高齢者批判をする僕もいずれは老害と呼ばれる
東京アンダーグラウンド。今朝はエクセルシオールカフェに行ったのだが、そこに声の大きな高齢者の二人組がいて、とてもうるさかった。不愉快だった。
高齢者という存在はお金だけは持っている。だけどスマホもろくに使えないし、身体は衰えている。ドコモショップや、歩いている姿でわかる。
いまやテクノロジーの進歩で高齢者の知恵より生成AIなのだ。成田悠輔という経済学者が「日本の高齢者は集団自決せよ」と言ったらしいが、そこまで行かなくても、せめて次の世代にお金を使うとか、若者支援をするとか、できることはいろいろあると思う。
生きているだけで、延命のことしか考えていないのなら、その人生に意味はないのでは?
医療の進歩が長寿を可能にしたけれど、僕はそんなに長生きもしたくない。僕の親はお金持ちで贅沢な生活をしていて羨ましい。頭もしっかりしている。健康的でピンピンしている。スマホもしっかりと使いこなせる。
我が親ながら素晴らしい。高齢者も二極化している。老後がなくなり、ずっと働かないといけない高齢者もいる。仕方がない。アリとキリギリスである。少しでも若い時に将来を見据えて行動をしなければならない。
『老害』という言葉がある。老いた害である。とんでもない言葉だな。昔の常識が通用しなくなりつつある。結婚しなくてもいいし、転職・副業は当たり前になった。これからだってどうなるか分からない。
僕もこれからは老けていくだけなので、せめて立派な老害になりたいものだ。やれ「昔は良かった」をひたすら繰り返す。
要するに今と同じだ。すでに老害である。やったー!文句を言われたら「すみません、老害なんです」と言えばいい。
老害として模範にならなければいけない。しかし、そんな老害の僕でも、若い世代が心配になることもある。もはや日本は経済大国ではない。そんな時代でいかに若い世代に活躍してもらうかを考えないといけない。
大変だと思う。経済的援助もするし、残りの人生で少しでも住みよい日本にしたいと思っている。
本当の老害になる前に若者支援をしなければいけない。日本の奨学金制度はおかしい。ただのローンだ。教育は国の基本だ。大学の教科書はひたすら高い。何冊も買うと数万円はした。
自分が若い頃を思い出してきた!当時はお金も力もなく、正直、無気力だった。「最近の若者はダメだな」と言われていた。
そうだ。僕も若者だったのだ!あの頃は社会の理不尽に心の底から頭に来ていた。「この社会は腐っている!」と本気で思っていた。
いつから僕は大人しいイエスマンになってしまったのだろう?急に元気が湧いてきた。気持ちだけは若者だ!名探偵コナンのように、頭脳は大人、見た目は中年である。例えが違うか。
たとえ高齢者になって老害と呼ばれても、若者に「最近の若者はダメだな」とだけは言いたくない。僕は立派な若者じゃなかったし。
日本の未来を担う、とか期待してはいけないけど、幸せな人生を今の若者には送ってほしい。そのためなら有料記事を買って、チップも払いますよ。
老害になるには早すぎた。きちんと若者支援をして、10年後くらいにようやく老害になりたい。でもその頃も若者支援をしていて感謝されてしまうかもしれない。「諏訪さん、いつも経済的援助ありがとうございます」とか。
老害になるのも意外と難しいものだ。
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