人生に「末路」なんてものは存在しない
ずっと、「自分になりたい」と思って生きてきた。
誰かが掲げた空虚な幸せなんかを掴むためじゃなく。
私は私になりたくて、
道端のがらくたに目をやり、藪の中に潜ってまで、その道を探してきた。
今思うとそれは非現実的な夢想を掴むためなんかではなく、
ただただ自分にかけられた「呪い」を解くため、
という意味合いが大きかった。
そうして今やっと、本当の道が見えてきた。
「これから自分を解放してもいいよ」と門が開き、
その入り口に、立っているような感じ。
端的にいうと、心の底から幸せである。
ここに来るまで、たくさんの「普通」を手放した。
その大きなことの一つに、
「普通」に会社員でいること
=「普通」に稼ぎ続けること
がある。
「会社を辞めた人の末路」
なんていうよくある煽り文章を見てしまい、
落ち込むこともあった。
見ようとしなくても、何故か目に入ってしまうのだ。
最大限考慮して、そこにはもしかしたら
「『仕事を辞めたい』と思う人が
軽々しく辞めて後で後悔しないように」
という優しい願いが込められてもいるかもしれない。
けれど「末路」なんて言葉から、
まず優しさを捉えることは難しくないか?と思う。
どちらかというと、
「普通から外れなくてよかった」というような、
与えられた幸運を当然のことのようにし、
そこから外れた人を見下すような態度が感じられる。
衝撃的な例えかもしれないが、
「私障害者じゃなくてよかった」
と同じ態度だと思う。
私たちの人生は、
仕事のように「結果」が出てはい終わり、
となるような単純なものではない。
そもそも人生の「結果」って何?
仕事で成功するかどうか?
自分の子供が大成するかどうか?
本当にそう成ったとして、
もし死ぬ直前に人として最低な行為をしたら?
それは「結果」に含まれないの?
含むとしたら?
賞をもらうほどの社会貢献をした人が、
最期に認知症になって看護師に暴言を吐いたら、そっちが「結果」?
そもそも死ぬ事が人生の終わりならば、
死ぬ事が「結果」なのでは?
じゃあ全員バッドエンド?
そんな馬鹿げたことってある?
人生に「結果」を求めるのは、不自然だ。
しかしこの世界は、
まるで人生に「結果」があるような言い方ばかり存在する。
何故ならその方が圧倒的にわかりやすいからだ。
歴史的な偉人の偉業をを語り、
自らもそうなりたいと口にするだけで、
なんとなく将来が安泰するように人に見せ、
自分にも「大丈夫だ」と暗示をかけることができる。
それと、言う本人の利益に誘導しやすい。
悪い「結果」を見せて、
「こうならないように、これを買いましょう」
というのは商売の王道文句。
例え本質的にはそれが幻想で、
現実には存在し得なくても、
「結果」をこしらえることで、
複雑な人生というものを、いとも明快にしてしまう。
明快さは、安心につながる。
安心につながるが、
実際にそれはこの世界全員のものではない。
「私障害者じゃなくてよかった」
と同じこと。
10000歩譲って
「末路」という言葉を使うとしても、
それが適用可能なのは他人の人生を語る時のみである。
私たちは他人の人生を生きられない。
他人の人生を例え話としてお借りする時
その全てを知り得ないので、
わかりやすさを優先することもあるだろう。
しかし本来人生というものは、
様々な経験をし、複雑な物語ができあがる。
自分の人生がそうであることは、
自分自身がよくわかっているはずだ。
そんな自分の人生に、
「末路」などという言葉は、
そもそも使う事ができない。
誰がどれだけ正論そうな「末路」を語ったとしても、
それを仮にでも自分の人生の行く末として当て嵌めることは、できない。
私たちは自分の人生に、「結果」を持つことができないからだ。
人生の幸福のためにシンプルな思考は役に立つが、
自分の人生自体をシンプルなものにすることは、不可能だ。
現在の状況がまるで
「人生の結果」であるように感じられる場面は、多々ある。
「何をしても可愛くなれないから、彼氏ができなかったんだ。」
「会社を辞めたから、お金に困っているんだ。」
「行動しなかったから、何も実現できないまま○歳になってしまった。」
しかし言った次の日に彼氏ができることもありえる。
○歳という謎の基準は、流れを止めない人生の中で今後も謎に生成されるのではないか。
今というこの地点は結果でありながら、同時に過程でもある。
死なない限りは。
「次を決めないで会社を辞めて、お金が底をついたらどうするの?」
「そんなの、あってはならない。絶対に避けなければならない。」
だけど本当に大事なのは、
実際に底をついた時に自分がどんなことを考え、
どんな行動を取るかということだし、
もっと言うと、そうなる前にどんなチャンスが訪れるか、
どんな「自分」になれるのか、
その幸運を受け入れる準備は整っているのか、ということなんじゃないの?
人が語る「結果」のさらに先の方に、
私たちの本当の人生はあると言っても、過言ではない。
その「先」というのは
時間軸的に指定された「結果」の向こう、という意味だけでなく、
その「結果」に本当に至るかどうかも含めての、
可能性の全て、ということだ。
私たちの未来は、隠されてはいるが、
実は色々な可能性に満ち溢れている。
そのことは、冷静に自分を振り返れば、自分自身が一番よくわかるだろう。
自分に友達ができたことも、
今得意なことが得意であることも、
今好きなものが好きであることも、
自分の親の元に生まれたことも、
全てが、奇跡の連続であったはずだ。
悲しいかな、自分以外の他人にはそれがわからない。
想像可能な範疇にはないのだ。
もし悲しいことや苦しいことが実際に起こっても、
その大変さの中にいつつ、「これで終わりだ」ではなく、
同時に次の手も考えていると思う。
なぜなら人生は続いていくからだ。
その時までにせめて、
自分の足で自分の人生を歩める感は、得ていた方がいいと思う。
私たちは、他人のいう「末路」「結果」ありきの人生ではなく、
ただ目の前に存在する自分自身の人生を歩くのに、集中した方がいい。
その際に自分が「これが正解だ」と思ったことは、
周りになんと言われようと、自分で選び取るのがいい。
人は心配するかもしれないが、
それはその人の範囲でしか未来を見ることができないからだ。
誰しも「自分がもしそうなってしまったら」
ということしか考えられない。
でも実際にその道をゆくのは、他人ではなく自分だ。
そこに今持っている知識も経験も、あまり関係ない。
どちらもこれから増えていくものでしかない。
増やすには、自分の足で動いていくしかないのだ。
そして自分の足が動くのは、
最終的には自分の中の「納得感」というエネルギーでしかない。
それを得るためには、誰にも邪魔されない静かな場所で、
自分の魂に耳を傾ける他にないのだ。
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紹介になりますが、
今「仕事が辛い」「会社を辞めたい」と思っている人が
自分なりの着地点を見つけられるようになるように、
思考のお手伝いになるマガジンを作りました。
ネット上には、仕事の辞め方の情報なんていくらでもあります。
しかしこちらは、無職への退職を2回経験した私が、
読みに来てくれた方を決して否定せず、
その葛藤する思考にどこよりも誰よりも寄り添って書いた、
「思考の進め方マニュアル」的なものでもあるつもりです。
最終的には手続きのことまで詳細に書いていますが、
別に、仕事を辞める人を増やすのが私の目的ではありません。
これを読んで思考の整理がうまくいき、
その人が納得するのなら、
仕事を続けるという選択になるのも、もちろん嬉しいです。
「とにかくよくわからない苦しさがある」
それは自分以外の誰かにかけられた「呪い」かもしれません。
そこから逃れられるように、解かれるようにと、作りました。
500円とありますが、4/10までは全記事無料で読むことができます。
どの記事から読んでも大丈夫なので、
気になったら、のぞいてみてください。
何か力になれたら、嬉しいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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