変革は、設計できるーーAIの時代に、企業の主権を取り戻す
あるプロジェクトに参画したとき、担当者の方が、ぽつりとこうおっしゃいました。
「改革プロジェクトの号令がかかるのは、この会社に入ってから何回目だろう」
その方は、取り組みに後ろ向きな人ではありませんでした。むしろ、会社をよくしたいという思いを、人一倍持っている方でした。それでも、こういう言葉が口をついて出る。号令はかかる。人は集められる。最初の数回は、勢いよく会議が開かれる。けれど、長い長い検討の果てに、結局は検討そのものが立ち消えになったり、一部のシステムを入れ替えただけで終わり、前と同じ仕事のやり方、前と同じ課題を抱えたまま、次の号令を待つ。
私はERPベンダーで10年、独立コンサルタントとして20年、合わせて30年にわたって、企業の基幹システム刷新と業務改革の現場にいました。その間、同じ場面を、何度も見てきた気がします。
なぜ、こうなるのでしょうか。
この問いに、私なりの答えがあります。今日は、それをお話しさせてください。日本の会社が変われないのは、能力のせいでも、やる気のせいでも、文化のせいでもない。変革を「設計」していないからだ、という話です。そして、設計さえできれば、変革は必ず実現できる——私が30年かけてたどり着いた、いちばんの確信です。
きっかけが、目的になる
会社が「変わる」というのは、本来、ごく当たり前のことのはずです。世の中はこれだけ変わり続けていて、メンバーも入れ替わっていく。止まっているほうが、むしろ不自然です。
それでも、会社が本当に変わるのは、至難の業です。だから経営者は、変わるための「きっかけ」を探します。それがERPだったり、DXだったり、そして今はAIだったりする。きっかけそのものは、悪いものではありません。むしろ必要なものです。
ただ、ここには、見えにくい力学があります。
道具を提案する側は、その道具を入れること、そのものを語るのが仕事です。「これを導入すれば、こう変わります」と。一方、導入する側は、それを受け取る立場にいる。どちらが悪いという話ではありません。立場が違えば、物語の主語も変わる。それだけのことです。
けれど、この構造を知らないままでいると、奇妙なことが起こります。最初は「自分たちは何を変えたいのか」を考えるための、きっかけだったはずなのに、いつのまにか、その道具を"導入すること"そのものが、目的になっている。手段が目的を追い越してしまう。
ERPのときもそうでした。DXのときも、同じ光景を見ました。そして今、AIで、それがもう一度、しかも前より大きな規模で繰り返されようとしています。道具は変わっても、構造は変わっていないのです。
それは、能力でも文化でもない
なぜ、変革は実現せずに終わるのか。
これは、私の現場感覚だけの話ではありません。ある公的な調査でも、日本企業がDXに「取り組む」割合は、件数で見れば米国に並びつつあるのに、「変革」と呼べる成果にまで届いた企業は、まだ道半ばだとされています。号令はかかる。着手もする。けれど、変わりきらない。——その差は、どこから来るのでしょうか。
現場では、よくこんな声を聞きます。「うちは営業と製造の仲が悪いから、無理だよ」。「所詮、システムの話でしょう」。「経営の本気度が足りない」。
でも、私はそうは思いません。
多くの企業を見てきて、確信していることがあります。変革が実現しないのは、社員の方のセンスや能力が足りないからではない。やる気がないからでもない。会社の文化が悪いからでもありません。
家を建てることを、想像してみてください。どんなに腕のいい大工さんがいても、設計図なしに家は建ちません。「なんとなく、こんな感じで」と始めれば、途中で壁の位置が合わなくなり、配管が通らなくなり、最後は住み心地の悪い家ができあがる。あるいは、途中で頓挫する。
これは、大工さんの腕のせいでしょうか。違います。設計図がないまま、建て始めてしまったからです。
企業の変革も、まったく同じです。長い検討で終わってしまうプロジェクトは、設計図がないまま、建設を始めてしまった——ただ、それだけのことなのです。
私は、両方の会社を見てきました。片方は、号令から三年、長い長い検討の果てに、一部のシステムを入れ替えただけで終わった。もう片方は、最初の半年を「何を・どの順で決めるか」の設計に充て、そこから一年で、最初の成果が形になった。違いは、能力でも予算でもありません。何を・どの順で決め、どの段階で、どこまでの粒度の図面を引くか——その段取りまで含めて、建てる前に、具体的に描けていたかどうか。それだけでした。
設計とは、霧を晴らすこと
「設計」という言葉に、少し違和感を覚える方もいるかもしれません。設計とは、図面を引いたり、仕様書を書いたりすることではないのか、と。
ここで言う設計は、もっと根本的なことです。
どこに向かいたいのか。なぜ、そこに向かう必要があるのか。現状の何が問題で、何を変えるべきなのか。それを、どういう順序で、どういう体制で進めるのか。——こうしたことを、ひとつずつ論理的に組み立てていくプロセス。それが、私の言う「設計」です。
もう少し、具体的に言います。設計とは、先の見えない霧を、一つずつ晴らしていく作業です。何のためにやるのか。何を変え、何を変えないのか。誰が決めるのか。どの順序で合意していくのか。——最初はぼんやりとした、ひとつの大きな霧の塊だったものを、答えるべき問いに分け、手前から一つずつ晴らしていく。そして、晴れたところから順に、関係者の合意を、ステップとして積み上げていく。
だから私は、企画・構想というフェーズを、「答えをひねり出す活動」でも「借りてきたもっともらしい言葉を並べる活動」でもなく、「設計を行うための段取りと構造を整える活動」だと考えています。いきなり結論に飛ぶのではなく、何を・どの順で決めれば、組織として納得して前に進めるのか。その地ならしを、組織として行うこと。
企画・構想フェーズを進めていると、マネジメントの皆さんが良かれと思って様々な角度から質問してきます。「効果は見極めたのか?」「システム構築ベンダーは今と変えるのか?」「生産本部に根回しはできているのか?」——どの質問も、決めるべき問いです。
問題なのは、それが順番ではないこと。決めること・合意することが、論理的な順序になっていなければ、疲弊するまで堂々巡りにはまります。
「変革は設計できる。設計できたものは必ず実現できる」と言うと、こう返されることがあります。「必ず実現できる、は言いすぎではないですか」。たしかに、計画どおりにすべてが進むわけではありません。予想外のことは起きるし、設計中に人も市場も変わります。
けれど、ここで言う「必ず実現できる」は、計画どおりに進む、という意味ではないのです。霧を一つずつ晴らし、合意を一段ずつ積み上げてきた取り組みは、一人の頭の中の名案ではなく、組織が納得して登ってきた階段です。だから、途中に障害が現れても、どこで詰まったのかが分かり、組織知として迂回路を探せる。今どこにいて、あとどれくらいなのかが分かる。
大切なのは、順序です。全体としてどこへ向かうのか、整合性は取れているのかを確認しないまま、目の前の分かりやすいところから深掘りしてしまう——それが、いちばん危うい。いったん細部を作り始めると、走るほどに矛盾が生じ、後戻りが効かなくなります。だからこそ、本格的に手を動かし始める前に、「これは組織の実力に見合うのか」「全体の整合性はとれているのか」を、自分たちで見極められる状態を、先につくっておく。それが、設計です。
逆に、設計がなければ、そもそも「うまくいっているのか、いっていないのか」の判断すらできません。また、合意形成を行うにしても、前提が共通認識できていなければ堂々巡りになります。判断できなければ、手も打てない。合意形成できなければ、先に進めない。だから、止まるのです。
設計できないものは、実現できない。けれど、設計できたものは、必ず実現できる。たとえ途中で修正が入っても、必ずゴールにたどり着くまで進めることができる。これが、30年プロジェクトに関わってきた中で、私がもっとも強く感じていることです。
では、何を設計するのか
では、具体的に、何を設計するのでしょうか。私は、三つあると考えています。
ひとつは、仕事のつなぎ目をそろえること。ひとつは、その状態を、情報システムを使っていつでも見えるようにすること。もうひとつは、それを日々続け、変え続けること。順に、お話しします。
一つめ:マネジメントプロセス
出発点は、シンプルな問いです。どんな組織にとっても、究極の責任は、目標を達成することです。 売上であれ、利益であれ、納期であれ、品質であれ、背負っている目標を、達成する。そこに、すべての仕事が向いているはずです。
ところが、この「目標を達成する責任」は、そのままでは大きすぎて、誰も手を動かすことができません。だから、分解します。
自分の前の工程から受け取るものを、確認すること。自分の後の工程へ渡すものを、約束すること。組織全体の予算を、自分の持ち場で達成すること。そして、絵に描いた餅ではない、リアリティのある実行計画をつくること。——目標達成という大きな責任は、こうした一つひとつの責任に分解されます。
これを、企業の中の機能ごとに——営業も、製造も、調達も、経理も——それぞれが果たす。そして、機能と機能の接点、つまり「誰が誰に、何を約束し、何を確認するか」を、つなぎ目ごとに揃えていく。
ある会社で、こんな場面がありました。営業は営業の見込みで走り、製造は製造の計画で走る。月末になって、二つの数字がはじめて突き合わされ、慌てた残業と値引きで、帳尻を合わせる——それが毎月、繰り返されている。誰も、怠けてなどいません。ただ、営業が製造に「何を、いつまでに約束するか」という、つなぎ目の取り決めだけが、どこにも書かれていなかったのです。
そこまでやって初めて、組織全体での取り組みの設計図ができあがります。これが、一つめの設計対象、マネジメントプロセスです。
結果、組織に神経が通い、一つの意思をもって全体が動くようになる。これが組織における全体最適の要点であると、私は考えています。
二つめ:情報環境
情報システムという箱そのものではなく、その箱を使って、仕事の状態がいつでも見える状態——それを設計する、ということです。ここで肝心なのは、いま分解した責任——前工程の確認、後工程への約束、予算の達成——を、情報環境を通じて、いつでも確認できるようにすることです。情報システムの目的は、伝票処理の連鎖——入力し、処理し、帳票を出す——を速くすることだけではありません。
ひとつ、忘れられない場面があります。ある会社で、十数億円をかけた新しいシステムが入り、二重入力はなくなり、入力する画面も、処理の流れも、出力される帳票も、思い通りになった。入力から処理、出力まで、伝票の流れそのものは、見違えるほど滑らかになったのです。けれど、稼働から半年たって、気づいたのです。月末の会議で部長が見ている数字は、部長会報告様式の三枚の表のまま。交わされる会話も、前と何ひとつ変わっていない。伝票の処理は変わったのに、マネジメントは、まったく変わっていなかった。器を新しくしただけで、その器で「何をOKとし、何をNGと判断するか」が、設計されていなかったのです。情報システムは、処理の道具だけでなく、判断の道具でもあるのです。各ビジネスの結果に対して基準値を設け、OK・NGを判断し、取るべき対策・関係者への周知をルール化する。判断の道具と、それを活用するプロセスやルールの整備があって、情報システムは生きます。本来の役割の半分以上を、私たちはここで取りこぼしているのではないか——そう思うのです。
三つめ:組織の習慣
組織の習慣には、二つの中身があります。ひとつは、情報環境を通じて、日々OK・NGを判断し「続ける」こと。日々の活動において、前工程の確認、後工程の約束が守れているかを、判断し続ける。もうひとつは、その判断の枠組みそのものを、状況に合わせて継続的に組み替えていくこと。市場も会社も変わるのだから、判断の基準も、変わっていく。たとえば、毎月の会議が、決まった数字を報告するだけの場から、「この基準のままで、本当にいいのか」を問い直す場に変わっていく。先月まではOKだった水準が、今月は引き上げられる。この「判断し続け、組み替え続ける」を当たり前にすること——それが、勝つ習慣を組織に取り込む、ということです。
マネジメントプロセスと、情報環境と、組織の習慣。この三つを設計すること。それが、変革を設計する、ということの中身です。
設計がないと、主権を明け渡す
ここで、いちばんお伝えしたいことに入ります。
なぜ、設計がそれほど大事なのか。それは、設計があるから、企業は主権を保てるからです。逆に言えば、設計がないから、主権を明け渡してしまう。
企画や構想のフェーズは、本来、企業が自分たちでやるしかない部分です。「自分たちは何を変えたいのか」を、自分の言葉で決める。これは、外の誰かに代わりにやってもらえるものではない。多くの担当者の方は、そのことを、ちゃんと自覚しておられます。自分たちでやらなければ、と。
ところが、です。設計の骨格を持たないまま検討を続けていると、どうなるか。議論は拡散し、何を決めればいいのかが見えなくなる。そして、その空白を埋めるように、"導入そのもの"を語るベンダーの言葉が、すっと入り込んでくる。「まずは製品を見ましょう」「他社はこうしています」。気がつくと、自分たちの問いだったはずのものが、製品選びの話に上塗りされている。
たとえば、こんな具合です。ある会社では、はじめ、「どの立場の人が、どの数字を根拠に、何を判断すべきか」を議論していました。ところが、今のシステムでは、処理のタイミングや、どの数字を含めるか含めないかで、部門ごとの数字が微妙に合わない——いつのまにか、その食い違いのほうが、議題の中心になっていきます。担当者は、それを課題として、ベンダーに相談しました。すると、「それなら、すべての業務を一つにまとめたERPにしましょう」と返ってくる。そこからは、「では、どのERPがいいか」。会議は、製品の比較検討へと移っていきました。そして、最初に交わしていたはずの「何を見て、誰が、何を判断するのか」という問いは、いつのまにか、消えていたのです。
彼らは、自分の仕事をしているだけです。問題は、こちら側に、上塗りされない芯がなかった、ということなのです。
設計とは、その芯です。「自分たちは何を実現したいのか」を言葉にして、相互に整合性のとれた構造に組み立てておく。それがあれば、どんなに魅力的な提案が来ても、「うちが変えたいのは、ここだ」と立ち返れる。主権は、企業の側にとどまります。
道具は、道具にすぎません。会社を変えるのは、結局のところ、組織と人です。けれど、その当たり前を守れるかどうかは、設計があるかないかにかかっている。主権は、唱えれば保てるものではなく、設計して初めて、関係者が共通して理解できる図面として手元に残るのです。
もし、すでに製品選びの話に上塗りされかけているとしても——遅くはありません。設計とは、いちど明け渡しかけた主権を、もう一度こちらの手に取り戻す作業でもあるのです。
AIの時代こそ、設計が要る
そして今、この話は、AIによって、いちだんと切実になっています。AIは、設計が要ることの、最新の理由だからです。
よく「AIに任せれば、いい塩梅でやってくれる」と言われます。けれど、AIは、判断基準を自分では持っていません。何を優先し、何を捨てるか。その物差しを与えるのは、人の側、会社の側です。
たとえば、製造ラインの一部が止まり、出荷の約束は動かせない。協力工場に割高で頼むか、利益率の低い商品を止めて主力に絞るか、小口の顧客に納品の遅れをお願いするか。どれを選んでも、何かを失います。ここでAIに「いい塩梅で」とだけ指示すれば、返ってくるのは、どれも中途半端な答えです。八方に少しずつ配ったつもりが、八方からため息が漏れる。
これは、製造現場に限った話ではありません。営業でも、経理でも、同じことが起こります。たとえば、あなたが経理部長だとします。判断の基準を言葉にしないまま、AIに委ねる。するとAIは、ルールも背景も問わず、一般的な事例や、ERPに溜まってきた過去のデータから、それらしい答えを、根拠もなく差し出してきます。あなたは、それを経営会議で報告することになる。——その数字を、どう説明しますか。なぜ、そうなるのか。判断の基準を持たないままでは、自分の言葉で、その理由を語ることができないのです。
AIの判断は、一般的な事例から学んだ凡庸な答えであって、あなたの会社の意思を推察してくれるわけではありません。あなたの会社の、顧客に対するポリシー、製品ごとの優先順位、利益の考え方——それらを、言葉にして渡していないからです。明文化されていないものを渡せば、曖昧な答えが、そのまま返ってくる。AIが出す「いい塩梅」は、あなたの会社が判断基準を言葉にしてこなかったことを、そっくり映し出す鏡なのです。
ここが肝心です。AI導入は、突き詰めること、言語化すること、ルールにすることの、逃げ道にはなりません。 むしろ、それらを避けてきた会社ほど、AIを前にして立ち尽くす。何を任せたいのか、そのポリシーやルールを言葉にできなければ、AIに何を学ばせ、何を判断させればいいのかが、決められないからです。
言い換えれば、設計がなければ、AIは動けない。AIに与えるべき判断基準とは、まさに、これまで話してきた「設計」そのものだからです。道具が新しくなっても、考えるのが人の仕事であることは変わりません。ERPのときもそうでした。AIになって、それがいっそう、はっきりしただけなのです。
私は、AIという流行に乗りたくて、こう言っているのではありません。逆です。AIという華やかな号令は、自社の判断基準の空白を、いっとき、もっともらしい答えで覆い隠してしまう危うさを持っている。だからこそ、AIに向かう今こそ、設計が——自社の判断を、自分の言葉にすることが——これまで以上に要るのです。
設計は、誰の仕事か
最後に、もうひとつ。設計は、誰の仕事か、という話です。
「誰に任せるか」と考えた瞬間に、変革は、すでに半分ずれています。設計は、丸ごと外注できるものではありません。オーナーにはオーナーの、PMにはPMの、現場のリーダーにはリーダーの、それぞれが当事者として果たすべき設計がある。各階層が、それぞれの持ち場で当事者になり、結果として、組織として動く。その絵姿を、私は目指したいと思っています。
とりわけ、取締役が動くかどうかは、決定的です。これは、上申の技法の問題ではありません。「この構造なら、当然そうなる」という理解の問題です。設計があれば、経営は、何に対して覚悟を決めればいいのかが分かる。覚悟が決まれば、現場は安心して走れる。
覚悟を決めた経営には、続けて、やるべきことがあります。その活動の状況を、継続的に、経営の場で共有させ、経験豊かなマネジメントとして、ときに助言を与えることです。それは、進捗を管理し、承認することではありません。経営自身が、当事者として積極的に関与するということです。
さらに、進む邪魔になっている要因が見えたら、それを必ず取り除く、と経営自身がコミットすることです。設計を担う人に「あとはよろしく」「良いものができれば承認する」と距離を置くのではなく、自ら悩み、経営にしかできない障害を取り除く役を、引き受ける。
そして、もし経営が、まだ動いていないのなら——その経営に、最初の問いを差し出し、ペンを持たせる。働きかける側に回ることもまた、自分の持ち場の、れっきとした設計です。
私たちのようなコンサルタントの役割は、その設計を、代わりにやってあげることではありません。覚悟を決めた人が、自分たちで設計しきれるように、黒子として並走すること。主権は、あくまで企業の側にある。私は、そう信じています。
今ここに、覚悟を問う
なぜ、ここまでこだわるのか。長く現場にいて、いちばん見たくなかったのは、失敗そのものではありません。号令のたびに振り回され、「どうせ、今回も変わらない」と、人が静かに諦めていく姿でした。
変革は、アートではありません。一部の優れた人のセンスに、ゆだねるものでもない。きちんとした手順——いわば、取扱説明書——にしたがって進めれば、必ず設計できる。そして、設計できたものは、実現できる。それが当たり前になるように、私は企画・構想というフェーズを、誰もが同じようにたどれる型として、磨き続けてきました。
変革が、手順にしたがって進める当たり前の活動になれば、組織の中の誰もが、それを自分の手で担えます。そうして、変わり続ける会社が、特別ではなく、普通になっていく。——私は、そういう思いで、この仕事を続けています。
道具に振り回されるのではなく、「自分たちは何を変えたいのか」を、自分の言葉で語れる。そんな会社が、当たり前にある社会になってほしい。私は、ずっとそう願ってきました。
30年、現場の隣で、この話を一社ずつしてきました。ERP、DX、AI——その間にも、為になるきっかけは、いやというほど次々と生まれ、そして、その多くが、いつのまにか目的に変わっていく。それを、ずっと見てきました。だから今度は、業界の片隅からでも、少しでも誰かの気づきになればと思って、こうして書いています。
冒頭の、あの担当者の「号令がかかるのは、何回目だろう」という言葉を、いまも思い出します。私が願うのは、「会社が変わり始めたのは、あのプロジェクトがきっかけだった」と振り返ることができるようになることです。次の号令がそうなるために、変革を設計する必要があるのです。
変革は、気合いの問題ではありません。論理で、設計できる。設計があるから、主権が保てる。AIの時代は、その当たり前を、「やっておいたほうがいい」から「やっていないと、次に進めない」へと、静かに押し上げています。
では、覚悟を決めた経営は、何から始めればいいのか。最初の一歩は、立派な計画書をつくることではありません。まず、経営自身が、一枚の紙に書いてみることです。何を変えたいのか。なぜ、今なのか。変わったら、何がどう良くなるのか。——立派な文章である必要はありません。自分の言葉で、その問いに答えてみる。それが、設計の最初の一筆です。そのうえで、「この指とまれ」と言える、中心になる一人を決めて、その紙を見せながら、行間を熱く語る。それが、経営者の意思を、変革の軸としてつなぐことになります。旗を立て、人が集まる核をつくる。変革は、いつもそこから始まります。
そして、書いた紙は、独り占めしないでください。共に走る人たちと、その中身を確かめ合う。目指す場所と、変わる覚悟が、まだ揃っていないと分かったなら——走り出さない。それを決めるのも、設計のうちです。走り出してからも、道の途中で迷いが生まれたときには、この一枚の紙が、立ち返る場所になります。
私は、答えを配るために、これを書いているのではありません。考えるきっかけになりそうな、問いを置いているつもりです。
あなたの会社は、何を変えたいのか。それを、自分の言葉で語れるでしょうか。器を整える前に、その器に、何を入れたいのかを。
その問いの前で、一度立ち止まっていただけたなら——いちばん、嬉しく思います。
——もし、どこか一行でも、あなたの現場と重なるところがあったなら、スキやコメントで、そっと教えてください。次を書く励みになります。
—— 巻幡雄毅/マネジメント・プロセス・コンサルティング株式会社 https://mp-c.jp/
