魔法少女エターナルリンク28話 白い天使 後編
第二百十二章《沈黙の街で》
風が鳴いていた。
誰もいない街――
ビルは半分崩れ、信号は止まり、
アスファルトには深い爪痕のような亀裂が走る。
道路標識だけが、
まだ「日常だった頃」の名残を保っている。
ユノカは顔を上げた。
白い髪をフードで隠し、
鈴は音を消すため布で包んでいる。
横には、セナ。
紫の瞳は油断なく周囲を警戒し、
背中には簡易のバッグ。
「……静かすぎるね」
セナが小声で言う。
ユノカは頷き、囁いた。
「天使たちは、巡回をパターン化してる。
音、魔力、熱源――全部見られてる」
「つまり」
「一歩、間違えば終わり」
それでも二人は進む。
◆
目的地は、
廃ショッピングモール。
半分崩れ、ガラスは割れ、
植物が床を覆い始めている。
「ここなら、
倉庫にまだ乾燥食料が残ってるはず」
セナはうなずいた。
「私、前で見てる。
お姉……」
言いかけて、唇を噛む。
(“姉さん”って呼んでいいのかな)
ユノカは気づき、やわらかく笑った。
「いいよ。
私は、嫌じゃない」
セナの表情が少しだけ緩む。
「……じゃあ、守るからね、姉さん」
ユノカは少し照れながら頷いた。
◆
モール内部は暗い。
天井から落ちた鉄骨、
散乱した商品棚、
誰かが逃げる途中で捨てた靴。
ユノカは手をかざし、
弱い光だけを灯した。
「《灯狐》」
白い狐火がふわり漂い、
進行方向だけを淡く照らす。
セナが耳を澄ませた。
遠くで、金属が擦れる音。
「……いる」
ユノカも感じた。
(魔力反応……違う。これは)
「天使の兵器じゃない」
「じゃあ……なに?」
ユノカの答えは短かった。
「――“生き残り”」
◆
倉庫手前。
段ボールの影から、
やせ細った男が飛び出した。
錆びたパイプを構えた震える手。
「来るな!
食料は……俺のだ!」
セナが反射的に構える。
だがユノカが手で静止した。
「待って」
男は狼のような目で二人を見る。
「どうせ奪いに来たんだろ!!
みんな、お前らみたいな“力持ち”が……!」
セナの拳がわずかに震えた。
(私たち……同じ被害者なのに)
ユノカはゆっくりフードを外す。
白髪、静かな瞳。
敵意のない声。
「奪わない。
少し“分けてほしい”だけ」
男は信じられないという顔で笑った。
「……笑わせるな。
誰も助けてなんてくれない世界だ」
ユノカは近づかない。
ただ、静かに言う。
「じゃあ、こうしよう」
袋を床に置く。
乾パン・水・薬草。
「これと交換で、
乾燥米と缶詰を少し」
男は息を呑む。
「……取引……?」
「うん」
男の目が揺れた。
「お前……何者だ」
ユノカは少しだけ考えてから――
「ただの、
“諦めたくない人”」
数秒。
男は崩れるように座り込んだ。
泣き笑いの顔。
「……いい。少し、やるよ。
もう独りじゃ、怖すぎる」
◆
倉庫を出るころには、
バッグはいっぱいになっていた。
セナが小声で言う。
「姉さん、優しすぎ」
ユノカは首を振る。
「違うよ。
“仲間を増やす”ってこと」
セナは目を丸くした。
「さっきの人、どうするの?」
「いつか――灯火に誘う」
小さく笑う。
「レジスタンスってね、
“武器”じゃなくて、“人”でできてるから」
その瞬間。
空気が軋んだ。
カツン……カツン……
上階で、
金属の足音。
セナが顔を上げる。
「天使の巡回……!」
ユノカは即座に判断する。
「走らない。
呼吸を下げて、影へ」
二人は倒れたエスカレーター下へ潜り込む。
白い翼を持つ兵装天使が、
冷たい仮面でモールを見下ろしている。
検索光が床を舐める。
セナの肩が震える。
(見つかったら……終わり)
ユノカはセナの手を握った。
ぎゅ。
(大丈夫。息を合わせて)
光が、二人のすぐ前を通り過ぎ――
やがて遠ざかっていく。
◆
外へ出たとき。
セナは大きく息をついた。
「……怖かった」
ユノカは静かに頷く。
「でも、できた」
セナは少し笑い、横顔を見る。
(この人は、強い。
でも、壊れそうでもある)
(だから、守りたい)
◆
神社に戻ると、
皆の顔がぱっと明るくなる。
「すごい量……!」
「これでしばらく大丈夫だ!」
ユノカは微笑んだ。
だが、
(胸の奥で、鈴が鳴る)
チリン——
(サクラ……待ってて)
(必ず、取り戻す)
第二百十三章《夜、ひとつの灯のそばで》
神社の境内。
焚き火が、
ぱち、ぱち、と小さく弾けている。
皆はそれぞれ眠りにつき、
見張りだけが交代で起きている。
ユノカは一人、
石段に腰をおろして夜空を見上げていた。
月は――欠けている。
(サクラ……)
手の中で、
小さな鈴が音もなく震えた気がした。
その時――
「……起きてたんだ」
背後から声。
振り返ると、セナ。
ブランケットを肩にかけ、
少し眠そうな目で立っていた。
「眠れなくて」
ユノカは微笑う。
「寒くない?」
「隣、座ってもいい?」
「もちろん」
二人は並んで座る。
夜風が髪を揺らし、
焚き火の明かりがユノカの横顔を照らす。
しばらく、言葉はなかった。
ただ、静けさがあった。
やがて――
セナが、ぽつりと口を開く。
「……こわい」
ユノカは横目で見た。
セナは、自分の指先をきゅっと握る。
「天使も、世界も……
何も信じられなくなる瞬間が、ある」
小さく息を吸い、
「それでも動かなきゃいけないのが
一番、こわい」
ユノカは、静かに聞いていた。
「姉さんは……」
セナの声が震えた。
「ほんとは、もっと泣きたいんじゃない?」
ユノカは、少しだけ目を伏せる。
炎が揺れ、
鈴が、わずかに鳴った気がした。
「……泣く時間を、
天使たちがくれないから」
それは、冗談みたいで――
でも、きっと本音だった。
セナは、唇を噛んだ。
(やっぱり……)
ユノカは、空を見上げる。
「でもね。泣ける日が来たら」
優しい声。
「その時はいくらでも泣く。
そのとき、隣にいてくれる?」
セナは迷わなかった。
「ずっといる」
ほんの少し、照れながら。
「私、今度は……
本当に“守る”」
ユノカの瞳が揺れる。
青と紅。
「ありがとう」
静かに微笑んだ。
そして――
「少し眠るね。
今日は、疲れたから」
セナは頷き、
ユノカの肩にブランケットをかけた。
「おやすみ、姉さん」
「おやすみ、セナ」
焚き火の音が遠ざかる。
世界が静かに、沈んでいく。
◆
——闇。
足元に光はなく、
ただ黒い海の上を歩く感覚。
ユノカは、そこで目を開けた。
(……精神世界)
聞き慣れた声が、風に混ざる。
「相変わらず、静かな場所だね」
振り返ると――
黒い髪の少女。
ミルカ。
微笑みながら、
しかしどこか悲しげに立っていた。
「久しぶり、ユノカ」
ユノカは目を細める。
「……元気そうだね」
ミルカは軽く肩をすくめた。
「“元気”って言い方、
精神世界の住人に言う?」
ユノカも小さく笑う。
「……違う。
あなたが、まだ“ここにいる”ことが――」
少しだけ声が揺れる。
「良かった」
沈黙。
やがてミルカが、静かに近づく。
その瞳は、
嘘をつかない深い黒。
「あなた、壊れかけてる」
ユノカは否定しなかった。
(わかってる)
(無理をしている)
ミルカは言う。
「戦いすぎて、背負いすぎて。
それでも“弱さ”を隠す」
手が伸びる。
ユノカの胸元へ、軽く触れた。
そこには――傷跡。
「ここ、まだ痛いでしょう?」
ユノカは静かに頷いた。
「でも、止まれない」
「それでも」
ミルカの声は柔らかかった。
「止まれる場所、誰かの胸にひとつぐらい
作っておきなさい」
ユノカは少し考え、
頭の中に──サクラ、セナ、皆の顔が浮かんだ。
「……作る。
今は、まだ小さくていい」
ミルカの表情が少し和らぐ。
「それでいい」
そして――
ふっと距離をとる。
「そろそろ、時間」
世界がひび割れ始める。
ユノカは焦った顔で問う。
「ミルカ。
あなたは、どこへ行くの?」
ミルカは笑った。
「私はここ。
あなたの心の奥」
そして小さく、
まるで恋人を安心させるように囁く。
「だから、ひとりじゃない」
ユノカは静かに目を閉じた。
(ありがとう)
そして世界は――
光へと溶けた。
◆
朝。
鳥の声。
まぶしい光。
ユノカは目を開け、
胸へ手を当てた。
(ミルカ……)
(私は、まだ進める)
遠く、鐘が鳴る。
新しい一日が始まる。
