自己紹介
鈴木琉心 – 映画監督になりたい人
これまで映画作りにまつわる記事をいくつか載せてきましたが、今回は改めて自己紹介をしようと思います。
自分の考えを発信していく以上、「この人はいったい何者なんだろう?」という読者の疑問を無視することはできません。
だからこそ、一度きちんと自分のことを言葉にしてみることにしました。
映画監督を目指している者です。
もともと人前で自分のことを話すのは苦手です。
しかし、映画を作るには、ただ作品を作るだけじゃなく、「自分が何者なのか」をちゃんと伝えることも必要なのだと気づいたのです。
誰にも知られずに映画を作るのは、やっぱり難しい。また、映画はひとりで作れるものでもありません。
だから、少し恥ずかしさはあるけれど、こうして自己紹介を書いてみることにしてみました。
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RYUSHIN SUZUKI(すずき りゅうしん)
2000年生まれ、宮城県仙台市出身。
現在、東京都内でアルバイトをしながら、自主で映画制作や映画にまつわることを探求・模索することなどを行なっています。
映画という媒体そのものの持つ芸術性に強い興味があり、映像という芸術の美しさ、その黄金比、映画という形式を通じて「社会との対話」を試みる表現とは何かを探しています。
私がその探求をするようになった経緯を、つらつらと記憶の断片的に書き記していきます。散文になりますが、気軽に読んでもらえたら嬉しいです。
1. 「社会の外側」にいた幼少期と、創作の原点
幼い頃の私は、学校という閉鎖的な空間に居心地の悪さを感じていました。
生まれつきADHDとASDの発達障害を持っており、それが原因で、同じ空間にいるクラスメイトたちとの距離を感じながら過ごしていました。
「集団の中にいるのに、どこか外側にいるような感覚」。
その居心地の悪さから逃れるように、私は紙と鉛筆を手に取りました。
世界が騒がしくても、絵を描いているときだけは、心が静まった。
勉強も運動も上手くできない私は、大半の時間を絵を描いて過ごし、自分しかいない世界に浸っていました。








映画に出会ったのも、そんな時でした。
学校で親しい友人の出来なかった私は、必然的にひとりで過ごす時間が多く、家に帰ってもひとりで過ごしていました。父と母はそれぞれ、職業柄、夜分遅くまで仕事が終わらず、家に帰るのが遅くなりました。帰宅してくるまでの時間に、寂しい思いをしている私の気を案じて、両親は毎週、週のはじめにレンタルビデオ屋へ連れていき、好きなビデオを5〜6本選ばせて、それを帰宅してくるまでの待っている時間に見ているようにと薦めてきました。
それが私の、映画をほぼ毎日見ることになる習慣へと繋がりました。
自宅のDVDプレイヤーを何度も再生しながら、私はここではない別世界の美しさに見惚れ、物語の中の人物たちが私の知らない感情を抱き、私の知らない決断を下す姿に、強く引き込まれた。
映画は、私にとって「もうひとつの現実」でした。
そして、いつしか私は「自分でも映画を作れないか?」と考え始めていました。
2. 絵画を学び、映像の構造を知る
小学3年生から約12年間、私は絵画教室に通い、デッサンや油絵といった美術の基本的な技術を学びました。
高校では美術・デザイン科に進み、2018年には第42回全国高等学校総合文化祭(信州総文2018)に宮城県代表として出品。
F50号のアクリル画『靄(もや)』は、自画像と周囲の空気感をテーマにした作品であり、このときは、純粋に絵画における「色や光と影などから受ける印象や、構図と線、視点誘導」についてなど、あらゆる要素を手触りとして理解することに集中した作品を作っていました。作品そのものに意味やメッセージといったものはなく、作品単体として、単に美しいかどうか? 見てて心地よいかどうかの追求だけでした。


"絵を描いて映画を見る"
"映画を見ながら絵を描く"
そのふたつを延々と繰り返すだけの毎日を、約15年間も過ごしていました。
次第に、絵だけでは表現しきれない「時間の流れ」「動き」「光と影の変化」が映画にはあることに気づき、そのまま私は映画へとシフトしていきました。
(あとから気づくのですが、この頃から私は「人と世界の間にある曖昧な境界」に強く関心を持ち始めていたのではないかと思いました。)
3. 映画を作ること、映画を考えること
高校時代、映画監督 片岡翔 氏の映画制作ワークショップに参加し、映画の制作プロセスを学びます。
絵以外のことに何一つ興味を持たなかった私は、必然的に美術のことだけを学べる美術系の高校に入学しました。その高校では、映画監督 片岡翔 氏の指導のもと、学生たちで映画を作るというワークショップが毎年行われていました。
そのワークショップに参加した私は『ふうせん、ふふふ、そら、ららら』片岡翔監督(2017年公開)や『SWAN QUEST』(2018年公開)とといった短編作品を作り、そこではじめて映画作りというもののプロセスを知りました。


映画への知的好奇心が強くなり、完全に映画作りへとシフトした私は、
その後、東北芸術工科大学 映像学科 に進学し、映画監督 林海象 氏のもとで、
映画の歴史、大衆性、娯楽性、芸術性について学びながら短編映画の脚本・制作・監督を務めました。
2022年に、卒業制作として短編映画『ナポレオン』の脚本と監督を務め発表。
殺人進化論に取り憑かれた研究生の主人公が、自らの理論を証明するために殺人を企てる様を描いたサスペンス作品。
また、実験映画として 『変容する光 伊藤高志の映画へのオマージュ』 を制作し、
映像の純粋な運動と光の変容をテーマにした作品としてまとめたものを制作しました。
映画を作るだけでなく、映画について考え、言葉にすることにも力を入れるようになりました。
noteでは、映画監督の役割や目的について考察する**「映画監督という職業について:その本質的な行動目的」(2025年1月18日公開)、
映画制作における偶然と必然について論じた「偶然生まれた映画とそうでない映画」**(2025年2月8日公開)などを発表しています。
映画の「構図」や「カメラワークの意図」に注目し、映像がどのように観客へ作用するかを分析している**「映画撮影の現場から──カメラマンとしての視点と実績紹介」**(2025年3月6日公開)などがあります。
4. 「社会の内側へ」──映像と美術の間で問いを投げかける
かつて、私は社会の外側にいたと信じていました。
しかし今は、映画を通じて「社会とつながる手段」を探している。
映像を撮るとき、私は「この画面の中で、人間はどこに立っているのか?」を考える。
絵を描くとき、私は「この視点の外側には何があるのか?」を想像する。
文章を書くとき、私は「なぜ、映画は人を動かすのか?」を問い続ける。
映画と芸術の境界線に立ち、私は「映像とは何か?」を考え続ける。
そして、自分が持っている「視覚的思考」と「映画的時間」を掛け合わせ、
観客に問いを投げかける作品を作りたいと考えています。
5. これからの展望
現在、新たな映画制作の準備を進めており、
「映像はどこまで感情を語ることができるのか?」 「ひとつの物語だけで社会や歴史にどれだけ(持続的な)影響を及ぼせるか?」「ひとりの人間が起こす行動が、社会にどれだけの影響を与えるのか?」をテーマにした作品を構想中。
また、映画に関する考察をさらに深め、「映像と言葉の関係性」 を探求していく予定です。
私の映画は、答えを提示するものではなく、
「観る者に問いを投げかける映画」 を目指しています。
6. 結論:私はどのような人物なのか?
私を一言で表すなら、「映像という芸術で問いを探し続ける映画作家」 だ。
・ 幼い頃、社会の外側にいたことが、創作の原点となった。
・ 美術を学び、視覚的思考を養い、映画の撮影哲学へとつなげた。
・ 映画を作ることだけでなく、映画を考え、言葉にすることも重要視している。
・ 「映画とは何か?」を探求し続けることが、自分にとっての表現の核、生きがいになっている。
かつては、社会の一部になることに違和感を抱いていた。
だが、今は**「映画を通じて、社会とどう対話するか?」** を模索している。
映画とは、単なる娯楽ではなく、
私にとって「人と世界の間にある曖昧な境界」を探る手段なのかもしれない。
だからこそ、これからも私は問い続ける。
「映像とは何か?」
「映画は、どこまで世界を映すことができるのか?」
そして、その問いの先に、新しい映画が生まれるはずだ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

