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未来の当たり前にしたいこと:ただ、この星の鼓動が止まらないように

私たちは未来を紡ぐとき、必ずや、光に満ちた理想の織物を夢見る。
戦争なき静寂、飢餓なき満たされた食卓、すべての魂に等しく降り注ぐ学びの機会━━これらは人間の精神が到達しうる最も高潔な愛の表現であり、誰もが「当たり前」となる日を待ち望む真理だ。当然、私もその理想郷の到来を信じてやまない。

しかし、立ち止まって考えてみる必要がある。
あまりに眩いその理想の光の奥で、私たちは最も静かなる真実から目を逸らしてはいないだろうか。
たとえ人類が、終に互いの手にある武器を下ろし、すべての不平等を克服したとしても、その偉大な劇の舞台そのものが崩れ去るなら、我々の幸福はどこに根を下ろせるのだろうか。

私が未来に希求する「当たり前」は、ただ一つ。
それは、人間の飽くなき「欲の炎」が、この青い星の生命を焼き尽くすことがないようにという、根源的な約束である。

私たちの豊かさは、一体何によって測られてきたのだろうか。
それは、大地から、海から、川から、際限なく資源を汲み上げ、加工し、消費し尽くすという、短絡的な快楽の連鎖ではなかったか。遠い異国の地、かつて世界有数の広さを誇ったアラル海を思ってみる。
それは、数世代にわたる人間の「もっと儲けたい」という経済への欲望が、流域の水を根こそぎ奪い去った結果、消滅した。残されたのは、塩と毒にまみれた大地と、絶望に打ちひしがれた人々の生活、そして舞い上がる疫病の影である。人間の欲望が、一つの海の存在を、地図上から抹消してしまったのだ。

私たちの日常を満たすプラスチックの安易さもまた、同じ魂の病を映す鏡だ。
利便性という名の欲望を満たした代わりに、海はゴミのスープと化し、海洋生物の体内へと侵入し、やがては巡礼の旅のように私たちの食卓へと戻ってくる。
それは、自らが吐き出した毒を、自ら飲み干す運命を示唆している。

そして、今世界を覆う、気候という名の審判。これは、「もっと速く、もっと便利に」というエネルギーへの渇望が、地球の許容する息吹を超えてしまった結果である。このまま、私たちは、平和な社会の実現を語り続けることができるだろうか。土壌が痩せ、水が枯れ果てたとき、争いは形を変えて、より原始的で激しいものとして再燃するだろう。

私たちは、社会の倫理や分配といった「人間(じんかん)」の問題にのみ囚われがちだ。戦争をなくすのは、私たちの倫理の領域である。飢餓をなくすのは、分配の領域である。しかし、地球を守ることは、すべての議論に先立つ「存在の領域」である。
私たちが「当たり前」として享受する、この青い空、澄んだ水、豊かな森の息吹は、人類に保証された権利ではない。それは、宇宙の奇跡であり、地球が許容する範囲内で、私たちが共存への敬意を払ってのみ維持される、極めて脆い恩恵なのだ。

未来において、この星の健全な循環をこれ以上乱さないことが「当たり前」になること。それは、特定の国の法や、特定の技術の力に委ねるものではない。
私たち一人ひとりが、自らの皮膚の下に、地球という生命維持装置の鼓動を感じ取ることだ。目の前の小さな消費が、遠い未来の環境に落とす影を深く思索し、刹那的な便利さと引き換えに失う「存在の価値」を理解することに他ならない。壮大な人類の理想も大切だ。

だが、その前に、私たちはまず、「地球に優しく在る」という、最も根源的な倫理観を、未来の呼吸のように当たり前のものとしなければならない。
その静かで揺るぎない土台の上でこそ、人類は初めて、真に持続可能で、かつ平等な幸福という、存在の祝福を享受する権利を得るのではないだろうか。

#未来の当たり前にしたいこと


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