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遅刻・ドタキャンが苦手すぎる

ASDの傾向を持つ私は、物事が予定通りにいかない事にストレスを感じる。


臨機応変な対応が苦手。
目まぐるしく変化するこの世界においては、あまりにも生きづらい性質だ。


例えば遅刻。
するのもされるのも苦手だ。

時間の認識は人それぞれ異なる。
私のように概ね10分前には待ち合わせ場所に着きたいタイプもいれば。
5分10分の遅れは気にしないタイプの人もいる。


後者については、そもそも遅刻が悪いことだという認識がない場合もある。

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実際数分遅れたところで大した影響はない。

しかし、私は数分の遅刻でも心にグサッときてしまう。
自分が軽んじられているような気になる。

そんな小さな事を気にする自分が嫌になる。
鬱になる。


ドタキャンについてはさらに深刻だ。
急所と言ってもいい。

これをされると、自分の全てを否定された気になる。
強く、強く死を意識する。


無論、体調不良など正当な理由があれば納得するのだが。
それでもがっかりはする。


ボドゲ会の前は毎回そわそわする。
参加者が楽しんでくれるかといった理由もあるが、遅刻・ドタキャンの警戒によるところも大きい。

複数人が集まる場では、全員が時間通りに来るとは限らない。
仕方ない。
頭ではわかっているのだが。

それでも遅刻の連絡が入るとかなり凹む。
15回開催したボドゲのうち、全員が時間通りに来たことはほとんどない。


だから「そういうもの」と自分を納得させてしまえばいい。
そう頭では分かっていても、心は脆くもダメージを受けてしまう。



極端なケースだと、当日に体調不良で遅刻の連絡。
遅れるけど絶対行きます!と言っていたのだが、数時間後にキャンセルした参加者がいた。

絶対という言葉の、何と空虚な事か。
もうそんな言葉を信じることはできなくなった。
自分を信じることもできなくなった。


今考えてみるとその人は最初に参加した時もナチュラルに遅刻してきて、謝罪の言葉もなかったので私とは対極に位置するタイプだったのだろう。
「遅刻は悪」という認識がないし、ドタキャンも大して悪いとは思わない人種だ。


むしろそれくらい図太い方が生きやすい。
この世界を生き抜くうえでは有利なのかもしれない。



そうした不誠実な対応は、私の心に消えない傷を残す。
その傷がある範囲を超えた時、もはや自◯せずにはいられなくなるだろう。


だが、皮肉にも。

慢性的に死を望む私にとっては、動機を与えてくれる事になる。
絶望は私の自◯を助けてくれる存在となるのだ。



明日のボドゲ会も一人キャンセル連絡があった。
が、それは体調不良という正当な理由があるので仕方がない。


せめて遅刻はないといいなぁ…なんて仄かに期待しつつ。

この記事を書いて、自分の生きづらさを再確認した。
早く死ぬべきなのだろう。

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