「ラオスに行きます」
2007年 タイ国境の町、ノーンカーイ
人間、歳をとるといろんなものが丸くなったり弱くなったりすると言うが、どうやら僕の「旅の忍耐力」も例に漏れず着々と弱っていたらしい。
今まで一泊180バーツ(約650円)の宿に泊まっていたんだけど、どうにも部屋が汚い。9年前(19歳)の自分なら「へっちゃらだぜ!」とダニとも共存していたはずなのに、今の僕は違った。
「もっとキレイな部屋に移動したい」
心の中で悲鳴が上がり、気付けば300バーツ(約1100円)のキレイな宿に部屋を変えていた。妻のためではない。完全に僕自身の軟弱な体が求めたのだ。
だが、ここでひとつ大きな問題が発生した。
今まで泊まっていた宿の親父さんが、めっぽう良い人だったのだ。昨日から僕にめちゃくちゃ優しくしてくれた親父さんに、朝っぱらから「もっとキレイな宿に移るね」なんて言える訳がない。
「これからどこ行くんだ?」と笑顔で尋ねる親父さんの前で、咄嗟に出てきた言葉は
「あっラオスに行きます」
大嘘だ。
世の中には「ついていい嘘」と「ついてはいけない嘘」があるというけど、これは一体どっちだろう?
どちらにせよ、その日一日は親父さんの宿の前を通らないよう、不自然にコソコソと裏道を歩くハメになった。
しかし、ノーンカーイという町は本当に居心地がいい。
宿の前には茶色く濁ったメコン川が雄大に流れている。川の向こうはもうラオスだ。島国育ちの身としては「川を挟んだ向こう側が別の国」という感覚がどうしてもピンとこない。
夕日が沈んだ後、対岸にポツポツと見える明かりの下で、ラオスの人たちが今夜の飯を食っている。そう思うと、まだ見ぬラオスに期待が膨らむ。



昼間、妻はタイマッサージへ出かけていった。僕はといえば、その間に、前々から気になっていた髪を切ることにした。
伸びきった僕の頭髪は2センチ。僕のいつもの定位置(3ミリ)から見れば鬱陶しいことこの上ない。ちなみに僕は普段自分で頭を坊主にしているため、床屋なんて中学生の時と自分の結婚式の前くらいしか行ったことがない。
よさそげな床屋を発見して思い切って入ってみた。

それから椅子に座り、ゲンちゃん(タイ人の友人)に教えてもらったタイ語を店のおっちゃんに放った。
「ダッポムサンサン(短く切ってちょうだい)」
「サンサン」というのは「短く短く」という意味らしい。おっちゃんは「オーケーオーケー」と力強く頷き、壁のポスターを指差した。
見るとそこには、ツルッパゲの坊さんの姿があった。
いや、出家するつもりはない。
あわてて「サンサン!サンサン!」と身振り手振りを交えてアピールすると、おっちゃんは「わかった、わかった」という顔でバリカンを取り出した。
ブーン。
おいおい、タイのバリカンなんて刃が引っかかって痛いんじゃないのか?
なんて心配していたのだけど、おっちゃんのバリカンさばきは神業だった。
僕の頭をなでるように刈っていく。普段、自分の手でゴリゴリと力任せに圧力をかけて刈っている僕の頭皮は、あまりの優しさに歓喜の涙を流しそうだった。
仕上げにパウダーまでつけ、もみあげとうなじも整えてくれる。くしを使って生え際を滑らかに仕上げるその手つきは、まさに職人。
おっちゃん、あんたプロだよ。
30分ほどで仕上がり、お会計は60バーツ(約200円)。
ゲンちゃんから聞いていた相場よりちょっとだけ高かったけど、ノープロブレムだ。
大満足。
2センチから3ミリになったので、あの宿の親父も僕に気づかないかもしれないな。
しめしめ。

