西国三十三所-1
西国三十三所霊場の起源は平安時代初期の養老2年(718)徳道上人という僧が、重い病に倒れて仮死状態になり、その間に 閻魔大王のもとへ行ったという伝説がある。そこで閻魔大王から、「この世に戻ったら、人々を救うために観音菩薩三十三霊場を広めよ」と命じられ、その証として三十三の宝印を授かった。これが西国三十三所のはじまりとされている。徳道上人は霊場を広めようとしたけれど、当時は時代が早すぎて、ほとんど広まらなかった。約270年後(平安中期)花山法皇(第65代花山天皇)がその志を継ぎ、実際に三十三所を巡礼して整えた。11世紀頃の開創とされる。江戸時代には観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三観音や秩父三十四観音と併せて日本百観音と言われるようになり、巡礼が盛んに行われた。
霊場の特徴としては
・日本で最も歴史がある霊場巡礼とされている。
・札所は、近畿地方2府4県と岐阜県に点在する三十三箇所の札所寺院と三箇所の番外寺院からなる。
・公式には、札番のある三十三箇所の霊場だが、番外も広く認知され巡拝されている。
・団体及び個人巡礼含め、現在も多くの参拝者がいる盛んな霊場である。
・専用の納経帳、御影帳もあり、納経所の受け入れ態勢も整っている。
・札所である三十三箇所の寺院が西国三十三所札所会という名の霊場会を設立している。
使用した納経帳と御影帳
和綴じで200ページの幻想華紋柄の納経帳を観音霊場専用にして使っています。御影帳は専用の物を札所で買い求めました。

多少下手でも味があって自分では満足しています。
納経帳の題箋下の空白は実物には苗字が書いてあります。
納経所でお願いすれば書いて頂けることもあるようです。
参考資料
西国三十三所をめぐる本 (JR西日本の公式ガイドブック) 西国三十三所札所会公認
この本は、札所の最寄駅まで電車で行って駅でスタンプを押すスタンプラリーの公式ガイドブックですが、札所の基本情報が盛り沢山で巡拝で一番役に立ちました。
1. 巡礼の概要・歴史・巡り方など、巡礼の全体像をわかりやすく解説している。
2.お寺の歴史、本尊や見どころ、建築・仏像・庭・絶景スポットなど、おさえておきたい情報が載っている。
3.札所ごとのアクセス(鉄道利用が意識された構成)
4.札所や周辺の見どころが分かる。

本文159ページ 500円+税


西国巡礼 三十三所の歴史と現代の意義 西国三十三所札所会監修
この本は、西国三十三所という「巡礼制度」の歴史を段階的に整理して巡礼の意義を考察する内容となっている。中級読者向けの「読み物としても深い内容」で面白い。

本文347ページ 2500円+税
今回は、西国三十三所霊場の第01番札所青岸渡寺から第07番札所龍蓋寺(岡寺)及び、番外札所法起院を加えた8ヶ寺の御朱印をご紹介します。
第01番札所 那智山 青岸渡寺
左肩にある印は、草創1300年記念の特別印が希望者に押されています。1300年を迎えたのは平成30年(2018)です。これを記念し、平成28年(2016)3月から令和2年(2020)年にかけて押されました。その後、さらに令和5年(2023)3月末日まで延長されています。

札所本尊 如意輪観世音菩薩 御朱印 梵字キリク
普照殿(広く明るく世間を照らすお堂の意)

青岸渡寺本堂までは、大門坂入口(夫婦杉)から苔むした石畳の階段を上がるのがお薦めです。40分位

本尊の如意輪観世音菩薩は「秘仏」とされ、普段は扉が閉じられた厨子の中に安置されているため、直接見ることも、写真を撮ることもできません。
本堂の御本尊のすぐ前には、身代わりとして拝むための「お前立」の像が安置されています。

那智山 青岸渡寺 天台宗 本尊 如意輪観世音菩薩(秘仏) 札所本尊 本尊に同じ
所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
納経時間 7時00分〜16時30分(公式HP)
納経所 本堂内
伝承では仁徳天皇の時代に天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。中世から近世にかけて隣接する熊野那智大社と一体化し、那智山熊野権現や那智権現と呼ばれる神仏習合の修験道場であった。明治時代になり神仏習合が廃されると、明治7年(1874)、熊野那智大社から分離し天台宗の寺院として独立した。


第02番札所 紀三井山 金剛宝寺 護国院

札所本尊 十一面観世音菩薩 御朱印 梵字
(上に十一面観音キャ、右下に梵天ボラ、左下に帝釈天イ)
救世殿(本堂の裏手にある大光明殿のこと)

本尊の十一面観世音菩薩は、平安時代後期の作とされる秘仏です。50年に一度しか開扉されない「絶対秘仏」でしたが、現在は大光明殿にて、他の重要文化財の仏像とともに常時公開されています。

新仏殿には高さ約12mの「大千手十一面観音菩薩像」(日本最大級の寄せ木造り金箔像)が安置されている。こちらは非常に存在感があり写真映えするため、本尊と混同されることがよくあるようです。

紀三井山 金剛宝寺 護国院 救世観音宗(総本山) 本尊 十一面観世音菩薩 札所本尊 本尊に同じ
所在地 和歌山県和歌山市紀三井寺1201
別称 紀三井寺
納経時間 8時00分~17時00分(公式HP)
納経所 本堂受付
宝亀元年(770)に唐の僧・為光が日本各地を行脚し、名草山山頂から一筋の光が発せられているのを見た。光の元をたどって名草山に登った為光は、そこで金色の千手観音を感得した。為光は自ら十一面観音像を彫刻し、胎内仏としてその金色千手観音像を奉納し、草堂を造って安置し、千手観音を秘仏として納めたのが紀三井寺の始まりであるという。当寺は長らく真言宗山階派の寺院であったが、昭和26年(1951)に独立して救世観音宗の総本山となった。

第03番札所 風猛山 粉河寺

札所本尊 千手観世音菩薩 御朱印 梵字(中央に千手観音キリクその周辺の梵字は下から反時計回りにオン、バ、ザラ、ダ、ラマと最後に中央のキリクを加えると千手観音の真言おん・ば・ざら・だ・らま・きりく、になる)
大悲殿(大悲とは観音菩薩の別名)

粉河寺の本尊千手観音菩薩像は絶対の秘仏とされ、公開された記録はない。日本の仏教寺院では、本尊が秘仏である場合、「お前立ち」と称する代わりの像を本尊厨子の手前に安置する場合があるが、粉河寺においては「お前立ち」像も秘仏である。本尊像は火災を避けるために本堂下の地中に容器に入れて埋められているとされる。「お前立ち」像は年に一度、12月31日に僧籍にある関係者が掃除のために開扉するのみで、在家の者が拝観する機会はない。
風猛山 粉河寺 粉河観音宗(総本山) 本尊 千手観世音菩薩 札所本尊 本尊に同じ
所在地 和歌山県紀の川市粉河2787
納経時間 8時00分~17時00分(西国三十三所札所会)
納経所 本堂内向かって右側
粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。遅くとも平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名であったことがわかる。平安時代後期には、その頃から始まった西国三十三所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。鎌倉時代には天台宗の寺院として七堂伽藍、550箇坊もの子院を持ち、大勢の僧兵を擁した大寺院であった。明治時代に入ると神仏分離が行われ、鎮守社が独立している。太平洋戦争後、粉河観音宗の総本山として天台宗から独立した。

第04番札所 槙尾山 施福寺

札所本尊 十一面千手観世音菩薩
御朱印 方形の三宝印(佛法僧寶)
大悲殿(大悲とは観音菩薩の別名)

施福寺の本尊は、弥勒如来坐像、右脇侍(向かって左側)に十一面千手観世音菩薩立像、左脇侍に文殊菩薩立像を安置し、このうち十一面千手観世音菩薩立像が西国三十三所の札所本尊となっている。

槙尾山 施福寺 天台宗 本尊 弥勒如来 札所本尊 十一面千手観世音菩薩
所在地 大阪府和泉市槇尾山町136−136
別称 槙尾山寺、巻の尾
納経時間 8時00分~16時00分(12/1~2/28) 8時00分~17時00分(3/1~11/30)(西国三十三所札所会監修西国巡礼)
納経所 本堂
古くは槇尾山寺と呼ばれた山岳寺院で、葛城修験系の寺院として創建されたものとみられる。近世には徳川家の援助で栄え、その関係で寛永年間(1624〜1645)頃に真言宗から天台宗に改宗し、江戸の寛永寺の末寺となった。江戸時代末期の弘化2年(1845)の山火事で仁王門を除く伽藍を焼失。現在の本堂等はその後に再建されたものである。

札所等 和泉西国三十三 第01番
西国十七愛染 第15番
第05番札所 紫雲山 葛井寺

札所本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
御朱印 梵字キリク 大悲殿(大悲とは観音菩薩の別名)

国宝の十一面千手千眼観世音菩薩像は神亀2年(725)、聖武天皇が42歳のときに自身の厄除けを祈願して稽文會と稽主勲に造らせ、行基によって開眼法要が営まれたと伝えられる。日本最古の千手観音像である。この観音像は 本当に多くの手を持つ千手観音 で、手の数は1000本以上あるとされています。通常の千手観音像は省略されていることが多いが、葛井寺の像は実際に多くの手が表現されています(1043本とも)。秘仏のため、普段は堂内厨子に安置されていて直接見ることはできませんが、 毎月18日のご開帳日には拝観可能 です 。

紫雲山 葛井寺 真言宗御室派 本尊 十一面千手千眼観世音菩薩 札所本尊 本尊に同じ
所在地 大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16−21
別称 藤井寺、紫雲山剛琳寺
納経時間 8時00分~17時00分(公式HP)
納経所 本堂内
寺伝によると行基が創建して聖武天皇より古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされている。室町時代には興福寺の末寺として栄え、伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493)に起きた畠山氏の内紛に端を発した兵火によって楼門、中門、三重塔、鎮守社、奥の院を焼失し、本堂と堂塔を残すのみとなった。また、永正7年(1510)の地震で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。

札所等 河内西国三十三 番外
河内飛鳥古寺 第04番
第06番札所 壷阪山 南法華寺

札所本尊 十一面千手観世音菩薩
御朱印 梵字キリクの異体 普照殿
(普照殿とは観音菩薩の慈悲の光
が広く世を照らす場所という意味)

本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病封じの観音様として親しまれ眼病に霊験があるといわれる観音さまです。

壷阪山 南法華寺 真言宗単立 本尊 十一面千手観世音菩薩 札所本尊 本尊に同じ
所在地 奈良県高市郡高取町壷阪3
別称 壷阪寺
納経時間 8時30分~17時00分(公式HP)
納経所 本堂前
平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。眼病に霊験があることから昭和36年(1961)に日本で最初の養護盲老人ホーム「慈母園」が建てられている。他にも国の内外で福祉事業を展開している。昭和36年(1964)よりインドで行っているハンセン病患者救済活動への尽力に対する返礼として、インド政府から提供された古石を使用して昭和58年(1983)3月に完成した「天竺渡来 大観音像」は、高さ約20m、総重量1,200トンの壮大なものである。

第07番札所 東光山 真珠院 龍蓋寺

札所本尊 如意輪観世音菩薩
御朱印 梵字キリク 厄除大悲殿
(大悲とは観音菩薩の別名)

本尊は、塑造如意輪観音坐像で像高4.85mの日本最大の塑像である。如意輪観音像は6臂の坐像に表すものが多いが、本像は石山寺本尊などと同様の2臂像である。頭部は造像当初のものを残すが、体部は補修が多く、脚部は本来、石山寺本尊像と同様の半跏像であったものを現状のような坐像に改めた。本尊は普段は厨子・内々陣に安置されるため、常に見られるわけではありません。(特別公開時に見ることが多い)
・塑造とは、粘土(土)を主な材料として、盛り上げながら形を作る仏像の制作技法のこと。
・6臂の坐像とは、腕が6本ある仏像で座った姿で表した仏像のこと。(如意輪観音は6臂が基本)
・2臂像とは、腕(臂)が2本の仏像のこと。

東光山 真珠院 龍蓋寺 真言宗豊山派 本尊 如意輪観世音菩薩 札所本尊 本尊に同じ
所在地 奈良県高市郡明日香村岡806
別称(古称) 岡寺、龍蓋寺
納経時間 8時30分~17時00分(3/1~11/30) 8時30分~16時30分(12/1~2/28)(公式HP)
納経所 本堂内
天平12年(740)、義淵僧正によって堂舎が創建されたのがその始まりである。義淵がこの地の民を苦しめていた悪龍を当寺の池(現・龍蓋池)に封印して石で蓋をし、悪龍の厄難を取り除いて以来、「日本最初のやくよけ霊場」となり、鎌倉時代にはすでにその信仰が広まっていた。
当寺院には「岡寺」「龍蓋寺」の2つの寺号がある。「岡寺」は地名に由来する寺号、「龍蓋寺」は建立当初の正式名であり、現・法号である。仁王門前の石柱には「西国七番霊場 岡寺」とあり、通常はもっぱら「岡寺」の呼称が用いられている。宗教法人としての登録名も「岡寺」である。そのため、重要文化財建造物の指定名称は「岡寺仁王門」「岡寺書院」となっている。「龍蓋寺」の法号は龍蓋池に封じた龍の説話に由来する。

番外札所 豊山 法起院

札所本尊 徳道上人 御朱印 梵字サ 開山堂
霊場の御朱印なので、十一面観音の梵字サが用いられている

長谷寺 開山坊 法起院 真言宗豊山派 本尊 徳道上人 札所本尊 本尊に同じ
所在地 奈良県桜井市初瀬776
納経時間 8時30分~17時(3/20~11/30) 9時~16時30分(12/1~3/19)(公式HP)
納経所 本堂横
奈良時代の天平7年(735)に西国三十三所観音霊場を創始したと伝えられている徳道によってこの地に草庵が建てられたことに始まるとされる。徳道は晩年に当院の境内にある松の木に登り法起菩薩となって遷化したといわれる。当院の名称はそれに由来する。
本堂である開山堂は本尊を祀る堂としては珍しく北面を向いている。これは長谷寺本尊十一面観世音菩薩に対面するように位置づけられたからであるという。

