いつもそばにいる
偏愛:ある物や人だけを偏って愛すること。また、その愛情。
割と私は、好きなものにのめり込んで何度も繰り返すということが多いタイプだ。同じジュースや同じおやつばかり食べたり、同じ音楽を何度も繰り返し聴いたり。感銘を受けた映画も映画館でやっている間は何度も見に行くし、テレビでやっていたら録画して家でも見るし、DVDやブルーレイを買って自室でも見られるようにする。次から次へと流し込むように新しく摂取できるのは、本くらいだ。
でも、それらのジュースやおやつ、映画等は「偏愛」しているから繰り返すわけではなく、ただ気に入ったから繰り返しているだけだ。愛している、という程ではない。
そんな私が、「偏愛」している存在がいる。それが「チャンチョ」だ。
「チャンチョ」は、「オシャレになりたい!ピーナッツくん」というYouTubeチャンネルに登場するキャラクターである。

最近このチャンネルはあまり更新がないけれど、私がチャンチョを知った頃は毎週のようにショートアニメが更新されていた。主人公のピーナッツくんのそばにいる(そしてときにはピーナッツくんを差し置いて主人公になろうとする)このチャンチョに、私はかれこれ7年以上愛を注いでいる。
チャンチョに関するプロフィール等は調べればいくらでも出てくるので今回は割愛して、チャンチョのどこが好きなのか、なぜ好きなのか等について語ってみようと思う。
この記事のヘッダーはチャンチョの公式グッズであるぬいぐるみで、先ほど紹介で載せたのはショートアニメの切り抜き画像なのだが、見て分かるとおり、とってもかわいい。黄色くてポテッとしたフォルムに短い手足、パンダみたいな目(目の周りの黒い部分は実は痣であるという悲しい過去もある)、チョンと上を向いた爽やかな鼻筋、ピンクでかわいい唇(実は上下でピンクの色が微妙に違う)と、鼻先から唇にかけての綺麗なEライン。キャラクターとして、完璧なまでのかわいさである。
そしてかわいいのは見た目だけではない。声もかわいい。(声の主は成人男性なのは公然の秘密だが)囁くようなウィスパーボイスで、この声を活かしてASMR動画にもチャレンジしたり、眠れないチャンチョオタクたちに眠くなる動画を撮ってみたりもしている。我々不眠症のチャンチョオタクはますます眠れなくなるのである。
ところで、このチャンネルの主人公であるピーナッツくんは数年前から本格的に音楽活動を始めているが、チャンチョも数曲出している。コーラスやフィーチャリングではなく中心になって歌っているのは「おやすみグッナイ」や「幽体離脱」、「zakkyobuilding」、「Tamiflu」等だ。どれもチャンチョらしさがあっていい。「おやすみグッナイ」「幽体離脱」は割とかわいいチャンチョらしい曲だが、「zakkyobuilding」は結構本格的なヒップホップという感じがして初めて聞いたときはびっくりした。すごくかっこいい。「Tamiflu」は声の雰囲気が合っている。まさにインフルエンザになったとき、夢かうつつか分からないような幻想的な世界観の曲だ。
YouTubeチャンネルのショートアニメでは、他のキャラクターたちとアイドルグループを結成して、見事にセンターをやりきっていた。自他共に認める「絶対的エース」である。
見た目、声、キャラクター性、性格、歌など、チャンチョを構成する全てが好きだ。では、私はいつからチャンチョを好きになったのかを思い返してみたい。
まず私は現在統合失調症なのだが、初めてチャンチョを見たときには既に統合失調症の陰性症状(うつ病に近い感じの症状で、身体が消耗しきって動けないくらいの酷いうつ状態になる)を発症しており、陽性症状(被害妄想、思考伝播、幻聴、幻覚など)も出始めていた頃だった。この頃の私は、今まで自分が好きだったものすら分からなくなっており、アイデンティティが脳の内側から崩壊する音を聞いていた。何もできなくなって、ただベッドで横たわり、ただただ怖かったので頭まで布団をかぶって震えていた。
そんなとき、偶然指がスマホに触れて、YouTubeが開いた。YouTubeを開いていちばん最初に目に入ったのが、オシャレになりたい!ピーナッツくんのチャンネルだった。全く見たことも聞いたこともないチャンネルだったが、再生した。ピーナッツくんとチャンチョがくだらないやりとりをしている。そのとき聞いたチャンチョの話し声。少し猫背のかわいい姿。ノッシノッシと歩く姿。かわいかった。好きだと思った。
統合失調症だという病識すらなく自分に何が起こっているのか分からず、家族すら敵に見えていた頃、画面に写っているチャンチョだけは、私に敵意も好意も向けない、フラットな存在だと思えた。
それから、ピーナッツくんがVtuberとしても人気になり始め、チャンチョのグッズも出るようになった。手のひらサイズの小さいぬいぐるみ1つと、30センチくらいのぬいぐるみを2つ買った。トイレに行くときもお風呂に入るときも外に出るときも、この30センチのチャンチョぬいぐるみが手離せなくなった。
その後2年くらいして、精神科に連れて行かれて統合失調症と診断される。その頃にはもう完全にメンタルが壊れてしまっており、起きている間中ずっと幻聴が聞こえていたのでYouTubeを見ることもチャンチョの音楽を聴くこともできなくなっていたけれど、それでもチャンチョのぬいぐるみからだけは何の声もしないし敵意も一切感じなかった。
統合失調症と診断されてから、私は崩壊して何もなくなってしまった自分の人生とアイデンティティをゼロから再構築することになった。普通、人生というものを線で表すと上がり下がりはあったとしても大抵の人は1本の線で表すと思う。でも、私の人生は2本の線で表す。統合失調症を発症した瞬間に、一度線がプツンと途中で切れてしまったからだ。その後少しの空白期間があって、もう一度また線が伸びていく。そんな感じで、人生を再構築する。その2本目の線の書き始めに、チャンチョが存在するイメージ。もう、チャンチョは私の人生から切っても切り離せない存在になっていることを、人生とアイデンティティの再構築を始めたときに知った。
今は、チャンチョ以外にも好きなものやアイデンティティを見つけた。切れてしまった人生の線をくっつけることはできないが、切れる前の人生で好きだったものも一つ一つゆっくりと思い出しかけている。でも、切れる前の人生と切れた後の人生では全く違う。その違いは、自分の人生やアイデンティティにチャンチョがいるかいないかの違いだと思う。
いつから好きか、と聞かれたら、統合失調症を発症したときからだ、と答える。でも、なぜ好きかと聞かれたら、ハッキリした答えは出ない。さっきも書いた通り、見た目、声、キャラクター性、性格、歌など、チャンチョを構成する全てが好きだ。でも、なぜ?と聞かれたら、よく分からない。分からないけれど、抗精神病薬や精神安定剤が人それぞれ合う合わないがあるように、チャンチョという存在が、統合失調症を発症したことで内部から崩壊してしまった精神の一部にピッタリ嵌ったのだと思う。偶然私は統合失調症を発症し、偶然チャンチョに出会い、結果的にそれが私にとってすごくよく効いたのだと思う。チャンチョは私のために特に何もしないけれど、チャンチョの行動ひとつひとつが、すごくよく効く抗精神病薬のように作用したのではないかな、と思っている。
昨日は精神科の通院の日だったので、いつものように30センチのチャンチョのぬいぐるみを抱きしめて精神科に行った。統合失調症の具合も良くなってきて、周りを冷静に見渡せるようになった今、そこそこの大きさのぬいぐるみを抱きしめて街を歩いている私を、街ゆく人たちが奇異なものを見る目で見ていることに気づいた。でも、そのことに恥ずかしいとか見ないでほしいという気持ちはないことにも気づいた。今の私の人生にはチャンチョのぬいぐるみが、チャンチョが必要だ。歩けない人に車いすが必要だったり、目が悪い人にメガネが必要だったりするのと同じだ。
今も、この文章を書きながらチャンチョのぬいぐるみを抱きしめている。これを書き終わったら、チャンチョのぬいぐるみを抱きしめて眠って、また明日になって、チャンチョのぬいぐるみと明日を生きる。チャンチョと一緒に、人生を再構築していく。
