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「“弱者男性・弱者女性”論争の裏にある、もっと静かな苦しさの話。」

その言葉を、最初に見たとき
正直、最初は流していた。
「弱者男性」「弱者女性」。
SNSで見かけるたびに、なんか嫌な感じがした。でも何が嫌なのか、うまく言えなかった。
対立を煽っている感じ、というのはあった。でもそれだけじゃなくて。
なんか、刺さる人が多すぎる、と思った。
「俺のことだ」「私のことだ」って反応している人が、思ったよりずっと多くて。
それがずっと引っかかっていた。
言葉自体の問題より、その言葉に反応してしまう人がこんなにいる、という事実の方が、本当は重たいんじゃないかと。
この記事は、その「反応してしまう人がなぜこんなにいるのか」を、できるだけ静かに考えたくて書いている。

言葉が生まれた背景から始める
「弱者男性」という言葉がネット上で広まり始めたのは、2010年代後半ごろとされている。
もともとは一部のネットコミュニティの中で使われていた言葉で、「経済力がない・モテない・社会的地位が低い男性」を指す文脈で使われ始めた。
「弱者女性」はその対概念として、あるいは「女性も同様に苦しんでいる」という文脈で後から広まった。
どちらの言葉も、最初から「社会問題を丁寧に議論するため」に生まれたわけじゃない。SNSの対立構造の中で、ラベルとして機能するために広まった側面が強い。
だから言葉自体は荒い。雑だし、傷つける。
でも、なぜこれだけ「刺さった」のか。
それは、その言葉が指している実態が、確かに存在するからだと思う。

2010年代に何が起きていたか
少し社会背景を整理する。
リーマンショック(2008年)の影響が長引く中、非正規雇用は拡大し続けた。
就職氷河期世代はそのまま不安定な雇用に取り込まれ、「頑張れば報われる」という物語が機能しなくなっていった時期と重なる。
同時にスマートフォンが普及し、SNSが日常に入り込んだ。
マッチングアプリが広まり、恋愛が「市場」として可視化された。プロフィールと写真で判断される。スワイプされる。数字で評価される。
比較が、全部見えるようになった。
誰かの充実した週末。誰かの結婚報告。誰かの昇進。
以前なら「知らなかった」ことが、全部流れてくる。
そういう時代の中で、「自分はうまくいっていない」という感覚を持つ人が、静かに増えていった。
その感覚に、「弱者男性・弱者女性」という言葉がラベルを貼った。
雑なラベルだった。でも、「名前がついた」ことで、自分の感覚が可視化された人がいた。

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