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純度

純粋の文章が書けない時期に突入した。
こういう時は芸人がカッコ良く見える動画や画像などを見て自分の感情をリセットさせる行動をここ数年は取って来た。だが、自分が憧れてる芸人や自分では一生この人みたいな笑いを取る事が出来ないと嘆くしか無い芸人を見ても何も感じなくなっている。人間としての純粋さが無くなればそれはただ置き物に過ぎず、形が消え掛かった空間に過ぎない。存在証明としてのこの活動にもその消え掛かる靄が一層二層と重なり合って見える。見えてしまう。カッコいい事を言いたくもなる。難しい事も言いたくなる。光を生み出す言葉を言いたくなる。だが、言えない。僕は元々そういうタイプの人間では無いから。でも今後言わなくてはならない場面に遭遇したり、自らその場面を作り出してしまう時が来るだろう。その時はまた新しい自分を作り出し、皆んなを笑顔にさせるしか無い。するしか無い。そうするしか無い。

 僕の記事をいつも見てくれて読んでくれてスキを押してくれる人が今も居る事に驚く。毎秒驚く。

 年末のこの空気感が一番僕の感情を揺さぶって来る。何故なら今年の出来事を思い出す→その出来事の日、去年は何してたかな?と去年の出来事を思い出す→悲しむ→思い出す→悲しむ→思い出す→悲しむ×nだからだ。毎年この事を母に伝えても「感傷的になっても、何も良い事は無い。」と僕に笑いながら言う。僕は午前2.3時に母の寝室の小さな灯りから見える純粋な色の涙と汚いアルコール臭を思い出しながら母を見つめて笑う。笑わせる。笑みを製造する。

 失恋はいつも想像の何億倍強い衝撃と揺さぶりを計測し、その状態を数週間続ける。鼓動があの頃とずっと同じで収まりを知らない。それぐらい大切に扱わないといけないものだ。ノリで「まあ、また良い人見つかるよ」とか絶対に言えない。言おうとしても脳から送られた信号を表情筋が拒み声帯を微弱な震えに抑えながら「スゥ、、、」と浅い呼吸に留まるだろう。酸素を通常量脳に送ってしまうと、僕が僕でいられなくなるから。


このぐらいの文章の方が
皆んな読みやすいでしょ。
そのぐらい今の僕は、
純粋な文章が書けなくなっている。

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