いつも明るい人ほど、実は疲れている——「場を明るくする才能」の、知られざる裏側
=LOVE個別メンバー論・第二話
プロローグ
正直に言う。
私は昔、いつも明るい人のことを「悩みがなくていいな」と、うらやんでいた。
これを書くのは、少し恥ずかしい。若いころの私は、ムードメーカーの人を、単純にこう思っていた。あの人は、根が明るいから、いつも楽しそうなんだ。悩みがないから、笑っていられるんだ、と。
だから、少し、ずるいとすら思っていた。こっちは色々抱えて暗くなっているのに、あの人は生まれつき明るくて得だな、と。
=LOVEを見始めたときも、同じ目で見ていた。
グループには、いつも場を明るくするメンバーがいる。ライブでも、バラエティでも、パッと空気を変える。誰かが緊張していると、ひと言で笑わせる。落ち込んでいる子がいると、そばで元気にする。
私は、それを見て、思っていた。あの子は、根っから明るいんだな。楽しくてしょうがないんだろうな、と。
その考えが、根っこから覆される出来事があった。
あるとき、そのメンバーが、ふとした瞬間に見せた表情を、私はたまたま見てしまった。カメラがまわっていない、と思っている一瞬の顔だった。
そこには、疲れが、にじんでいた。
この記事は、その「そうだったのか」の話だ。いつも明るい人の、知られざる裏側。そして、その明るさが、実はとんでもない才能だったという、大逆転の構造を書きたい。
一 明るさは「生まれつき」だと思っていたころ
昔の私の考えを、もう少し話す。
私は長いあいだ、明るさを、性格だと思っていた。
生まれつき明るい人がいて、生まれつき暗い人がいる。それは、変えられないものだ、と。
だから、ムードメーカーの人を見ても、こう思うだけだった。あの人は、明るい性格に生まれて、ラッキーだな、と。
そこに、努力とか、才能とかがあるとは、思ってもいなかった。ただ、生まれつき、そうなんだ、と。
仕事でも、同じだった。会議の空気を明るくする人がいる。私は、その人を「ムードメーカー」の一言で片付けていた。便利な人だな、くらいにしか、思っていなかった。
その人が、どれだけ気を配っているか。どれだけ神経を使っているか。まったく、見えていなかった。
明るさは、タダで手に入るものだと思っていた。生まれつきの、性格だと。
だから、そこにある努力を、まったく評価していなかった。
二 カメラが止まった瞬間の、あの顔
考えが変わったのは、あの一瞬の表情を見たときだった。
いつも明るいメンバーが、収録の合間か、ライブのふとした瞬間か。とにかく、注目が自分に向いていない一瞬に、見せた顔があった。
そこには、疲れがあった。
さっきまで、あんなに元気に場を盛り上げていたのに。その裏で、こんなに疲れていたのか。
私は、はっとした。
そして、思った。あの明るさは、自然に出ていたものではない。あの子は、明るさを、作っていたのだ。
場のために。まわりのために。緊張している仲間のために。自分の疲れを押し隠して、明るさを、生み出していたのだ。
生まれつきではなかった。努力だったのだ。
考えてみれば、当たり前だった。人間だから、疲れる日もある。落ち込む日もある。それでも、場のために、明るくふるまう。
それは、生まれつきの性格などではない。意志の力だ。相手を思う、優しさの力だ。
私が「ずるい、得だな」と思っていたものは、実は、誰よりも神経を使い、誰よりも自分を後回しにする、しんどい役割だったのだ。
背筋が、伸びる思いがした。
三 明るさは「消費」される才能である
ここから、構造の話をする。
なぜ、いつも明るい人は、疲れるのか。ここに、大事な仕組みがある。
明るさは、消費される才能だからだ。
どういうことか。
場を明るくする、というのは、自分のエネルギーを、まわりに配ることだ。自分の中にある元気を、少しずつ、みんなに分けている。
エネルギーを配れば、自分の分は、減る。
電池を思い浮かべてほしい。ムードメーカーは、自分の電池を使って、まわりを明るく照らしている。照らせば照らすほど、自分の電池は、減っていく。
だから、疲れる。当たり前だ。
さらに、やっかいなことがある。
明るい人には、まわりが甘えるのだ。
あの人がいれば、場が明るくなる。あの人がいれば、大丈夫。そう思って、みんな、その人に頼る。その人の電池を、あてにする。
そして、その人が疲れていることに、誰も気づかない。だって、いつも明るいから。疲れているように、見えないから。
これが、いつも明るい人が抱える、静かな苦しさだ。
一番エネルギーを配っている人が、一番、気にかけてもらえない。一番、支えている人が、一番、支えてもらえない。
私は、そのことに、まったく気づいていなかった。ムードメーカーの電池が減っていることに、気づきもせず、ただ、その光を、当たり前に浴びていた。
人を責めるより、構造を見る。明るい人が、ときどき不機嫌になっても、責めてはいけない。電池が切れかけているだけだ、と構造で見る。そうすれば、その人を、支えられる。
四 なぜ「明るくする力」が、これほど貴重なのか
もう一つ、大きな構造がある。
なぜ、場を明るくする力は、これほど貴重なのか。
理由は、シンプルだ。空気は、伝染するからだ。
一人が暗いと、その暗さは、まわりに伝染する。一人がため息をつくと、場の空気が、重くなる。放っておくと、暗さは、どんどん広がる。
暗さは、放っておいても広がる。でも、明るさは、放っておいても広がらない。
明るさは、誰かが、意図的に生み出さないと、広がらないのだ。
ここが、決定的に重要なところだ。
暗くなるのは、簡単だ。何もしなくても、勝手に暗くなる。でも、明るくするのは、難しい。誰かが、自分のエネルギーを使って、能動的に生み出さないといけない。
だから、場を明るくできる人は、貴重なのだ。
その人がいるだけで、暗くなりがちな空気が、明るいほうへ引っ張られる。チームが、前を向ける。仲間が、また頑張れる。
これは、能力だ。しかも、数字には出ない、見えにくい能力だ。
会議の発言数には、出ない。売上には、出ない。でも、その人がいるチームと、いないチームでは、まるで違う。
いなくなって、初めて分かる。ああ、あの人が、この場を明るくしてくれていたのか、と。
長期残存価値。派手な実績は、記録に残る。でも、場を明るくし続けた人の価値は、記録には残らない。ただ、人の記憶に、深く残る。あの人がいると、なぜか元気になれた、という記憶として。
五 これは、あなたのまわりの、あの人の話だ
ここまで読んで、気づいた人がいるはずだ。
これは、アイドルの話ではない。あなたのまわりの、あの人の話だ。
あなたの職場にも、いるはずだ。いつも明るくて、場を和ませてくれる人が。
あなたは、その人を、どう思っているだろうか。悩みがなくて、いいな。生まれつき明るくて、得だな。もしかしたら、昔の私と同じように、そう思っていないだろうか。
でも、違うかもしれない。
その人は、あなたには見えないところで、自分の電池を、すり減らしているかもしれない。あなたを明るくするために、自分の疲れを、隠しているかもしれない。
家庭にも、いるはずだ。いつも家族を笑わせてくれる人。場を明るくしてくれる人。
その人の電池は、ちゃんと、充電されているだろうか。
私たちは、明るい人に、甘えすぎている。その人が明るいのを、当たり前だと思っている。だから、その人が疲れていても、気づかない。
そして、その人の電池が、完全に切れたとき。ある日突然、その人が笑わなくなったとき。私たちは、慌てる。あんなに明るかったのに、どうしたんだろう、と。
でも、遅いのだ。
明るい人こそ、気にかけてあげないといけない。一番エネルギーを配っている人こそ、一番、充電してあげないといけない。
本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。見えにくい貢献をしている人を、ちゃんと見える化したい。それが、この文章を書く理由だ。
六 統合——明るさは、優しさの、別の形
ここまでの話を、一つにまとめたい。
いつも明るい人は、生まれつき明るいのではない。自分の電池を使って、まわりを照らす、優しさの実践者だ。そして、その優しさに、私たちは甘え、その疲れに、気づいていない。
この気づきを、うちのブランドの言葉で、整理したい。
人を責めるより、構造を見る。明るい人が、たまに不機嫌でも、責めない。電池が切れかけている構造を見て、そっと充電を手伝う。
優しいまま、壊れない。明るさは、優しさだ。でも、配りすぎると、壊れる。優しいまま壊れないために、明るい人にも、休む時間が要る。
巡航速度。ずっと全力で明るくは、いられない。無理をせず、続けられるペースで、明るさを配る。それが、長続きの秘訣だ。
半径五メートル。世界中を明るくしなくていい。目の前の、半径五メートルの仲間を、明るくできれば、それで、十分すごい。
長期残存価値。場を明るくし続けた人の価値は、記録には残らない。でも、人の記憶に、一番深く、長く残る。
足し算より引き算。明るくしようと、頑張りを足しすぎない。ときには、明るくする役割を、いったん、下ろしていい。引き算する勇気も、必要だ。
六つ全部が、この一話に、重なった。
明るさは、性格ではない。明るさは、優しさの、別の形だ。
そして、優しさは、無限ではない。だからこそ、明るい人を、大切にしなければならない。
七 明るい人に、してあげられること
最後に、少し実践的な希望の話をして終わりたい。
私は今、いつも明るい人を見ると、少し違うことを考えるようになった。
昔は、うらやましいな、得だな、と思っていた。今は、この人、大丈夫かな、と思う。この人の電池、減っていないかな、と。
そして、小さなことをするようになった。
明るくしてくれた人に、ありがとう、と言う。あなたのおかげで、場が明るくなった、と伝える。疲れていないか、と、ひと声かける。
たったそれだけだ。でも、これが、明るい人の充電になる。
考えてみてほしい。明るい人は、いつも、まわりを充電している。でも、自分は、なかなか充電してもらえない。だからこそ、あなたのひと言が、効く。
明るくしてくれる人に、こちらから明るさを返す。電池を配ってくれる人に、電池を返す。
それだけで、その人は、また明るくいられる。そして、その明るさが、またチーム全体を、照らす。
私は、この歳になって、やっと、それができるようになった。
昔の私は、ただ光を浴びるだけの人間だった。今の私は、光をくれる人に、少しだけ、光を返せる人間になった。
遅すぎることは、なかった。あの一瞬の、疲れた表情に気づけたおかげで。
人生に遅すぎるはない。五十代でも、人の見えない努力に、気づけるようになる。経験が、人を見る目を、深くしてくれる。
ここから有料(¥1,980)
ここから先は
¥ 1,980
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!
