アユタヤでギュルルルー
崩れていく
仏像も
言葉も
旅人の腸内環境も
2007年、タイ
ギュルルルー
明け方、腹痛で目が覚めた。
下痢である。
まあ、遅かれ早かれなるとは思っていたが、妻より先になるとは。
旅立つ前は、アジアの旅の過酷さを経験者ぶって散々妻に説いて聞かせてきた。
「君に耐えられるかな、ふふふ」なんて、何なら少し上から目線だったのだ。
それが今、「う〜ん」とお腹を抱えてベッドで悶絶している。かなりカッコ悪い。
「お腹弱いのね」という妻の言葉がグサッと刺さる。「たかが下痢」と決め込んでみるものの、されど下痢。全身がだるく、ゴロゴロと横にならずにはいられなかった。
だが、ここでじっとしているわけにはいかない。
僕はお腹に不安を抱えたまま、レンタサイクルで遺跡巡りへと繰り出したのである。
アユタヤ遺跡。世界遺産。
これがもう、めちゃくちゃかっこいい。
かつてビルマとの戦争で破壊されたというが、その朽ち果てた姿こそが美しい。
寺院を守る鳥男の像がいい味を出しているし、レンガの隙間から力強く生える草木が、積み重なった月日を感じさせる。
「どうせ写真と同じだろう」と、前回の旅で名だたる遺跡を素通りしてきた自分を殴ってやりたい。
もうバカ者だ。いや「うんこ」だ。
早くトイレに流してほしい。
赤茶色のレンガの山を見上げていると、その迫力にただただ圧倒されてしまった。人間というのは本当にすごい。これほど壮大なものを、一つひとつレンガを積み上げて作り上げるのだから。
ただ、修復できないほど徹底的に破壊された寺院もあり、その完全な姿を見られないのが残念でしょうがない。
仏像の頭は、ことごとく切り落とされていた。ビルマ軍が、人々の心の支えだった仏像を壊すことで、アユタヤ王国を根底から叩き潰そうとしたらしい。
ひどい話だ。
そんな歴史に浸っていた僕だったが、またしても…
ギュルルルー
また波が来た。
ゲストハウスまで自転車で30分。
果たして持ちこたえられるのか。







冷や汗をかきながらペダルを漕ぐ途中、小さな商店を見つけてトイレを借りた。
ふう、やれやれ。
「コープンカップ(ありがとう)」
ミネラルウォーターを買い、お礼を言って店を出ようとすると、
「どういたしまして」
店頭にいた女性が日本語で返してきた。おばちゃんというにはまだ若く、僕らより少し年上なくらいだろうか。
少し話をしてみると、彼女は日本で生まれ、20年ほど千葉県の銚子に住んでいたのだという。父親が日本人で、母親がタイ人。
しかし、タイスナックで働いていた母親が、店の従業員全員とともに逮捕され、タイへ強制送還されたのだそうだ。その時、父親は日本に残ったという。
「なんで私も、帰らなきゃいけないの」
彼女はちょっと怒りながら話していた。お母さんを責めてもいた。
父親はすでに亡くなったそうで、何度も日本大使館へ足を運んでいるが、再入国は叶わないらしい。
「ブラックリスト、みたいなの、載ってる」と教えてくれた。
「日本に、帰りたい。本当に」
何度も繰り返す彼女を見て、「どうか助けてください、日本の方」とでも言われるんじゃないかと、僕は密かにドキドキしていた。
文字にすると怪しく聞こえるかもしれないが、実際はとても感じの良い人で、それだけに無性に切なかった。彼女はただ普通に日本で生まれ、育っただけなのだから。
タイに来て12年になるという彼女の日本語は、少し変になっていた。やっぱり使わないと忘れちゃうんだな、言葉って。
その少しだけ崩れた日本語が、なんだかまた悲しかった。
店を出て、曇天を見ながら、ぼーっと物思いにふけっていたら、
ギュルルル
第二波である。
お腹をさすりながら、僕は再び自転車のペダルを踏み込んだ。
ゲストハウスまでは、まだ距離がある。
