思考という名のブレーキ
皆さんこんにちは
ヤスオです
街中で楽しそうにイチャイチャしているカップルを見かけるたびに、胸の奥がチクりとするような、みっともない敗北感を覚えることがあります。
なんでいつも、こんなにぐるぐると考え込んでいる自分が「負けている」のだろう、と。
もし自分が、黙っていても人が寄ってくるようなイケメンだったら、恋愛はもっと簡単だったのかもしれません。
顔が良いというだけで、多少の強引さも「肉食系」として好意的に許される世界線があるなら、自分もあんな風に何も恐れずに距離を詰められたのかもしれない、と思ってしまいます。
でも、現実はそうじゃない。
だから自分は、嫌われないために「考える」という武装をするしかなかったのだと思います。
相手を傷つけないためにはどう振る舞うべきか。
自分自身が「ダメだ」と思われてショックを受けるのが耐えられないから、どこで踏みとどまるべきか。過去の経験から逆算して、いつも臆病なリスク計算ばかりをしてしまいます。
二人で飲みに行けば、お酒を飲ませすぎていないかと気を使う。相手の領域に土足で踏み込まないように、スマートな距離感を保とうとする。
それは自分なりの誠実さのつもりでした。
でも本当は、ただ傷つきたくないだけの防衛策でしかありません。
そうやって長期的なリスクを考えて足がすくんでいる間に、目先のノリと快楽を優先して、勢いで踏み込める人たちが「特別な関係」の切符を総取りしていく。
真面目に考えて、スマートに立ち回ろうとしている自分のような人間が、ただの「無害な友達」として置いていかれる。
「これは、目先のことしか考えていない方が勝つ、頭の悪いゲームなんじゃないか」
そんな風に思いたくなる瞬間があります。
でも、そうやってシステムのせいにすること自体が、結局は恋愛弱者の見苦しい言い訳でしかないことも、自分ではちゃんと分かっているのです。
「恋愛が全てじゃない。真っ当に仕事で成果を出して評価されて、長期的には経済的にも安定した生活を手に入れることの方が、人生においてよっぽど重要なはずだ」
平日の昼間、スーツを着て仕事に向き合っている時は、本気でそう思っています。
自分で今の生活を決め、必死に積み上げてきたキャリアには自負もある。
仕事の交渉であれば、深く考え、リスクを想定して動く自分が正しく評価されます。
なのに、休日の前夜、SNSに流れてくる誰かの楽しそうな夜の街の気配を見たとき。
あるいは、居酒屋のカウンターで警戒心ゼロで笑う相手を目の前にしたとき。
自分で決めて選び取ったはずの堅実な生活なのに、手に入らない、選ばなかった選択肢の方が、たまらなく眩しく見えてしまう。
仕事で培ったはずの「鋭い思考」が、途端に自分を縛る最強のブレーキへと変わります。
仕事の正解が、恋愛の不正解になってしまう。
自分が必死に築き上げてきた「正しさ」や「安定」の外側に、恋愛という、努力の法則が全く通じない未知の世界が広がっている。
そこに手が届きそうで、どうしても届かないジレンマが、余計に自分の思考を狂わせ、乱していくのです。
恋愛なんて興味ないふりをしながら、心の中では誰よりもその引力に引っ張られている。
その矛盾が、たまらなく格好悪くて、恥ずかしいです。
「じゃあ、あなたも何も考えずにバカになればいいじゃないか」
きっと、器用な人はそう言うのだと思います。
でも、それができないから、自分はいま、この文章を書いているのです。
一度持ってしまった「思考という名のブレーキ」は、そう簡単に外せるものではありません。
外したくても、どうしても足が離せない。
それが、まともな大人になってしまった自分の、呪いのような性質なのだと思います。
この理不尽なゲームに、自分はこれからも振り回され、格好悪く悩み続けていくのだと思います。
でも、そんな自分の不器用さや、みっともない矛盾を、もう諦めて見捨てるのだけはやめようと思います。
ブレーキを外せないなら、この頑丈すぎるブレーキを抱えたまま、この足枷と一緒に、泥臭く生きていくしかありません。
いつか、このブレーキの重みすらも一緒に笑い合える関係を、この格好悪い自分のままで、手繰り寄せてみたいと思います。
