魔法少女エターナルリンク35話 潜入 前編
第二百三十八章《歩み寄れない距離》
――白い回廊。
規則正しく刻む、靴音。
(歩幅、一定。
視線、下。
感情、封印……)
頭の中で、
諜報部で叩き込まれた手順を繰り返す。
“天使のふりをする”のではない。
“自分を消す”。
それが、擬態の本質。
(大丈夫。
私は、道具)
そう、言い聞かせた矢先――
前方に、
人影が見えた。
白い制服。
細い肩。
淡い桜色の髪。
(——)
歩みを乱してはいけない。
止まっても、見ても、いけない。
わかっている。
なのに胸が——
強く、締めつけられた。
(サクラ……)
名前が脳裏で響くと同時に、
擬態の術式が、きしんだ。
感情は切ってあるはずなのに。
心臓だけが、痛い。
(目を、合わせたら
終わる)
彼女は気づく。
絶対に。
あの人は、
世界で一番、人の“変化”に敏い。
だから――
ユノカは、
あえて、通り過ぎた。
呼び止められる前に、
背を向ける。
呼吸を殺す。
(ごめん)
(見ないで)
視界の端。
伸びかけた、サクラの手。
触れたら、
全部崩れる。
全部、守れなくなる。
だから。
ただ、歩く。
天使のように。
機械のように。
(……でも)
胸の奥で、小さな声が泣いた。
(声、聞きたかった)
(名前、呼ばれたかった)
ほんの、数秒。
なのに。
永遠みたいに、長かった。
角を曲がる瞬間――
背中に、微かなぬくもり。
誰にも聞こえないほど小さく、
唇が動いた。
「……生きてるよ」
自分へ、
そして、彼女へ。
それだけを残して、
――影へと消えた。
第二百三十九章
《白い神殿、黒い議題》
転送陣が静かに光り、
ユノカの視界が開けた。
そこは——
巨大な円形神殿。
床も壁も天井も、
磨かれた白の石。
中央には円卓。
そこに座るのは、
翼を二対以上もつ
“上位天使”ばかり。
その存在感は、
まるで重力の塊のよう。
(ここが——中枢)
ミレイナの通信は遮断されている。
完全に、独り。
ユノカはΛ-17として、
無表情のまま端で待機する。
上位天使の一人が口を開いた。
「——進捗。
《護翼計画(ガーディアン・プロトコル)》第六段階へ移行」
護翼計画。
(また新しい単語……)
別の天使が答える。
「確保対象、人間 1,227名。
同化準備率 73%」
“同化”。
(……やっぱり)
ただ守るんじゃない。
作り替えている。
別の声。
「神核への祈祷供給、安定。
残るは、“適合因子”の回収のみ」
その瞬間――
円卓中央の壁に、
映像が浮かんだ。
無数のホログラム・プロファイル。
・名前
・年齢
・魔力量
・過去戦闘データ
そして——
サクラ=ミラージュ
カレン=ノクティス
エリナ=フェルステラ
セナ=ゼロ
……そして
天之矛坂ユノカ=シオン
(……っ)
心が、一瞬だけ跳ねた。
しかし顔は動かない。
「適合候補、依然として希少。
その内——」
白い指が、サクラの名前に触れる。
「最優先は、これだ」
冷たい声。
「“完全適合”。
《翼骸(ヨクガイ)》の器として最適」
(器……?)
胸の奥が冷えた。
別の天使が、淡く笑う。
「反抗意識は強い。
しかし、折れる。
“必要な記憶”を削ればよい」
(記憶を——)
「家族、仲間、自己像。
順序立てて削除。
忠誠だけを残す」
(……やめろ)
叫びたい。
けれど。
声は、出せない。
それが“擬態”。
感情は、飲み込む。
上位天使の一人が、
静かに言い放った。
「人は、弱い。
だから導く。
神へと近づけるために」
(違う)
(あなたたちが——壊してる)
次の議題。
「地上の抵抗勢力について」
円卓に、地図が映る。
廃都市、砂海、山岳地帯。
そして——
地下の隠れ拠点。
(……ばれてる)
心臓が強く脈打つ。
「掃討は急がない。
“恐怖”を植えつける方が効果的」
無表情のまま、
ユノカは拳を握った。
(落ち着いて)
(今、動けば死ぬ)
議会の最後。
もっとも大きな翼を持つ存在が
立ち上がった。
他よりも――
どこか、異質。
「神核の覚醒まで——残り七十二日」
七十二。
(……世界が、本当に——)
「その時、
人も、天も、区別は消える」
声は優しくさえあった。
「すべては“正しい形”へ」
会議は静かに終わる。
天使たちが散り、
残された空間。
ユノカは、
ただ立ち尽くしていた。
(サクラが——消される)
(仲間も、世界も)
(七十二日)
白い天井を見上げる。
心の奥底で。
(間に合わせる)
静かに誓った。
その誓いだけは、
どんな擬態でも消せなかった。
第二百四十章《戻る場所、重なる影》
転送陣が、静かに光を閉じた。
――冷たい白は消え、
目の前に広がるのは、
崩れたビル、
ひび割れた道路、
錆びついた看板。
乾いた風が吹き抜ける。
(……帰ってきた)
胸の奥で、やっと息がした。
擬態が解除され、
金だった瞳が、いつものオッドアイに戻る。
感情も、少しずつ帰ってくる。
――寒い
――怖かった
――吐きそう
全部まとめて押し込んで、
「……ただいま」
誰もいない瓦礫に、
そっと呟いた。
◆
地下アジト。
扉をくぐると、
暖かい灯りと、人の声。
リズが最初に気づいた。
「ユノカさん!!」
駆け寄ってくる。
視線が触れただけで、
胸がぎゅっとなった。
「怪我は!?
バレなかった!?
無事で……!」
言葉が追いつかない。
ユノカは、微笑んだ。
「うん。
ただいま、リズ」
その一言で、
リズの目が潤んだ。
セナも腕を組んで立つ。
「無茶する」
言いながら、
ほんの少しホッとしている顔。
「生きてれば、合格でしょ」
軽く返すと、
セナはため息。
「……本当に、合格にしておく」
◆
作戦室へ。
皆が集まり、
ユノカは、静かに口を開いた。
「聞いて」
空気が張り詰める。
「天使たちの計画は——
《護翼計画》。
人を“守る”ためじゃない」
一拍。
「作り替える。
同化させる。
器として利用する。」
ざわめき。
リズが顔を青くする。
「それって……」
ユノカは頷く。
「サクラは“最優先”。
完全適合。
——記憶、削られる予定」
沈黙。
誰も、すぐには言葉が出なかった。
セナが拳を握る。
「救い出すしかない」
ユノカは、静かに告げた。
「期限がある。
七十二日」
空気が、さらに冷える。
しかし——
誰も逃げようとはしなかった。
むしろ、
小さく、炎が灯る。
リズが、震えながら笑う。
「じゃあ……間に合わせましょう」
ユノカも、少しだけ笑う。
(そうだね)
(間に合わせる)
◆
夜。
仲間が眠り始め、
灯りが減っていく。
ユノカはひとり、
外の崩れた街へ出た。
月明かりだけが、静かに照らす。
白い天井じゃない。
檻じゃない。
風の匂いがして、
土の冷たさがある。
(戻る場所があるって——)
(それだけで、強くなれる)
しかし。
胸の奥底で、
白い会議の光景が、まだ消えない。
(サクラ)
そっと空を見上げた。
(次は、必ず——
“近づく”)
自分に、そして遠くにいる彼女へ、
静かに誓った。
第二百四十一章《静かな洞穴、呼吸だけの世界》
夜の地上。
瓦礫の街から外れ、
月光に照らされた荒野を歩く。
ユノカの小型探査器が、弱く光った。
「……ここ。
微弱だけど——生きてる」
セナが隣で頷く。
「罠の可能性、ゼロじゃない。
でも、放置はできない」
ふたりは気配を消しながら、
崩れた森の奥へ。
風の音。
草の匂い。
やがて——
黒い丘のような岩の裂け目が見えた。
「洞穴……?」
(ここから……生命反応)
ユノカは慎重に進み、
そっと中へ入る。
――ひんやりした空気。
静か。
そして。
小さな光景が、
視界に広がった。
(……え)
そこには——
薄い血だまりの上で横たわる
ひとりの女性。
銀と漆黒が混ざった髪。
青白く、美しい横顔。
胸元は裂かれ、
黒紅の魔力が、かすかに煙のように揺れている。
ヴァルティア。
(生きてた……)
だが、それだけじゃなかった。
彼女の周囲には、
傷ついた狐、
震える小鹿、
羽根の折れた小鳥、
そして数匹の野良犬。
皆、
彼女の傍に寄り添い、
まるで「守る」ように丸くなっていた。
セナが息を呑む。
「動物が……?」
ユノカは小声で呟く。
「吸血鬼って、本来は“捕食者”。
なのに、逃げてない……」
近づくと――
ヴァルティアの手が
小さく動いているのに気づいた。
細い指が、
小鳥の羽根をそっと撫でていた。
裂けた唇が、かすかに動く。
「……怖く、ない……
もう……大丈夫……」
優しい声。
震えて、途切れた。
(……こんな顔、初めて見た)
かつて敵だった姿。
冷たい狂気と憎しみに満ちた女。
だけど今は——
ただ、
守るように眠るだけ。
セナが囁く。
「どうする。
敵だよ」
ユノカはしばらく黙り——
ゆっくり首を横に振った。
「いまは、違う」
彼女は膝をつき、
そっと自分の魔力を掌に灯す。
(これ以上、死なせたくない)
手を伸ばすその瞬間――
ヴァルティアの瞳が、
わずかに開いた。
虹彩が、深い紅に揺れる。
視線が、ユノカを捉える。
沈んだ、静かな声。
「……まだ……生きてるのね。
天之矛坂……」
ユノカは微笑む。
「うん。
あなたも」
ヴァルティアは、弱く笑った。
「皮肉……ね。
世界を壊す側だった私が……
“守られて”いるなんて」
彼女の胸が、苦しげに上下する。
「……あの子たちだけは……
怖がらせたくなかった……」
小鹿が、そっと顔を寄せた。
ユノカはそっと手を重ねる。
「大丈夫。
もう、戦わない」
セナが目を伏せる。
「連れて帰る?」
「うん。
レジスタンスの医療班なら、助けられるかも」
ヴァルティアは、かすかに首を振った。
「私なんか、助けなくていい……
私は……罪ばかり——」
ユノカは、きっぱり言う。
「それでも」
静かな声に、
吸血鬼の瞳が揺れた。
「死ぬより、
生きて償う方が——難しいから」
沈黙。
やがてヴァルティアは
ほんの少しだけ、目を閉じた。
「……借りを、作った」
「返して」
「え?」
ユノカは柔らかく言った。
「いつか、誰かを“救う”形で」
ヴァルティアの唇に、
小さな笑みが浮かぶ。
「……契約ね」
そのまま、
彼女は意識を手放した。
ユノカとセナは、
傷ついた動物たちを静かに動かし、
慎重にヴァルティアを抱き上げた。
洞穴から出ると――
風が、優しく吹いた。
(戻ろう)
(ここから、また——新しい形が始まる)
