【奧さん11<終>】降伏の回想録 ──陛下とミジンコの完全犯罪
【閲覧注意】
本作には性愛に関する描写が含まれます。
18歳未満の方、およびこうした表現に抵抗がある方は閲覧に注意が必要です。
また、男女ペアの信頼関係を前提とした、ブラックジョークや毒舌も書かれています。
あらかじめご承知おきください。
この作品は思考実験であり、完全なるフィクションです。
22歳の私が、あの「本物」を仕留めるまで
22歳の私は、恋に落ちた。
いつも他部署と不毛な仕事の押し付け合いをしていた、あの見苦しい泥仕合の場所。
言葉をいくら飾っても、互いに「うちの案件じゃない」を連呼しているだけの大人の醜い空間に、5歳年上の兄の同級生である「彼」がいた。
彼はその泥仕合の案件を見るやいなや、タブレットを片手に現れ、鮮やかな解決策を提示してみせた。
「これはこちらでやった方が早く終わります。……というかもう終わったも同然です」
私には手品としか思えなかった。
視点を少しずらし、既存の枠組みのなかで最もよく似た例を引いて、一瞬で場を収めてみせたのだ。
でも、彼は私の無能な指導係に一言、鋭く釘を刺すことを忘れなかった。
「今回はこちらのデータや枠組みが効率的だから引き受けます。ただし、具体的に何も考えず、仕事を押し付け合う泥仕合は新人の彼女の前で見せるべきではない。あなたが彼女の指導係ですか?こちらに仕事を持ってくるなら、具体的なデータとアイデアを持ってきてもらいたいですね」
その冷徹で知的な声が、頭から離れなくなった。
と同時に、当時付き合っていたカレが、ひどく甘ったれたボウヤに見えてきて、すぐに別れた。
プロ意識もない、無知で無責任、愚鈍で優柔不断なカレ。
彼の対極の、カスのようなお坊ちゃん。
なぜあんなくだらない男と嬉々として付き合っていたのか、自分でも謎すぎて決定的に冷めた。
別れ際、カレの目の前であえて鼻をほじって舐めてみせ、もう一回ほじった塊をカレに向かって弾いてやった。
それくらい、私の中でパラダイムシフトが起きていた。
親の家に帰り、彼について詳しく聞き出すために、首都圏で裁判所事務官をやってる兄にメッセージを送った。
兄からのレスは「アイツは超優良物件でオススメだけど、取り扱い注意」という微妙なもの。
頭に「?」を浮かべていると、すぐに兄から電話がかかってきた。
絶対に逃すな!アイツは俺の同級生でガチの秀才だ。県で五指に入る。
でもな、絶対に駆け引きを仕掛けるな。理由は後から教えてやる。
兄ちゃん、わからないよ。どういうこと?
アイツは頭が切れるし、相手の思惑を瞬時に読み取る……というか、疑念が湧いて脳のリソースを使ってしまうんだ。……
わかりにくく遠回しなアプローチにはうんざりしてるんだよ。元カノはそんなのばっかりで、全員もれなくシャッターの外に追い出された。
アイツが最も嫌うのは『察してちゃん』だ。……アイツな、母親のヒステリーに酷く苦しんできた。毒親を完封するために中3で反抗期を捨てて、すべての力を学業成績に向けたんだ。……
「俺に指図するな、支配しようとするな」って突っ張って生きてきた男なんだよ。
兄は一息に言った。
アイツは駆け引きの裏にある打算が大嫌いで__キ○ガイと支配欲を最も嫌う。オオカミか暴れ馬みたいな男だ。ただ真っ直ぐに行け!
それしかアイツを落とす術はない。お前なら落とせる。自信持て!
今カノはいないし募集もしてない。お前は俺の妹だ!すげえアドバンテージだぞ。ガシガシ行け!
その言葉通り、私は何かと理由をつけては彼のところへ行った。
「友達の妹」というだけで、彼の警戒心は秒で解けた。
帰り道の待ち伏せだって、何だってやった。
恋はやったもん勝ちだから。
私のまっすぐな猛アタックを受けて、彼の瞳が日を追うごとに、少しずつ優しくなっていくのがわかって、たまらなく快感だった。
ガードを越えられ、すべてを奪われるまで
コイツは何なんだ?
なんで、こんなにガツガツ来るんだ?
それが、彼女に対する最初の印象だった。
あいつの妹だということは知っていたし、こないだの泥仕合のときには新入社員として採用されていたことも知っていた。
それにしても、あの時の彼女の指導係はマヌケ面だった。
年齢しか取り柄のないアホな女。
指導されるべきはお前だ、新人から蔑まれていることに早く気づけバカ、と思っていた。
そういうバカな女を見ると、実家のヒステリークソババアを思い出して胃がキュッとなる。
あまりに直球で突っ込んでくる彼女に、たまらず兄貴(同級生)に電話を入れた。
「お前の妹がガツガツ来るんだが、俺の何を欲しいんだ?」
あいつは即答した。
「お前のすべて!」と。
彼女と接するうち、つい口から「奥様」という言葉が出てしまった。
理由は自分でも分からない。
ただ、今から思えば、あの時点で「俺の嫁」だと無意識に認識していたのだろう。
当時の細かいことはもう忘れた。
なし崩しに、すべてのガードを越えられていった。
つい、意地悪な言葉をぶつけて試してしまうこともあった。
「奥様の指導係、あれはアホだろ?……ごめんごめん、大人としてそんなことは言えないよね」
すると彼女は「いいえ、アホです。おしゃべりマウント勘違いのイタい育児ママです」とこれ以上ない切れ味で即答した。
誰かに聞かれて、アホ年増に注進されたとしても、私が全部かぶっていくらでも頭を下げてやる。
こんな頭を下げて、許してくれるなら、いくらでも下げてやる。
安いものさ。
俺みたいなミジンコの頭を下げさせて、マウントママさんの溜飲が下がるなら、いくらでも下げさせてやる。
奥様の指導係が怒ってきたら、俺を呼んでくれ……いや、全部俺のせいにしてね。いくらでも謝ってやるから。
はい。もちろん。あなたにお任せして、反省したフリして脳内で指さして笑わせてもらいます。
……もし、そうなったら、あのヒト、多分『あなたにおかしなことを吹き込んだ彼、私がやっつけといたから、頭を下げさせたわ』だけで済むことを、3時間くらいしゃべりたおして、課長から注意されそうです。
……あのヒトは上層部から見捨てられてるよ。誰も指導しない。
指導したら、延々と粘着して『お気持ち表明』を3時間、課長の机の前で繰り出すし……。
……別室に連れて行かれると、セクハラとか言い出すし、はっきり言って、自主退職待ち。そのうち新幹線通勤が必要なところに転勤させられるよ。『辞めろ』って勧告だね。……
でも、致命的にバカだから、人事に通報するよ。その人事が命令してるのにね。
でしょ!?新人の私でも分かりました。まともな人はみんな、絶妙に回避しているか、適当にあしらってる空気感が可笑しいんです。
そして、お客さんの前でも平気で何十分もおしゃべりするんですよ。
声がもう、甲高くて耳障りで。
……アレの取巻きの一人に、黒光りマッシュルーム頭32歳男が居て、ソイツが私に粘着してきてキモいんですよ。なんか勘違いしてて、私を『俺の女』扱いして、酒の席でボディタッチを繰り返すし、名前を呼び捨てにしてくるし、……相手にされないから脳がバグったのか、『俺の能力を活かして高給取りになる』とか言い出して転職しました。自分の送別会に遅刻するようなヤツ、よく転職できしたよね。あはははは。よほど人手不足なんですね。
……でも、どうして、そんな非常識なオバさんを私の指導係にするって、どういうことなんでしょうか?私への嫌がらせですか?
違うよ。「こうはなるなよ」って実地教育だよ。……そのマッシュルーム頭、知ってるよ。顔だけ。整った顔だけど、は虫類の目とニヤけた口元。
女性陣からはもう、散々な言われようで、笑ってしまうくらいにひどい。「仕事できる男ムーブをかましてる凡人」
「世話になった上司への餞別が、しわくちゃの千円札で、しかも封筒にも入れてなかった」
極めつけに「ブレイン・ブロウクン・サイコ・黒光りマッシュ」とか。
……精一杯弁護させて。彼、賛否両論な男と言えなくもない。
……ぷぷぷぷぷ。
……他愛のないおしゃべりが楽しかった。
彼女の顔って、本当にかわいいんだなって。
性根の醜い女ばかり見てきたのかも知れない。
そんなもんはもう見たくない。
その打てば響く潔さに、どうしようもなく惹かれていった。
夢中になって、そのバカたちをネタにしてずっとしゃべっていた。
もう彼女の虜だったのかな。私は。
そういう関係になるのに、そう時間はかからなかった。
若い女にしてはもったいぶらない潔さがあった。
気づけば、彼女に「好きだ」と囁き続けている自分がいた。
後で反省した。
「『好き』なんて、ガキみたいだ。明日は『嫌い』になるのかもしれないのかよ__無責任だった」と。
シンプルに「あなたの顔はかわいい。どんなときでもかわいい。どんな顔でもかわいい」くらいにしておけばよかった。
ある時、彼女に聞いたことがある。
「……こういうことに……さすがに思い切りが良すぎでは?」と。
彼女はすぐにレスを返してきた。
「旦那様。あなたのすべては私のもの!逃げてもダメ。逃さないから」
その迷いのなさに、完全に降伏した。
私が決定的に冷めるのは__いや絶望するのは、情事の場だ。
ベッドの上でまで「察してセックス」をされると、その夜を最後として、私はその女を切り捨てる。
ただし、果実(快楽)だけはしっかり執拗に刈り取るがね。
あとはいつ関係を切るかだけ。
別にプレイボーイなわけではない。
途中で嫌気がさすから、情事まで至ることが滅多にないだけだ。
クソババアをよぎらせる女は即断捨離。
元カノたちが情事中に「察してちゃん」を炸裂させると、私は友人から仕入れた「方法論」をすべて執拗に試して、好き勝手に振る舞った。
案外、女って、自分の全能感で、ドーパミンだかエンドルフィンだか、勝手に分泌し、勝手に悶絶するんだね。
……要は、実物の男をバイブレーター代わりにした、女の自慰にお付き合いしたってわけだ。
そんな私も、彼女と付き合ってから、一緒にメロドラマを観ているとあまりの優柔不断な登場人物たちにイライラが止まらなくなる。
「作劇の都合なんだろうけど、こいつら実際に居たら卑怯な無責任クズ、万死に値する」
……と毒を吐く私を、彼女はいつも少し呆れたような、優しい目で見て癒やしてくれた。
後になって、彼女から笑いながら打ち明けられた。
「兄ちゃんから聞いたよ。あなたは何回も恋愛で失敗して、女子に優しく完璧に大切にしすぎて、結果相手を女王様にして、結果嫌になって一方的に切っちゃうんだってね。元カノにビンタ何発も食らったんでしょ?」
私はただ、苦笑するしかなかった。
「ビンタで済むなら御の字だ」
かつて兄貴__今は義兄に漏らしたその言葉を、今の我が妻は、最高に愉快そうに喉を鳴らして笑うのだ。
……ねえ、旦那様、そんな泥仕合のオフィスから始まった私たちの完全犯罪も、気づけばずいぶんと遠くまで来たわ。
今では上は6歳の娘と、下は2歳の男の子を私に産ませてくれた。
あなた、平日は完璧な執事のフリをして私を極限まで甘やかし、週末は自走式に育ちつつある子どもたちを連れてワンオペで遠出する。
相変わらず外ではお互いに「悪党」の嘘を吐き散らしながら、夜になれば時計をひっくり返して、「邪法」と報復の極上の夜を終わらせない。
本当にエロい旦那様。
奥さま……あの泥仕合のなか、打算もなく真っ直ぐに突っ込んできてくれた陛下に、私は今でも平伏するばかりのミジンコです。
御意のままに。
「邪法」などと。
私はただの忠実なる僕であり、陛下の御安泰と心の平穏を守るために、この身を捧げているにすぎません。
家臣として当然の義務でございます。
陛下、これまでも、これからも、私に何なりとお命じください。
あなたの意に沿うよう、微力ながら最善を尽くし続けることを誓います。
完
この話は現実世界とは無関係です。実在の人物は一切登場しません。
マジレスをしないでください。
