無計画でも、遠回りでも無駄じゃない。就職氷河期と、ガムシャラだったワーホリの話
1. 就職氷河期の絶望
あの頃はリーマンショックの影響を受け、
世間はまさに就職氷河期。
専門学校の2年生、まさに就職活動の時期だったのに、私の仕事は全く決まりませんでした。
思えば当時の私は、昼間働いて
夜は学校に通う生活の毎日。
そのまま社会に出て働く自分の姿なんて、
正直1ミリも想像できていませんでした。
「就職活動」という形だけはしていたものの、
「どのように働きたいか」
「自分はどうなりたいか」
なんていう将来のビジョンはゼロ。
「私は一体、何がやりたいんだろう」
「これからどうやって生きていけばいいんだろう」
そんな漠然とした不安を抱えたまま、
卒業後はとりあえずアルバイトをしながら
生活する日々が始まりました。
2. ホテルでのアルバイトと、
突然のひらめき
その頃していたホテルのアルバイトでは、
少なからず毎日英語に触れる機会がありました。
相手の言っていることはなんとなく分かるのに、自分の言葉でコミュニケーションが取れない。
「もっと話せるようになりたいな……」
そう思った瞬間、頭にひとつのアイデアが
閃きました。
――そうだ、ワーキングホリデーに行こう!
「むしろ、今の状況を抜け出すには
ちょうどいいかもしれない!」
思い立ったら吉日。私はその勢いのまま、
ワーホリに行くことを決意してしまったのです(笑)。
決断してからの行動は早い方だったので、
悩むことはほとんどありませんでした。
むしろ、心のどこかで
「ワーホリに行けば、人生のモヤモヤが
すべて解決するんじゃないか」
とさえ本気で期待していたのです。
3. 想像と現実の間で:
オーストラリアでの生活
昼も夜もバイトを掛け持ちして
必死に貯めたお金を握りしめ、
いざオーストラリアへ!
現地に着いてまず驚いたのは、
想像以上の日本人の多さ。
そして、思いのほか直面した差別。
もう1年滞在できる「セカンドビザ」を
狙って農場でのファームバイトに
挑戦したものの、あまりのキツさにたった
1週間で挫折(笑)。
クラブで遊びすぎてあっという間にお金が
なくなり、慌てて新しいバイトを探す
ハプニングも。
生活環境も刺激的でした。
韓国人のルームメイトと暮らせば、
冷蔵庫は常にキムチの匂いで充満。
広東人や台湾人の友達の家に行けば、
みんなで中国の文句で大盛り上がり(笑)。
さらに、ワーホリの最中には
東日本大震災が起き、日本の実家が大変な状態に。当時の私のメンタルはガタ落ちでした。
結局、現地のオージーの友達ができたわけでもなく、日本人同士で集まってばかりの毎日。
それでも――若さゆえの勢いで飛び込み、
苦い思いも甘い経験もすべて味わった
あのワーホリ生活は、今思い出しても
最高に楽しい経験だったと胸を張れます。
4. 英語力と、その後の人生
肝心の英語力はどうなったのか?
帰国後、外資系ホテルで働くことになりましたが、そこで仕事に困らない程度の英語力は
しっかり身についていました。
あの時思い切って行って、
本当によかったと思っています。
その後、看護師を目指すようになってからは
英語を話す機会こそほとんどなくなってしまいましたが、街で外国人に道を聞かれたり
話しかけられたりしても、焦ることなく
対応できるくらいのベースにはなっています
(今は日々のDuolingoで細々とキープしているくらいですが(笑))。
5. 終わりに:
無駄な経験なんてひとつもない
人生において、何を経験しても
無駄なことなんてひとつもない。
あの時、自分が必死にもがいたこと、
死ぬほど辛かったこと、
涙が出るほど楽しかったこと。
そのすべてが自分の糧となり、
いつか巡り巡って自分の人生に返ってくる。
今なら心からそう思えます。
