待ち時間を、自分のものにする。
駅のホームで電車を待ってる間、何してますか。
私、気づいたらスマホ見てるんですよね。
SNS開いて、タイムライン流し読みして、なんとなくニュース見て…。
待ち時間って、なぜか「埋めなきゃ」って思ってしまう。
信号待ちの間も、誰かとの待ち合わせの間も、コンビニでお弁当あっためて貰ってる間も。
私たちは日々とても忙しいから、
無意識に「何かしてなきゃ」と思ってしまうんだろう。
SNSには中毒性があるとはいえ、
きっとその根底には「時間を無駄にしてはいけない」「時間を大切にしたい」
という真摯な態度もあるんだと思う。
よく「スキマ時間を有効活用しよう」とか言われる。
スキマ時間で勉強したり、仕事したり、副業したり。
そういうサービスもたくさん出てきた。
でも、時間って、そんなに「意味のあること」で埋めなきゃいけないのかな??
いや、そもそもそれって本当に「意味のあること」なのかな?
……もしかして、「意味のあり気なこと」なだけでは??
よく考えてみると。
それって全部「誰かが提供したもの」だったり、
「誰かのためのもの」だったりする。
誰かの発信。誰かが選んだ情報。誰かへの対応。
その中に、「自分」ってどれくらいいるんだろう。
もっというと、「自分」は、どれくらい大切にされてるんだろう。
子どもの頃の「待ち時間」を思い出してみる。
病院の待合室で、天井の模様を数えたり。
電車を待ちながら、線路の石をじっと見たり。
お母さんが買い物してる間、店の入り口でぼーっと外を眺めたり。
別に、何か「意味のあること」をしてたわけじゃない。
でも、その時間は確かに「自分の時間」だった。
誰かの発信を見てるわけでもなく、誰かに返信してるわけでもなく、
ただただ、石とか歩く犬とかみながら、自分の中で何かが動いてる時間。
もしかして、「意味のないこと」こそが、「自分の時間」なのでは…??
最近はそういう時間に、意識的に「スマホを見ない」ということをやってみている。
そうすると、不思議なことに気づいた。
”降りてくるもの”が、違う。
「今日の夕飯、あれ食べよう」とか、「あの人、元気かな」とか、
「そういえば、あれってこういうことなのかな」とか。
それだけでなく、なにかのアイデアとか、楽しかった思い出とか、急に目の前が開けるようなオリジナルの格言とか…
見上げた夕暮れ空が、綺麗だったからかもしれない。
向かいのホームを歩く学生に、昔の自分を重ねたからかもしれない。
そうした言語化しきれない、何気無い視覚情報をきっかけに、自分の中から次々と浮かんでくる思考が、驚くほど鮮やかなことがある。
それは、SNSやニュースを見てる時には、絶対に起こらないこと。
用事と用事の間の「時間つぶし」だってそうだ。
どこかで座って何かを処理する時間にするんじゃなく、
美味しそうなコーヒーを片手に、散歩してみてもいい。
待ち時間は「埋める」ものじゃない。
ただ自分という時間を過ごして、何が悪いんだろう。
それどころか、情報過多の現代に生きる私たちは、
待ち時間こそが「自分の頭を休める」チャンスなのかもしれない。
今日、何かを待ってる時間があったら。
スマホを見る代わりに、ちょっとだけ周りを眺めてみませんか。
それだけで、その時間は「誰かのもの」から
「自分のもの」に変わるかもしれません。
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