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【思考の設計】 安心の設計図は、一人ひとり違う:真価を引き出すための環境論

「努力が必要だ」
「厳しさや根性こそが人を育てる」

そう信じて、がむしゃらに頑張ってきた世代があります。


一方で、現代の「Z世代」と呼ばれる若い世代は、「褒めて伸ばす」ことや「納得感」を重視すると言われています。

この価値観の断絶を前にしたとき、
私たちはつい「どちらが正しいか」を議論してしまいがちです。

しかし、ふと自分自身の過去を振り返ってみたとき、一つの共通点に気づきました。


それは、私たちが最高のパフォーマンスを発揮できていたとき、
そこには必ず「自分にとって安心できる環境」があったのではないか、ということです。



「自由」が不安になる人、「規律」に安らぐ人

一般的に「安心できる環境」と言えば、
優しく肯定されたり、自由に自分の裁量で動けたりする場所をイメージするかもしれません。

しかし、現実はそれほど単純ではありません。


例えば、右も左もわからない状態で

「自分の思うようにやってごらん」

と言われたらどうでしょうか。

やり方もゴールも不明確なまま放り出されることは、人によっては「自由」ではなく、底の見えない「不安」に繋がります。


逆に、「とりあえずこの通りに、がむしゃらにやってみて」と明確な指示を与えられる方が、
足場が固まっている分、
安心してエネルギーを注げるという人もいます。

行動の意図が丁寧に説明され、
自分が納得できているからこそ、
迷いなく動けるという「納得による安心」も存在します。


つまり、安心の形は決して一律ではないのです。


「厳しさ」が安心を作ることもある

また、失敗への向き合い方も人それぞれです。


ミスをしたときに
「大丈夫だよ、よくあることだから」
と優しく声をかけられて救われる人がいる一方で、
どこか違和感を抱く人もいます。


「自分が悪いことをしたのなら、もっと厳しく叱ってほしい」
「なあなあにされることで、自分の成長機会が奪われているのではないか」


そう感じる人にとって、適切な叱責がない環境は、かえって不安定で不誠実な場所に映ります。

また、自分に対してだけでなく、
誰かの明らかなミスが放置されているのを見たとき、

「この組織は正しく機能していないのではないか」という不信感……つまり、安心の欠如が生まれることもあります。


「厳しく規律が守られていること」が、ある種の人にとっては「公平性」という名の強力な安心感になるのです。


相手の「足場」を観察する

「安心できる環境」とは、単なるぬるま湯のことではありません。


その人が、背後の不安を気にすることなく、
目の前の課題に全神経を集中できる状態のことです。


では、私たちは何を変えていけばいいのでしょうか。

それは、相手を一括りにせず
「この人はどこに足場を置いたときに、最も安定するのか」
を観察することから始まると考えています。


• 手取り足取りの指示を求めているのか。
• 目的の納得感を求めているのか。
• 規律による緊張感を求めているのか。

相手が安心できるポイントを外したまま、
いくら「良かれと思って」接しても、
その人の真価は引き出せません。


おわりに

安心の設計図は、一人ひとり異なります。


相手を理解しようと努め、その人に合った環境を共に作っていくこと。

それは一見遠回りに見えますが、
結果として個人のポテンシャルを最大化する、
最も論理的で温かいアプローチではないでしょうか。


私自身も、自分にとっての安心、
そして隣にいる誰かにとっての安心を、
もう一度静かに見つめ直してみたいと思います。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今日もあなたが自分だけの設計図を描き始める、ささやかなきっかけになれば幸いです☺️

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