最近一番うれしかったこと
三人だけで焼肉へ行くのは、この日が初めてだった。
下の子・光が英検に合格した。
「今日は奮発しちゃうぞ!」
そう決めて、お祝いに外食することにした。
子供達からのリクエストで焼肉屋へ向かった。
テーブルに運ばれてきたハラミやタン。
空と光が、当たり前のようにトングを手に取った。
「え? お母さんが焼くよ?」
そう声をかけても、二人は何も言わない。
黙って肉を返し、焼き加減を見ながら、それぞれのお皿へ運んでいく。
いつもと違う流れ。
今まで見たことが無い。
優しい光景。
焼けたお肉は、まず相手のお皿へ。
そして気づけば、私のお皿にも。
「はい、お母さん」
そっと置かれた一枚のお肉。
私も焼けたお肉を二人のお皿へ入れる。
「ありがとう」を何度も口にしたわけじゃない。
でも、お互いのお皿へお肉をのせ合う、その時間そのものが、
言葉にしない「ありがとう」だった。
まるで、トングを通して気持ちを伝え合っているようで、胸がじんわり温かくなる。
今まで、自分からお肉を焼いてくれたことなんて、一度もなかったのに。
しかも、私のために。
そのときだった。
「お母さん、お肉足りる?」
光が下から、そっと顔をのぞかせる。
その姿は、まるで小さなお母さん。
私がいつも子どもたちにかけていた口調が、そのまま返ってきたようだった。

胸が熱くなる。
優しさは、ちゃんと伝わっていたんだ。
その時間が、たまらなく愛おしかった。
* * * *
帰りに立ち寄った雑貨屋。
私はアロマを眺めていた。
その横で光が言った。
「新しい枕が欲しいな」
手に取ったのは、6800円の枕。
「これがいい!」
目を輝かせる姿を見て、私も「買ってあげたい」と思った。
でも現実はそう簡単じゃない…。
さっきの焼肉のお会計
12000円。
家計を考えると、今日は少し厳しかった。
「ごめんね……。こっちでもいいかな?」
そう言って1700円の枕を指さすと、光は迷うことなく笑った。
「うん! この枕、ふわふわしてる! こっちがいい!」
その笑顔に、胸がぎゅっと締めつけられた。

我慢させてしまった申し訳なさ。
それなのに、私を困らせまいとしてくれる。
「お母さん、もっと頑張るからね」
すると隣で空が笑う。
「うん、頑張って👍」
光も枕を抱きしめながら続けた。
「この枕、気持ちいいよ。これでいいから!」
もう涙をこらえるのに必死だった。
* * * *
家へ帰ると、二人は寝室へ向かった。
片付けを終えて私も寝室へ行く。
空はもう眠っていた。
光を見ると、新しく買った枕ではなく、なぜか私のぺたんこの枕を使い、私のタオルケットにくるまって眠っていた。
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
昼間は、お肉を焼いてくれた。
私を気遣って、「これでいいよ」と笑ってくれた。
そんな姿を見て、「もう大きくなったんだな」と思ったのに。
眠っている顔は、まだ甘えん坊のままだ。
その寝息を聞きながら、私は静かな幸せに包まれていた。
癒やされているのは、きっと私のほうだった。
英検の合格は、もちろんうれしかった。
でも、この日私が一番うれしかったのは、合格証書ではない。
お肉を焼いてくれたこと。
私のお皿に、そっとお肉をのせてくれたこと。
「これでいいよ」と笑ってくれたこと。
子どもは、親が思っているよりもずっと早く成長していく。
その一方で、眠るときには、まだ私の枕を選んでくれる。
大人へ向かって少しずつ歩きながら、まだ子どもでもいてくれる。
その愛おしい時間は、きっと永遠ではない。
だから私は今日という日を、ずっと忘れない。
英検のお祝いの日。
子どもたちから、私のほうが大きなお祝いをもらった一日だった。

