映画「ブラックドッグ」は密かに監督の気概を感じた。
チャイナ・ノワールと聞いて真に受けるだろうか…。
(中国の悪いところを中国がワザワザ晒すか?という意味)
映画作りに国のチェックが入ってないと無いとでも我々が思うだろうか。
芸術にも我々は心が広いんですよ、というプロパガンダの国策の下に作られているのはバレバレ。
だからと言って、監督の力量、役者さんの熱量が国の圧力に負けているかどうかは別問題。
そんな映画。
私見。

以下ネタバレと、ボクの偏見と私見が諸々と入るので映画評とは読まない方がいいと思う。
映画に既視感を覚えた。
2018年公開のイタリア映画「ドッグマン」だ。
イヌ、ノワール、団地、心優しき男、ダークな映像、と。
「パクった」と言わない。
思い出したのだ。
リュック・ベンソン監督と当作品はあまり関連性がない。
ボクは何かとワンちゃん映画を観ている。w

時は北京五輪前。
今程情報統制が地方では徹底されてもいなかった。行き届いていなかった。
そんな頃の話。(今でもそんな地域はあるのだろうか・・・。)
これから五輪開催に向け地域開発が徹底して行われる。
そんな頃の話だ。
主人公がやっていた音楽がどんなジャンルか「明確に」分からないが、主人公が罪を犯し、刑務所に入る前くらい、確か中国Rockが勢いよくやっていた頃だったと思う。年代的に。
その後北京五輪が始まる頃に「クリーンアップ」とか言って色んな芸術文化などの規制を強めた。
寂れたコンサートホールがその象徴だ。
公安もまだ市民側に対し緩かったのだろう。
やがて北京五輪を境に公安は完全に政府寄りになり市民は本音と建て前をしっかりと身につけるようになる。
そんな頃の話。
過失なのか殺人とは言え、意外と主人公は短期間で出所できたよう。
(この辺りにもプロパガンダの香りプンプン)

だが、出所した彼にとって生まれ育った街は最早変わり果てていたのだろう。出所した彼を迎え入れてくれる人々や環境があっても心を開くことができないでいる。多分違和感を感じているのだろう。
一方、街や国は変化を求め、確実に変化へと進もうとしている。
しかも強引に。
「国策」という名の下、個人の権利や自由はこの国では許されない。
街は、国策の名の下に変わろうとしている街の風景と共に増え続けた野良犬の駆逐も徹底して始まる。
団地の取り壊し風景があったが、住民の立ち退きシーンはなかった。
あたかも最初から人が住んでいないかのような映像にしてあった。
実際であれば、人が住んでいて、それでいて強引に立ち退きを迫られるようだ。多少の保証金などがあったとしても。
まるで野良犬の駆逐のように追いやられ、住み続ける権利を訴えることなど「国策」の前では意味がないかのように。

映画の中でもあったが、動物をペットとして飼うには届け出をしてお金を払えばいいのだが、昔から飼っていた人はそれが納得がいかない。
その辺りは日本人と違う。お金が絡むとややこしい人達だ。
昔は良くて、これからは届け出をしないとできないという「文明・文化」に戸惑う。でも近代化を目指す五輪開催候補国中国には「文明・文化」的行為、行動は必要なのだ。
集団で群れ、吠える犬たち。
駆逐される犬たち。
「彼ら」は何の象徴だろうか。
いくら吠えても結果的に駆逐されてしまうのだ。国策の下に。
映画のラストシーンでは、犬や動物園の動物たちが解放されるが、監督の希望でもあろう。
大衆は北京五輪の開催で快哉を挙げていたが、それ以外の人は白けた様子で未来を見ていたよう。
主人公の部屋にあった絵画が何か叫んでいるように見えたが、あれは何の絵だったのだろうか。

以下蛇足。
さて、以上の映画の感想の中に中国の事情を盛り込ませながら書いては見たが、2000年開催の五輪に最初に中国は五輪開催国に立候補したのが、1993年。だがシドニーに敗れ、執念の五輪開催に中国は燃えていた。
「国策」として必死だった。
2001年に再立候補し、2008年に念願が叶うこととなるが、その執念の準備期間にボクは中国に3年間駐在していた。
中国は北京だけが変わればいいという考え方から一変、中国全体を国際レベルへとUPすることを命題としていた。
執念。
ボクが駐在していたのは青島なので、映画の地域ほど田舎ではないが、工場視察などでは時に地方も訪れていた。あのような雰囲気で人はもっと多い。
まだまだインフラも整っておらず、ボクの好きな田舎の雰囲気で「中国の田舎らしく」好きだった。
もはやそんな中国は無いのだろうか。
(そんなことはないと思うが、行かせてもらえない?)
そして、変化のスピードの速さに驚かされた。
ある地域がアッという間になくなり、アッという間に新たな街へと出来上がってしまう。恐ろしすぎる。
工場の新築にも立ち会ったが、レゴのオモチャ並みに簡単に作り上げてしまう。
大きな地震に出会わなくて良かった…。
公安のルールも月ごとに変わる。
ルールブックより権力者とお友だちがいい時代。
青島空港で美女が列を成して誰かを迎え、そのまま美女軍団と列のまま車に乗り込むので、誰かと聞くと「市長」だと。
そんな時代。
大きなホテル、ビルにエスカレータ、エレベーターがなかった時代。
マクドナルド、スタバ、ジャスコがなかった時代。
全部が一気にできた。
皆は一気に馴染んだ。
「郷愁」なんて言葉を後塵にして猪突猛進。
北京五輪の開催獲得に向けて必死だった。
国際社会に認めてもらいたく必死だった。
経済発展に必死だった。
金儲けに必死だった。
そんな時代。
この映画は数年の違いはあれど大体あの頃の話だ。
北京五輪の頃はボクはもう日本に居た。
開会式の盛大な花火の様子はニュースで見た。
生放送のテレビで見る気になれなかった。
白けてたから。
中国でも冷静な「数人」は白けていたんじゃないのかな…。
特にこの映画の監督は。
どうだろう…。
国が考えて与える「自由」を身にまとい、今や世界中を自由に周ることができる現代の中国人。確かに以前より経済は発展し、豊かになった。
ボクが中高生の頃(記憶があいまい)さだまさしが「長江を旅する」という特別番組で小舟で働く中国青年に将来の夢を尋ねたことをよく覚えている。
すると青年は「中国が100年以内に日本に追いつき追い越したい。」的な回答をした。
一青年が長江的な時間軸で物事を考えているんだなと深く感心した。
それが100年どころか数10年でそれは夢でなくなりそうだ。
その代わり何か大事なモノを犠牲にしてやしないか…。
天安門で立ち上がった頃の中国の若者に痺れた。
もはや「歴史」でしかないのだろう。
荒涼と、しかしやたら美しい景色に惚れ惚れと映像を観ていた。
CGなのだろうか…。
犬たちも賢こく、飼いならされてる感が出てるし、狂犬病を持ってそうな犬はいないし、鳴き声は不自然。
トラは健康そうに太っていて地方の貧しい動物園のトラを演出できていない。
作品のママに観てはいけないと思った映画を久しぶりに観た。
