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ただ生活がしたいだけでも生きてていいですか?


ただ生活をして、生きていきたい。

生活とは文字通り、生きる活動。暮らすこと。
落ち着ける、屋根のあるところで、
充分に食べて、寝て、
掃除をして、洗濯をして、
日の光を浴びて、適度に自分の心身が健康でいられる日常。
その中で、一日が過ぎていくのを、季節が巡るのを感じて、ただ、生きていく。

禁欲的で必要最低限の暮らしができればいいやというわけではない。

むしろ逆。自分が色々なことを感じることに、豊かでありたい。

自分の感受性を主役にすることが許される場では、正直にそう言える。



家事をすることは私にとって苦ではない。むしろやるべき事を済ませると、気持ちがしゃんとして調子が良くなる。
逆に、何も無いとリズムやテンポがなくなって、私の場合は気持ちが停滞しやすい。
(たまになんもしない日があってもそれはそれで最高だけど)

家事を自分の思うよりたくさんやらなければならない状況では自分を見失ってしまうし、
別に面倒なことや忙しいことが好きというわけではないけれど、
適度にやれる場合は、やることがあることの嬉しさみたいなものを感じる。

決して暇が怖いのではなく、
自分のためにやっているんだと実感できたり、
季節の移り変わりや天気などの自然現象に触れられたりすることが嬉しいんだと思う。

「なんでこんなことやってんだろ」とはあまり思わない。

なぜなら家事ってどんな仕事よりも、自分がこの世界で生きるということにいちばん近いと思うから。

旬の食べ物を選んだり、
それの良さを引き出せるように調理したり、
環境に配慮した洗剤を使ったり、
収集の人のことを考えてゴミをまとめたり、
服のほつれを直したり、リメイクしたり、
歌いながら作業するのか、静かに作業するのか、
どんな天気や気候の時にどの作業をするのか自分なりに考えて、選んで、段取りを組んだり。
生活のための知恵を得てそこからまた思考を広げていったり。

家事は、生活をすることは、
自分がどう生きて、
この地球と、この社会とどう関わっていきたいかを、
お金を稼ぐ活動や組織活動と比べて、よりダイレクトに表現出来ることだと思ってる。

また、自然現象に左右されることそのものも、自分の深いところにある納得感に繋がる事だったりする。

夏が来れば暑くなり、冬は寒くて辛い。昼は明るいけれど、夜には暗くてよく見えなくなってしまう。

この地球上では自分にはどうすることも出来ない事象が繰り返し起こるから、それに応じた繰り返しの生活があるのが自然なわけで。

私が何も無い一日よりもある程度のリズムやテンポのある一日を必要とするのはそのためなのかな、と思う。

急に子どもみたいな発言をするけれど、本当は夏が来るのも冬が来るのも、雨が降るのも雪が降るのも、なんだか生きてるって感じで嬉しいんだ。


🌿


「生活がしたい」と言葉が湧いたのは、実は初めてのことじゃない。
「生活がしたい」と思ったから、過去に会社を辞めて、田舎暮らしを体験までしに行ったこともある。
今だって会社には勤めず時間にはゆとりがあって、
私が「生活をする」ための環境作りは既にそれなりに済んでいる。
それなりには。

だけど、いつだって生活の前に立ちはだかるのは、「稼ぐこと」だ。

こんなことわざわざ言いたくないけど、指摘される前に言っておきたいのを抑えずに言うと、
いくら生活だけをして生きていたくても、お金がなければ生きていけない。

その前提は自分の中に「一文無しになっては絶対にいけない」という厳格なルールを生んでいる。

単純にただのルールではなく、そこに恥や恐れが加わっているから、毒にもなる。

絶望的な状態もありうるそんな世界観から逃避したいのか、私は仕事のこととなると、ただ稼ぐことだけでなく(むしろそんなことより)自分の人間的成長という部分にまでわたって大きく考える癖がある。

仕事のスキルを含めた自分の成長こそが、稼ぐことのみならず自分の人生の豊かさに必要で、そのために動き続けることこそが一文無しを回避する方法だ、と思っているところがある。

それ自体は変なことではないと思うけれど、私はそれを今まで完全に「生活」とは切り離して考えてしまっていた。

かつて会社員だった頃、勤務時間とそれ以外の時間が分かれていたように。

だから家事をしていると、「私は家事に逃げてるのではないか」と思ったり、
ゆったり過ごせてるはずなのにどこかそわそわしてしまったり、
一日の時間の使い方を振り返って反省して落ち込んだり…。

自分の中で今この時間を何に使っていいのかがあやふやになって、余計なストレスを増やしていた。

でもようやく気づいた。
「生活」と「自分の人間的な成長のために動くこと」は、切り離してはいけないんだね。

例え方が古いかもしれないけれど、サラリーマンの旦那さんが、生活を支える奥さんがいるからこそ健やかに仕事へ行けるように、
土台である「生活」が豊かになされないと、私の人間的な成長だって滞るに決まっているから。

もっと言うと、私の場合「生活」をきちんとしていくうちに、自分のしたい成長を果たすタイプなのかもしれないという気もしている。
それぐらい、今は自分の人生において「生活」の重要度が高いし、「生活」の意味する範囲がとても広い。

もちろんただ生きていてお金が入るわけはないのだけれど、自分の思う本質的な生き方を大切にすることこそが自分の人間的な成長、そして健康的にお金を得て生きていけることに自然と繋がっていくのだとしたら(実は確信はある)…。

一文無しにならないためのいちばんの近道ではないけれど、何を信じるか選んでいいのならば、その直観を一番に信じて生きていたい。


色々書いたけれど今とにかく思うのは、
ただ生活を送っているだけの自分、家事をこなしているだけの自分でも、
堂々としていたいし、自分に認められたい。

私が自然だなあと感じる生き方は、「生活」がなきゃなにも始まらない。


ゆっくり家事をして、ただご飯を食べたりお風呂に入ったりをするなんて、今までは精神的に疲れているねと病院で認められた場合にしかやっちゃいけない感じがしてた。

でもそうじゃないんだよね。



私の生き方には名前がない。
「ただ、生活がしたい」それだけ。

それなら主婦になれば?
田舎暮らしをやれば?
丁寧な暮らし系YouTuberをやって稼ぐのは?
いろいろ提案はあると思うけれど、
生意気を言っていいなら、私をそんな既存のジャンルに嵌めないで欲しい。

ただ生活をすることを、まず自分に許して生きていく
十分に生活を楽しんで生きていく

それがこれからしばらくの目標です。










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