見出し画像

349.【峮峮応援通信#5】日本でブレイク後、峮峮(チュンチュン)チアリーダーと家族のエピソードを語る!

大家好。久々の峮峮応援通信峮峮(チュンチュン)のインタビュー集の5回目です。今回は、日本でブレイクした後、峮峮がチアリーダーと家族のエピソードを語ったインタビューを取り上げます。2020年6月3日、『娛樂星世界』の動画からです。

このインタビューは、故・黄鴻升エイリアン・ホァン)氏との交際が発覚する前のもので、ネット酸民の心ないコメントに悩まされる前に撮られたものです。

※インタビュー訳の中の「」は、ナレーションおよびインタビューアーを表しています。

家族を養うためにモニターを捨てる!
チアリーダーの女神・峮峮が日本でブレイク!
ステージに戻ると、人生の落ち込みをさらけ出した!


:まぶしい笑顔、エネルギッシュなダンス、プロ野球チアリーダーの女神・峮峮、台湾だけでなく、日本でも人気です。
日本のヤフー・ホームページに掲載されると、討論を引き起こしました。日本の雑誌の表紙には2回登場し、表紙を開くと、最初のページは彼女です。
チアリーダーになる前は、実は会社員だったのです。

峮峮:大学を卒業してすぐ離れて、その稼業から離れて、一般的なサービス業に入りました。たくさんのことをしました。それが何かって、電話会社の販売員、それから美容室のカウンター、それからレストランのウェイトレス、たくさんの仕事をしたから・・・

画像1

:チアリーダーの募集のため、会社を辞めようとしました。それは月給制が導入され、ダンスの訓練も不要になっていたのです。そこで峮峮は動かされ、ステージに戻ることを考えました。

峮峮:私には金銭的なプレッシャーがあり、家族に仕送りしなければならないので、毎月の収入が固定されていない仕事をしては、サービス業に戻るしかありませんでした。その後大丈夫だと思って、チアリーダーの仕事を試してみたのは、当時は実際に月給制でしたし、ステージも均等に固定されていたからで、それは均等固定されて毎月毎月分けられたのです。

:安定した収入がある――長女である峮峮は、毎月定期的に家に仕送りしています。まさか観客が撮った応援動画があるとは思いませんでした。それはネット上でバイラルに転載され、ネット民からは「バネダンス」と呼ばれ、峮峮は急速にブレイクしました。

画像2

「このダンスは『バネダンス』と呼ばれてる」
「波打つダンス、とてもボヨンボヨン」
「兄弟が跳んだりはねたり」
「兄弟って言葉を使ったのは私じゃない」
 ――2018年12月11日『國光幫幫忙(The Gang of Kuo Kuan)』より

峮峮:私は友達と共有しました。私がわざとこんな事をしていると思っている人がいるはずだと感じました。あるいは、私が応援しているとき、他の人がずっと私のスタイルに注目しているとかですね。それは変な感覚です。

でも私の友達、何人かの友達が私を慰めてくれるかもしれない。あなたはあなたの仕事をしてますね。あなたは、これはもともと、あなたはあなたのことをしていて、あなたはわざと見せようとしているわけではありません。

平常心で見るように言われたので、後になって少し良くなり、少し納得しました。

画像3

:知名度が上がってからは、番組告知を始め、写真集を発売し、ネットドラマにも出演しました。元々固定収入を持ちたかっただけで、芸能界の扉が開くとは思っていませんでした。

峮峮:私が最初にチアグループに入ったとき、加入した最初の年、加入してから何カ月くらい経って、チアグループのマネージャーになるのは良さそうだと感じました。それなら、まずチアリーダーになって、それからそこに入ってみんなを見ているのが目標だと思ったんです。

それでそばでマネージャーが何をしているのかを見てます。それから2年後には、チアグループのマネージャーになるかもしれません。

画像4

:いつも次のステップを考えています。台南から来た峮峮、家では父が専業主夫、母が会計士です。
カウンターを務めていた時も経理の試験を受けたいと思っていました。小さい時から、両親の仕事が大変で、大人になったら妹と一緒にお金を稼いで家族を養うことがわかっていたからです。

峮峮:時々母に、むやみに買い物しないでと願うんですけど(:私の母もそうです)。家に帰るたびに感じるのは、はいはい、いいよ、いいよ。・・・いやいや、でも結局のところ子どもの頃もそうだったし、彼らもそうやってあなたにお金を払っていました、と。

実は、実際はっきり言ってしまえば、彼らはあなたにそんな良い生活を与えることもできますし、与えなくてもいいんですね。そうでしょ、でも彼らはやはり喜んで、無条件で、あなたが欲しい携帯電話を買ってあげるのです。私はいつまでもその時のことを覚えています。

しばらく日本の携帯電話が流行っていたのですが、とても高く、その時は高かったじゃないですか。そしてその時は若かったけど、欲しかったし、そして母は思い切って買ってくれました。

結局1カ月か2カ月だったか使ったんですけど、交通事故に遭って、軽い交通事故ですよ。で、携帯が壊れて、そして「うそ~」って感じ。携帯は1万元余りでそういうこと。

でももちろん、母は何も言わず、それで私を叱ることもなくて、何も。軽傷で済んだとはいえ、母は私を叱りませんでした。「あの携帯はどう?どうしてカバンに入れないの?」――いえ、母はそうしません。母はただ「大丈夫よ、あなたが無事でよかった」と。

画像5

:お母さんが責めることはなく、峮峮はいっそう心より感謝しました。家族は最強の後ろ盾です。
またかつてSNSサイト「無名小站」の美女ベスト10に入り、『大学生了没(College Talk)』のメンバーだったので、早くからネット酸民のコメントとの向き合い方を身につけています。
チアリーダーを職業に選んだのは、保守的な父親にいささか挑戦するものでした。

峮峮:私の父は以前スポーツ選手だったので、実は話してくれました。父は今でも見るのが大好きで、毎回そこで待っていて、私が今日いなくても、私が出場していなくても、私たちがアウェーであっても、父はやっぱり見ているのです。

そして私の母と・・・、父は自分から直接私にはしません。父は私の母に話して、あの中信兄弟の試合はどうこう。それから母は私に話に来て、「お父さんは試合を見てますよ。あなたが今日はどうだったと言ってた」と。

でも、写真集の一部について言わなければなりませんが、父に見せる勇気がないんです。

画像6

:台湾の人気は日本に達し、さらに日本で握手会が行われたり、本を出版したり、映画を撮ったりと、いろいろ発展していくでしょう。人生での落ち込みと言えば・・・

峮峮:私にとって、台北の生活では、友達がとても大切な支えです。私の家族が台南にいるので、台北で友達と口喧嘩したことがあります。

人生が破滅したと感じて・・・そんなことないのに、ちょっと感じて、あの時はちょっとどうしたらいいのかわからなかった。それから(:人間性に失望)、そう、そう、そう、ちょっとそんな感じで、人間性に失望しました。それから、何もしたくないよ。それから、これすべてを投げ出したい。それから、そう家に帰る。

画像7

:その後、本を読み始め、峮峮は「これからは執着しない」と考え直し、落ち込みから抜け出しました。

峮峮:その頃はたくさん本を読みました。その時読みました。

あなたがご存じの、それはあまり流行ってない『嫌われる勇気』。あなたの優しさ・・・知ってます?、黄色いあの『優しくても少し鋒鋩ほうぼうが必要だ』。その頃、私はこういった本をたくさん読みました。

画像8

:裏切りの原因は控えめで、あまり語ろうとしないで、簡単に子どもの頃のことと言うだけです。今は芸能界に集中していて、峮峮は将来に制限を設けません。

峮峮:演技のレッスンを受けたいし、もっと自分を発掘したいと思います。どのくらい演じられるのか、または何ができるのか、大変だとは聞いていますが。でもやっぱりやってみたいと思います。

画像9

#熟成下書き

いいなと思ったら応援しよう!

丸武群@峮峮(チュンチュン)応援note この記事を読んでいただき、誠にありがとうございます。今後も記事作成を頑張っていきます。noteアカウントがなくてもできますので、よろしければご支援のほどよろしくお願いいたします。