なぜ 東京から201系は消えたのか 英雄伝説 単色電車の軌跡と離愁
昭和から平成にかけて中央線をはじめ、
総武線や京葉線などで活躍した201系。
113系などとは異なり車体全体が
同じ色で統一された「一色電車」として
親しまれた。
中央線の顔として走り続けた
オレンジ色の201系は、なぜ東京から
姿を消したのか。その栄光と引退、
そして現在の姿を辿っていく。
目次
1章 昭和からの車両201系
2章 蜜柑電車と呼ばれた中央線201系
3章 檸檬電車総武線 青い京葉線 四季彩
4章 201系意外な弱点 引退へ
5章 関西に渡った201系
そして伝説へ 青梅鉄道文化公園
エピローグ 単色電車 この道わが旅

1981年に登場した国鉄の通勤形電車。
主に中央線を中心に、都心と郊外を結ぶ
通勤・通学輸送で活躍した。
113系のような帯入りの車両や、
現在主流となっている
ステンレス車両とは異なり、
車体全体が同じ色で統一されていたのが
最大の特徴である。
中央線ではオレンジ色の車体から
「蜜柑電車」とも親しまれ、
多くの人々の足として活躍した。

201系の前面は、ヘッドライトが
上部に配置された特徴的な
デザインとなっている。
その姿は現在のE233系にも受け継がれ、
JRマークの配置にも共通点が見られる。

201系の後継車両となったE233系0番台。
ステンレス車体を採用し、
車内案内モニターやバリアフリー設備を
備えるなど大幅な進化を遂げた。
近年ではグリーン車も導入され、
201系の時代から大きく姿を変えている。

中央線各駅停車と直通運転を行う
総武線にも201系が投入された。
中央線がオレンジ色なのに対し、
総武線は黄色い車体が特徴で、
同じ形式でありながら色違いの姿は
まるで双子のような存在だった。

京葉線でも青い車体をした
201系が活躍した。当時は青い201系に
新鮮さを感じた人も多かったが、
その後205系、さらに現在の
E233系5000番台へと主役の座が
引き継がれていった。

ここまで201系の概要や色違いの
仲間たちを紹介してきた。
しかし、201系が本当に
輝いていたのは中央線で
活躍した時代である。
オレンジ色の「蜜柑電車」は、
なぜ中央線の主役となり、
そして東京から姿を消すことになったのか。
この先では、201系が活躍した
黄金期、総武線・京葉線での活躍、
東京から引退した理由、そして
鉄道博物館に残る伝説まで、
その軌跡を辿っていく。
ここから先は
¥ 300
