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送迎を手放したら、忘れ物は増えた。でも、主体性は残った。

ある日、娘が言った。

「スクールじゃない日も、自主練に行きたい」

正直、うれしかった。

でも同時に、
現実もあった。

平日は仕事がある。
毎回の送迎は、正直むずかしい。

どうするか考えて、
祖父とファミサポにお願いすることにした。



理由はふたつ。

ひとつは、物理的な問題。
もうひとつは、心の問題。

もし私が毎回送迎したら、
きっとこう言ってしまう。

「忘れ物ない?」
「時間大丈夫?」
「これ持った?」

効率は上がる。
失敗は減る。

でもその分、
子どもが“自分で決める機会”を
私が回収してしまう気がした。

主体性は“与えるもの”ではない。
削られなければ、自然に立ち上がる力だ。

そう思っている。



送迎をお願いしてみた結果

忘れ物は増えた。
本当に増えた。。
水筒、タオル、時にはチョーク。

効率は落ちた。

でも同時に、
こんな言葉が増えた。

「今日は全部、自分で準備した」

頼まれてやる準備と、
自分でやる準備は、質が違うことに気がついた。



発達の視点で見ると

子どもの自律性は、

・自分で決める
・自分で失敗する
・自分で調整する

この循環で育つ。

親が関与しすぎると、
最初の「決める」が消える。

今回の送迎は、
結果的にその部分を残す形になった。



実は、変わったのは私だった

送迎を手放したことで、
私にも余白ができた。

仕事を終えて急いで迎えに行き、
焦りながら「早くして」と言う日々。

その焦りが、
無意識に管理を強めていたと思う。

けれど、今は違う。

「今日はどうだった?」

と、ただ聞ける日が増えた。

発達心理の観点では、
親の情緒の安定は、
子どもの自律性の土台になる。

自律は、管理からは生まれない。
安心から生まれる。



忘れ物は増えた。
でも、
自己決定は増えた。

そして、
自主練は「やらされる時間」ではなく、
自分で選んだ時間になった。

送迎を手放したのは、
削らないための選択だった。

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