のように綺麗な人だったこともあって生徒からの人気があったのだろう。
ある日、就職の面接についてのクラスを教えていたところ、上司が教室のドアから顔を覗かせて「ちょっと話があるんだけど」と声をかけた。授業中だった義母は、「後にできないんですか?」とうんざりした様子で言ったが、ボスは「緊急なんだ。頼むよ。」と譲らない。仕方なく授業を中断し廊下に出て行った。
上司によると地元の大学のお偉いさんから電話がかかってきて、その当時はまだタブーであったパンツ(いわゆるスラックス)を履いてくる女性に困っていて、相応しい服装で職場に来るにはというテーマを教えられる人を探していると言う。上司は義母が教えられるか伺いに来たと言うわけだ。
授業が気になっている義母はそれに対して、多少イライラしながら「相応しい服装にして欲しかったら、仕事自体に意義がある、やりがいがあると思ってもらうのが一番でしょ」と言い放って授業に戻ったという(この決め台詞を忘れていた)。
授業が終わって職員のための部屋に戻ると、その上司が待ち構えていた。「ケイティ(義母の名)!さっきのお偉いさんに君の言ったことを伝えたら、君に『従業員に仕事の意義を感じてもらうには』と言う研修をして欲しいと依頼されたよ。」と興奮気味に話してきた。依頼人はすっかり「職場に相応しい服装」のことは忘れたらしい。
さらにこの話を聞きつけた地域の大きな病院や会社からも依頼がやってきたため、義母はプログラムを作って研修をするようになった。それが大きな成功を収め、そのままさまざまなプログラムを作って全米で名前を知られている病院や会社、また国際的なカンファレンスにも招かれるようになって、トレーナーおよびパブリックスピーカーとしてキャリアを築くことになる。
キャリアウーマンの先達である。
さまざまなプログラムはどうやって作ったのかと聞いてみると、もちろん本などを読んでリサーチはしたが、基本は「常識よ」と何でもないことのように言う。でも「職場に相応しい服装で着て欲しい」と言うニーズの背後にある、女性を重要な戦力としてみなしていない職場の本質を見抜いた力はただものではない。
私性格は全く正反対の私と義母で、普通だったら親しく付き合うことはなかっただろうが、縁あって家族になったことで少しずつ知り合い、私にないところを学ばせてもらっていることに感謝である。
