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人は人の幸せで、自分は自分の幸せで


私がみんなを救わなくちゃいけない 

と思ってた時期があった。

生き苦しくて仕方がなかった時、自分を縛り付けていた固定観念や世の中の常識に気が付いた。そして自分だけじゃなく他の人たちも同じように縛られている構造に気づいて、こんなのおかしいって思ってた。

問題が見つかれば、自然と反対側の理想的な世界が頭の中に広がっていく。「そうだ、私はこの理想を実現するために、みんなを救うために、これからは生きていこう」そう思った。


私はそんな風に、いつも心の底に大きな理想の世界を持っている。その理想はこれまでの経験からの膨大な情報から導き出したかなり確信的なものであるにもかかわらず、どこか自信がないことも多い。自分の意見は深い思考や長い説明を必要とするのに対し、現実的で説明が早い意見には軽やかな説得力があって、勝てない場面が多くあるからだ。だから私の壮大な価値観は、意外と他人の軽い一言で揺らいで、うろたえたりする。

そうやって動揺するたびに、自分の考えを堂々と説明できない不勉強で未熟な自分を責めたり、自分の思考が全く価値のないものにすら感じることもあった。

だけど最近そう思うことをやめ、前より自分の価値観に自信を持とうと思うようになった。そのきっかけのひとつとなったアニメのことをちょっと話したい。


Netflixで「アグレッシブ烈子」というコメディアニメがある(少しだけネタバレがあるのでこれから観ようと思っている方は読むのをお控えください。)。主人公は昭和体質な大企業で働くレッサーパンダのOL 烈子。大人しく無難でいることを選ぶ性格なのだが、実は退勤後に度々一人カラオケでデスメタルを歌うことで溜まったストレスを発散するという裏の顔を持っている。

視聴を進めていくと、デスメタルな時の烈子は、烈子の本音・魂の部分なのかなと思えてくる。

私は大人しくはあっても「無難でいる」がどうしてもできなくて、会社を2度もやめてしまった。烈子はそんな私とは正反対の考え方をしている。特に嫌な仕事を辞めるために「そっか、結婚すればいいんだ☆」と思いつき、相手探しを始めるあたりも烈子は私と全然違う。

そんな烈子の前に、色々あっていい感じの関係になる男、只野というロバのキャラクターが現れる。只野は見た目無職の自由人で、たびたび本質を捉えた発言をするところが、私は比較的共感できた。そんな只野がある日烈子にこう言う。「結婚て必要?そんな制度に意味はない。幻想だよ」

それを聞いた烈子は大爆発。デスメタルな烈子に変身し、「ハァ??私はその”幻想”が欲しいんだよーーーーー!!!!!!!」と叫ぶのだ。

私は烈子の考えには共感できないけれど、気持ちには共感した。あんまりにも清々しかったから。

そうだよね!烈子はそのままでいけ!!がんばれ!!!とすら思った。

このシーンで、私は烈子のことが大好きになった。


たとえ私にとって結婚や組織に属することが幻想で、長期的に見て意味をなさないことであっても、それが喉から手が出るほど欲しい人もいる。欲望によって悩むことは、必ずしも苦しみではなく、むしろその人にとっては自然で、手に入れた方が幸せな場合もある。
そんな人の幸せを、こっちの価値基準で否定したり、奪ってはいけない。

そう気づいてから思った。私が考えてた、救わなきゃいけない「みんな」って誰だったんだろう。

ここ数年で、それの解像度も上がってきた気がする。自分の性質も、他の多くの人との違いも、見えてきた。

私が心の奥底で大事にしている理想の世界・価値観があるのと同じように、
みんなも私とは全く別の世界観で大切にしている何かがある。

考えてみれば幸せの形なんて一人一人違くて当然だ。

他の人が自由に幸せになるためのの道を選んでいるのだから、
こちらもこちらで、ただ自分が思う理想や価値観に自信を持って生きていけばいいわけだ。


自分とは違う考えや価値観に遭遇した時、本当は何も落ち込む必要がない。

その違いがあることは自分の考えや価値観への否定になるわけではなく、相手の考えや価値観も自分のそれも、平等に肯定されることだと捉えていい。

違う考えを持つ人がいたって、自分は自分の考えや価値観に自信を持ち続けていいし、発信し続けていい。それは当たり前のことだ。


だから今は、極端かもしれないけど、
本当に自分が救うべきは自分だけだ、ぐらいに思っている。

確かに人を救おうと思うことは素晴らしいことだと思う。
でもそれだけになってしまっては結果的に何もいいことがない。

人が求めていることなんて、完全には分からない。そう考えると、
自分を救うことはある意味一番生産性がある社会貢献とも言える。

自分を救うことには、必然的に周りの人も救うという副産物が発生するから。

自分が救われて喜ぶ周りの人。自分と似た考えや性質を持っていて、自分の考えで救われる人。そんな人たちがついでに幸せになってしまうのなら、私はまず私を救うことをいちばんに考えていきたいと思う。


めちゃめちゃ当たり前のことを言うけど、
他人が他人の人生を生きてくれてるって幸せなことだよね。
そのおかげで心置き無く私は私の人生を歩めるから。

もし「全部あなたのためにやってるんだよ」なんて言われたら、困ってしまう。
その人が苦労した分だけ自分が報われるとは限らないのに、ある程度借りが発生してしまうのはとてもやりづらい。

冷たい言い方かもしれないけれど、そうなるくらいなら、
私はやっぱり「人のため」「みんなのため」ではなく、「私のため」に集中して生きていきたい。


私は私の価値観に一番重きを置いて、違いに臆することなく自分の考えに自信を持って生きていきたい。

人には人の幸せが、自分には自分の幸せがあるからね。

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