火種を大火に変える「終わらない戦争」の近代史
ISISはどこから来たのか
火種を大火に変える「終わらない戦争」の近代史
1979年から2026年まで、イラク・シリア・ウクライナ・ガザ・イランを一本の線で読む
ISISは、突然砂漠から現れたのではない。
日本のテレビがISISを大きく映し始めたのが2014年から2015年だったため、私たちには突然現れたように見えた。黒い旗、覆面の男、人質映像、空爆、安倍首相の中東支援。それらの強烈な場面だけが連日放送された。
しかし、その前には何十年にもわたる摩擦があった。
国境線、石油、宗派、民族、イスラエルとパレスチナ、イラン革命、アフガニスタン戦争、湾岸戦争、経済制裁、イラク侵攻、シリア内戦。それぞれの火種へ外部から資金と武器が入り、報復が報復を呼び、やがて誰が誰と戦っているのか分からない状態になった。
ISISは原因ではない。
長年積み重ねられた国家破壊と代理戦争が生み出した、一つの破壊実行形態だった。
その前史――国境と石油を外から決めた時代
現在の中東問題を1979年からだけ見ても、十分には理解できない。
第一次世界大戦後、旧オスマン帝国の地域は英仏を中心とする列強によって分割され、民族、宗派、部族の生活圏とは必ずしも一致しない国境線が引かれた。パレスチナは英国の委任統治下に置かれ、1917年のバルフォア宣言は「ユダヤ人の民族的郷土」建設を支持した。1948年にはイスラエルが成立し、同時に多くのパレスチナ人が故郷を追われた。ここに、現在まで続くイスラエル・パレスチナ問題の根がある。
もう一つの軸は石油である。
1951年、イランのモサデク政権は英国企業が握っていた石油産業を国有化した。英米の公文書には、英国側がモサデク政権を倒し、より「信頼できる」政権へ置き換えるクーデターを米国側へ提案していたことが記録されている。
この経験は、イラン側に「西側諸国は民主主義より石油と自国利益を優先する」という記憶を残した。
中東の反米感情や反西欧感情は、宗教だけから生まれたのではない。政権交代、資源支配、軍事援助、外国軍の駐留という具体的な歴史から生まれている。
1979年――現在へ続く大きな分岐点
1979年は、中東の近代史を読むうえで決定的な年だった。
イランでは、親米的なパーレビ国王体制が倒れ、イスラム革命が起きた。同年11月には米国大使館が占拠され、米国人外交官らが444日間拘束された。これによって米国とイランの関係は決定的に悪化した。
イラン革命は、周辺の王政国家やイラクのサダム・フセイン政権にも強い警戒感を与えた。特にイラクは、国内多数派であるシーア派へ革命思想が波及することを恐れた。当時の米公文書にも、革命後の混乱によってイラクが湾岸地域の有力な軍事国になり、同時にシーア派の動揺を警戒していたことが記録されている。
同じ1979年、ソ連はアフガニスタンへ侵攻した。
米国、サウジアラビア、パキスタンは反ソ連武装勢力へ巨額の秘密支援を行った。資金と武器は主にパキスタンの情報機関を通じて配られた。一方、後にアルカイダを作るビンラディンらは独自の資金網を持ち、米国から直接支援を受けた証拠は乏しいと、米国の9・11調査委員会は整理している。
ここは重要である。
「米国が直接アルカイダを作った」という単純な話ではない。
しかし、外国から大量の資金と武器が流れ、武装訓練施設、越境経路、資金調達網、宗教的動員の仕組みが作られた。その戦争インフラの中から、後の国際的な武装組織が育ったことも事実である。
特定の組織を直接作らなくても、組織が育つ戦場と資金環境を作ることはできる。
1980年~1988年――イラン・イラク戦争
1980年9月、イラクはイランへ侵攻した。
戦争は短期で終わらず、約8年間続いた。両国は多数の死傷者と莫大な損害を出したが、明確な勝者のないまま停戦した。
戦争後のイラクには軍事力と巨大な借金が残った。イラクは戦費を湾岸諸国からの借入れで賄い、1990年には湾岸諸国へ約370億ドルの債務を抱えていたと米国務省の歴史資料は説明している。
イラク側は、自分たちが革命後のイランから湾岸諸国を守ったと考え、債務免除を期待した。しかしクウェートなどは応じなかった。
そこへ原油価格、石油生産量、国境油田、戦後債務をめぐる対立が重なった。
火種は、宗教だけではない。
戦争で生まれた借金と石油価格が、次の戦争の燃料になった。
1990年~1991年――湾岸戦争
1990年8月、イラクはクウェートへ侵攻した。
国連安全保障理事会は侵攻を非難し、経済制裁を決定した。翌1991年、米国を中心とする多国籍軍がイラク軍をクウェートから排除した。
湾岸戦争そのものは短期間で終わったが、対立は終わらなかった。
イラクには長期の経済制裁、武器査察、飛行禁止区域が課された。国連は制裁下の人道危機に対応するため「石油食料交換計画」を実施した。国連自身、湾岸戦争直後のイラクが疫病や飢餓を含む大惨事に直面する可能性を報告している。
制裁はサダム政権を倒さなかった。
一方で一般市民の生活を疲弊させ、国家機能を弱らせた。独裁政権の中枢は残り、市民社会と社会基盤だけが傷んでいった。
さらに米軍は、湾岸地域とサウジアラビアへ長期駐留するようになった。
ビンラディンは、イスラム教の聖地を持つサウジアラビアへの米軍駐留を強く非難した。9・11調査委員会によれば、1990年のクウェート侵攻後、ビンラディンは自らの義勇兵による防衛をサウジ王室へ提案したが拒否され、サウジが米軍駐留を認めたことで王室と米国への敵意を強めた。
湾岸戦争は終わっても、そこからアルカイダの物語が始まった。
1990年代――アルカイダという国境のない戦争組織
アフガニスタン戦争を経験した外国人戦闘員の一部は、帰国することも、普通の生活へ戻ることもできなかった。
ビンラディンはスーダンへ移り、企業、銀行口座、非政府組織を組み合わせた国際的な資金網を作った。その後アフガニスタンへ戻り、タリバン政権下で訓練拠点を確保した。
ここで戦争の形が変わった。
国と国が宣戦布告して戦うのではない。複数国にまたがる資金網、宗教組織、民間人、武装訓練所、非合法送金を使い、国境の外から攻撃する。
一方、米国側も敵を特定国家ではなく「テロ」と定義するようになった。
敵が国家でなければ、首都を占領して講和条約を結ぶことはできない。
敵はいくらでも名前を変え、別の国へ移動する。こうして、終戦条件のない戦争が可能になった。
2001年――9・11と「対テロ戦争」
2001年9月11日、アルカイダによる米国同時多発攻撃が起きた。
米国はアフガニスタンへ軍事介入し、タリバン政権を崩壊させた。その後、対テロ戦争の対象はアフガニスタンからイラクへ広げられた。
しかし、9・11調査委員会は、イラク政府とアルカイダの関係について、接触はあったものの、米国への攻撃を共同で計画・実行した証拠は確認できなかったとしている。
つまり、
9・11を実行したのはアルカイダであり、サダム・フセインのイラクではなかった。
にもかかわらず、テレビ報道と政治演説の中では、9・11、テロ、アルカイダ、大量破壊兵器、イラクが一つの脅威として並べられていった。
事象を並べれば、視聴者の頭の中で因果関係が作られる。
2003年――イラク戦争と国家の解体
2003年3月、米英軍を中心とする有志連合がイラクへ侵攻した。
理由として大量破壊兵器の保有が強調されたが、侵攻後、想定されていた大量破壊兵器の備蓄は発見されなかった。
英国の独立調査であるイラク戦争調査報告書は、軍事行動開始時点で外交的手段は尽くされておらず、軍事行動は「最後の手段」ではなかったと結論づけた。また、戦後に起こる危険に対する十分な計画も用意されていなかった。
さらに占領当局は、バース党関係者を行政から排除し、イラク軍や治安組織などを解体した。
連合国暫定当局の命令第2号には、対象組織を解散し、そこで働いていた者を解雇することが明記されている。
結果として何が起きたのか。
軍事訓練を受け、武器の扱いを知り、地域の人脈を持つ多数の旧軍人が、職も給与も地位も失った。警察、行政、国境管理も弱体化した。
サダム政権を倒すことには成功した。
しかし、政権と一緒に国家の骨格まで壊してしまった。
テロ組織が国家を破壊した後に現れたのではない。国家を先に解体したから、その空間へ武装組織が入り込んだ。
2003年~2010年――アルカイダ・イラク支部の誕生
国家機能を失ったイラクへ、ザルカウィの武装組織が入った。
2003年にはバグダッドの国連本部が爆破され、国連特使を含む多数が死亡した。2004年、ザルカウィの組織はビンラディンへ忠誠を誓い、「イラクのアルカイダ」を名乗った。
この組織は、占領軍だけを攻撃したのではない。
シーア派住民、モスク、市場、政府機関を攻撃し、宗派間の報復を意図的に拡大した。
一方を攻撃すれば、もう一方が報復する。
報復が起きれば、新たな被害者が生まれる。
被害者は次の戦闘員になる。
武装組織は、敵を倒すだけでなく、敵同士が永遠に憎み合う環境を作った。
2006年には「イラク・イスラム国」を名乗るようになった。これが後のISISの直接の前身である。
2011年――シリア内戦という新しい燃料
2011年、シリアで反政府運動が起こり、政府側の弾圧をきっかけに武力衝突へ拡大した。
しかし、戦争は単純な「アサド政権対国民」では終わらなかった。
アサド政権をロシアとイランが支援し、反政府勢力を米国、欧州、トルコ、湾岸諸国などがそれぞれ異なる形で支援した。クルド勢力、イスラム武装組織、外国人戦闘員も加わった。
同じ反政府側でも、自由主義勢力、民族勢力、宗教勢力、アルカイダ系が混在した。武器は奪われ、売られ、横流しされ、部隊ごと寝返った。
誰が渡した武器なのか。
誰が最終的に使っているのか。
誰が本当の味方なのか。
次第に分からなくなった。
イラクで弱体化していた「イラク・イスラム国」は、このシリア内戦へ入り込んだ。2013年にISISを名乗り、2014年にはモスルを占領し、イラクとシリアにまたがる「カリフ国家」を宣言した。
ISISが突然現れたのではない。
イラク戦争で生まれた破片が、シリア内戦という新しい戦場で再結合した。
2015年――日本向けに編集されたISIS
日本でISISが大問題になったのは2015年の日本人人質事件だった。
その直前、安倍首相は中東訪問中、「ISILと闘う周辺各国」に総額2億ドル程度を支援すると表明した。日本政府は、難民・避難民支援などの非軍事分野だと説明した。
ISISは、すでに拘束していた日本人を使い、同額の2億ドルを要求する映像を公開した。
日本のテレビでは、
安倍首相が支援を表明した。
ISISが怒った。
日本人を人質にした。
殺害映像を公開した。
という短い物語になった。
しかし、ISISの発端は日本ではない。
日本人は何十年も続く中東の戦争へ、宣伝材料として途中から組み込まれただけである。
映像は、事件の原因を説明するためではなく、恐怖を最大化するために作られた。ISIS自身が映像制作会社のように宣伝作品を作り、世界のテレビ局がそれを繰り返し放映した。
テレビ局はISISを批判しながら、ISISの宣伝を世界へ無料配信した。
2017年~2019年――消えたのは領土であって組織ではない
米国主導の有志連合、イラク政府軍、クルド勢力、シリア民主軍などの攻撃によって、ISISは主要都市を失った。
2019年、シリアにおける最後の大規模支配地域が陥落し、「領土を持つISIS」は終わった。
するとテレビからISISが消えた。
しかし、戦闘員全員が消えたわけではない。
地下へ潜った者、一般社会へ紛れた者、アフリカやアジアへ移動した者、各地域の武装組織へ看板を与えた者がいた。
米国家テロ対策センターは2026年4月時点で、ISISが少なくとも15の支部・ネットワークを持ち、世界全体で約8800人から1万3100人、イラクとシリアにも約1500人から3000人が存在すると推定している。
ISISは消滅したのではない。
テレビに映りやすい国家の姿から、再び国境のない地下組織へ戻った。
2022年以降――戦争の舞台は変わっても、増幅装置は残る
ウクライナ、イスラエル・ガザ、イランの戦争や対立は、それぞれ歴史も責任も異なる。
ロシアによるウクライナ侵攻と、ISISのテロ活動を同じものとして扱うことはできない。イスラエル・パレスチナ問題にも、100年以上に及ぶ独自の歴史がある。
それでも、戦争を拡大し、長期化させる仕組みには共通点がある。
火種がある。
双方が相手を脅威と考える。
外部から資金、武器、訓練、情報が入る。
一方の攻撃が報復を呼ぶ。
報復が次の支援を正当化する。
兵器が消費され、補充契約が生まれる。
戦争が長期化し、軍需生産能力そのものが拡張される。
米政府監査院によれば、米国防総省にはウクライナへ送った兵器を補充するため259億ドルが用意され、その一部は砲弾などの生産能力拡張へ使われた。
NATOは2026年、ウクライナへの軍事装備、支援、訓練として700億ユーロを拠出し、2027年も同水準を維持する方針を示している。
ガザでは停戦が発表された後も深刻な人道状況が続き、イランをめぐってもイスラエル、湾岸諸国、米国を巻き込む軍事的緊張が継続している。
戦争の正当性や責任は、それぞれ個別に検証しなければならない。
しかし、どの戦争でも、被害を受ける市民とは別の場所で、予算、兵器契約、権限、監視技術、資源価格、復興事業が拡大する。
「支援」と書けば人道的になるのか
日本人は「支援」「寄付」「難民」「子ども」「医療」という言葉を見ると、それだけで人道的な金だと受け取りやすい。
しかし、金に色はつけられない。
ある国が食料や医療に100億円を使う予定だったとする。
外国が人道支援として100億円を肩代わりすれば、その国が持っていた100億円は軍事費、治安費、情報活動へ回せる。
支援金が直接武器購入に使われなくても、国家財政全体では軍事行動を支えることがある。
現物支援でも同じである。
食料が武装勢力に徴収される。配給所を支配される。物資が横流しされる。住民への支援を外部団体が肩代わりすることで、武装勢力は自らの資金を戦闘へ集中できる。
だから見るべきものは、支援の名称ではない。
その金によって誰の負担が減り、浮いた資金がどこへ回り、誰の戦闘継続能力が高まったか。
人道支援が不要だという話ではない。
人道という看板だけで、資金の行き先を考えなくなることが危険なのである。
DSとは秘密結社の名前ではなく、国境を越える構造
ここでいうDSを、一人の首領が命令する秘密組織として考える必要はない。
軍需企業は受注を求める。
軍は予算と装備を求める。
情報機関は活動領域と権限を求める。
政治家は献金、雇用、支持を求める。
金融機関は融資と手数料を求める。
メディアは恐怖と衝突という視聴率の取れる映像を求める。
それぞれが自分の利益を追えば、一つの司令室がなくても、戦争を終わらせにくい巨大な仕組みができあがる。
アイゼンハワー米大統領は1961年、すでに「軍産複合体」が政治へ不当な影響力を持つ危険を警告していた。
陰謀よりも制度の方が始末が悪い。
陰謀なら首謀者を排除すれば終わる。しかし、予算、雇用、企業利益、同盟、官僚組織でつながった制度は、政権や担当者が変わっても動き続ける。
皆、同じ構図で大きくなる
小さな火種だけでは、大戦争にはならない。
火種の両側へ燃料を置く。
双方へ別々の経路から資金と武器を渡す。
一方には「相手が攻めてくる」と教える。
もう一方には「今戦わなければ滅ぼされる」と教える。
小さな衝突が起きれば、その映像を世界へ流す。
被害を受けた側へ追加支援を行う。
相手側も別の支援国から武器を受け取る。
あとは当事者が自分の意思で報復を続ける。
戦争屋は、すべての兵士へ命令する必要がない。
坂道を作って最初に押せば、あとは憎悪と恐怖が自分で転がっていく。
そして戦争が終わりかけると、停戦条件を複雑にし、新しい脅威を持ち出し、次の兵器を供給する。
破壊した後には、復興支援、融資、インフラ整備、民営化、安全保障協力という別の市場が待っている。
武器を売る者。
空爆する者。
復興を請け負う者。
融資する者。
破壊の前後で利益を得る者は、必ずしも戦場で死ぬ者ではない。
デジタル教科書で学ぶべき近代史
従来の教科書では、年号と事件名が別々に並ぶ。
1979年、イラン革命。
1980年、イラン・イラク戦争。
1990年、湾岸危機。
1991年、湾岸戦争。
2001年、米国同時多発攻撃。
2003年、イラク戦争。
2011年、シリア内戦。
2014年、ISIS台頭。
2022年、ウクライナ戦争。
2023年、ガザ戦争。
しかし、事件名だけを覚えても歴史は見えない。
考えるべきなのは、その間をつなぐ線である。
イラン革命が、なぜイラクを不安にさせたのか。
イラン・イラク戦争の借金が、なぜクウェート侵攻につながったのか。
湾岸戦争後の米軍駐留が、なぜアルカイダの主張に利用されたのか。
9・11と直接関係のないイラクが、なぜ侵攻対象になったのか。
イラク軍の解体が、なぜISISの人材供給源になったのか。
シリア内戦へ入った武器は、最終的に誰の手へ渡ったのか。
人道支援で浮いた資金は、どこへ回ったのか。
戦争が長期化したとき、誰の利益が増えたのか。
テレビは何を映し、何を映さなかったのか。
これが、Quuny流デジタル教科書で扱うべき近代史だと思う。
答えを暗記する歴史ではない。
出来事と出来事の間に、自分で線を引く歴史である。
最後に――戦争は突然始まらない
ISISは突然現れなかった。
9・11も、イラク戦争も、シリア内戦も、ある朝突然始まったわけではない。
過去の戦争が借金を残す。
制裁が社会を弱らせる。
政権転覆が国家機能を壊す。
武器が流れ込む。
職を失った軍人が武装組織へ入る。
宗派対立が煽られる。
残虐映像が放送される。
恐怖が次の軍事予算を正当化する。
そして支援、復興、平和維持という名前で、再び金が投入される。
テレビは爆発した瞬間を映す。
しかし、本当に見るべきなのは、爆発する何十年も前から、誰が火薬を置き、誰が導火線を延ばし、誰が点火できる環境を作ったのかである。
戦争とは、一つの事件ではない。
火種を大火へ変え、破壊と支援の両方を市場へ変える、長い連続工程なのである。
この記事は、Quuny流デジタル教科書「中東・東アジアの近代史」の読み解き編です。
年号と事件名を覚えるための歴史ではありません。
現在起きている戦争や紛争から過去へ遡り、資源、国境、資金、武器、情報がどのようにつながってきたのかを考えるための入口です。
各事件の背景・目的・手段・結果は、近代史タイムラインと詳細編で確認できます。
1979年 イラン革命・米イラン関係の断絶
1979年 ソ連のアフガニスタン侵攻と武装勢力支援
1980年 イラン・イラク戦争
1990年 クウェート侵攻
1991年 湾岸戦争と米軍の湾岸常駐
1990年代 経済制裁とアルカイダの形成
2001年 9・11と対テロ戦争
2003年 イラク戦争と国家機構の解体
2004年 イラクのアルカイダ
2011年 シリア内戦
2013年 ISISへの改称
2014年 モスル占領と「イスラム国」宣言
2015年 日本人人質事件
2019年 ISISの領土支配終了
2022年以後 ウクライナ、ガザ、イランへ続く代理戦争と軍需経済
前述のサイトページでは、
イラン・イラク戦争
湾岸戦争
イラク戦争
シリア内戦
ISIS
ガザ戦争
が個別の出来事として説明されている。
今回の記事はその間へ、
借金、石油、制裁、軍の解体、武器供与、宗派対立、支援資金、映像報道、軍需産業
という線を引いた。
Quunyの点線面理論が「歴史の読み方」になっています。
普通の年表は、出来事を点として並べます。
1979年 イラン革命
1980年 イラン・イラク戦争
1991年 湾岸戦争
2001年 9.11
2003年 イラク戦争
2011年 シリア内戦
2014年 ISIS台頭
これだけでは、出来事を覚えただけです。
Quuny流では、その点の間に線を引く。
イラン革命による周辺国の警戒
→ イラン・イラク戦争
→ 戦費と債務
→ クウェートとの摩擦
→ 湾岸戦争
→ 米軍の中東常駐
→ 反米武装勢力の拡大
→ 9.11後の対テロ戦争
→ イラク国家機構の解体
→ 旧軍人と武器の流出
→ シリア内戦
→ ISIS
