無敗のカリスマ・那須川天心に、思わず唸った話
最近、ラジオで那須川天心選手のトークを聴いた。
那須川天心といえば、私にとっては「若き天才」「無敗のカリスマ」「格闘技界の申し子」という、少し遠いところにいる存在だった。
リングに上がれば強い。
勝つ。
華がある。
そして、どこか普通の人間ではないようにも見える。
ところが、ラジオから聞こえてきた那須川天心は、こちらが勝手に作っていた「雲の上の格闘家」というイメージとは少し違っていた。
もちろん、すごい人であることに変わりはない。
ただ、そのすごさの奥に、妙に人間くさいところがある。
そこに、同じ男として、そして少し長く生きてきた者として、思わず惹きつけられてしまった。
「職人」としての那須川天心
印象に残ったのは、ボクシングについて語るときの言葉だった。
キックボクシングからボクシングへ転向した彼は、ボクシングを「上半身だけの攻防」として語っていた。だからこそ、間合いの取り方や駆け引きが、より繊細になる。まるで「職人技」のようだ、と。
この「職人技」という言葉に、私は少し反応してしまった。
派手な結果の裏には、必ず地味な積み重ねがある。
仕事でも、趣味でも、長く続けている人ほど、見えないところに技術がある。
勝負の世界も、きっと同じなのだろう。
那須川天心という人は、天才という言葉で片づけられがちだが、実際にはものすごく細かい作業を積み上げている人なのだと思った。
そして、精神力も普通ではない。
試合中、拳の骨を折ったことがあるという。本人の言葉では、イナズマが走るような痛みだったらしい。それでも相手に弱みを見せず、アドレナリンでごまかしながら、その手で打ち続けたというのだから、聞いているだけでこちらの手が痛くなる。
こちらは日常のちょっとした不調で弱音を吐いてしまうこともある。
それを思うと、折れた拳で戦い続けたという話には、ただただ背筋が伸びた。
メイウェザー戦も、笑いに変える強さ
メイウェザー戦の話も面白かった。
あの試合は、日本中が注目した。結果だけを見れば、彼にとっては苦い経験だったはずだ。だが、本人はそれすら冗談にしていた。
「罰金で5億払うことになっても、キックしておけばよかった」
そんなふうに笑って話す。
もちろん本気半分、冗談半分なのだろう。
ただ、過去の痛い経験を、いつまでも苦い顔で抱え込まない。
ちゃんと笑いに変えている。
これは簡単なようで、なかなかできない。
人は失敗や屈辱を、案外いつまでも引きずる。
それを笑って話せるようになるには、時間もいるし、度量もいる。
那須川天心は、まだ若い。
けれど、そのあたりの腹の据わり方は、ずいぶん大人だと思った。
リングを降りると、気のいい兄ちゃんになる
さらに面白かったのが、芸人さんたちとの付き合いである。
ランジャタイの国崎さん、天竺鼠の川原さん、真空ジェシカの川北さん。
名前を聞いただけで、かなりクセの強い面々である。
普通なら、格闘家と芸人が集まれば、熱い格闘技談義でも始まりそうなものだ。
ところが、そうではないらしい。
夜な夜な集まって話すのは、アレルギーのことや、箸の持ち方のこと。
本人いわく、「先の進まない意味のない会話」をしている時間が落ち着くのだという。
これが、なんともいい。
強い男が、強さについて語りたがらない。
有名な男が、有名人扱いされることをあまり望んでいない。
普通に誘ってほしい。普通に接してほしい。
その感じが、とても自然で、人間らしい。
芸人たちからは「那須川が強いっていうボケをしている」といじられているらしい。天竺鼠の川原さんに至っては、彼にナスビの被り物を継承させ、「2番弟子」のように扱っているという。
格闘技界のスターが、ナスビの被り物を継承する。
この時点で、もうだいぶ面白い。
義理堅くて、ちゃんと笑いもわかっている
那須川天心の話を聞いていて感じたのは、強いだけではなく、かなり義理堅い人だということだ。
自身の試合で、M-1王者がリングアナを務めたことがあったという。ところが、漫才のような流れになり、会場ではうまくハマらなかったらしい。
そこで那須川選手は、その芸人さんを責めるのではなく、
「緊張感のある場で、お客さんも笑いに来ているわけではない。彼は被害者だ」
とフォローしていた。
これも、なかなかできることではない。
自分の試合で起きたことなら、つい自分中心に考えてしまいそうなものだ。
でも彼は、その場に立たされた相手の立場も見ている。
強い人は、他人に厳しいのではない。
本当に強い人は、他人をかばう余裕があるのだなと思った。
一方で、「今一番戦いたい相手」を聞かれると、真空ジェシカ・川北さんの相方であるガクさんの名前を挙げていた。
理由は、マッシュルームの被り物をして、あわあわしている人が怖いから、一度拳を合わせたい、というもの。
くだらない。
でも、かなり好きだ。
この軽さがあるから、那須川天心という人は、ただの強い人で終わらないのだと思う。
お母さんの松田聖子に、妙な安心感
そして、最後に妙に心に残ったのが、地元・千葉県松戸市で開催した「天心祭」の話である。
過去2回開催し、2万人を集めたというから、さすがの人気だ。
そのイベントのカラオケ企画で、一番会場を盛り上げたのが、なんと那須川天心のお母様だったという。
歌ったのは、松田聖子。
これには、妙な安心感を覚えてしまった。
「お母さんが松田聖子を歌う」
もう、それだけで情景が浮かぶ。
地元のイベントで、会場が笑って、盛り上がって、本人もきっと少し照れながら見ている。
世界を狙うボクサーにも、ちゃんと地元がある。
家族がいる。
お母さんがいる。
そして松田聖子がある。
このあたりに、なんとも言えない親近感が湧いた。
強いのに、近い人
ラジオを聴く前の私は、那須川天心を「すごい格闘家」として見ていた。
だが、聴き終わったあとは少し違った。
もちろん、すごい格闘家である。
けれどそれ以上に、よく笑い、よく考え、周囲に気を遣い、地元を大事にする一人の若者として見えてきた。
若い人を見るとき、ただ「すごいな」と思うだけではなく、
「よくここまでやってきたな」
「これからも無事に進んでほしいな」
そんな気持ちが混じることがある。
那須川天心は、強い。
でも、それ以上に、近い。
リングの上では手の届かない存在なのに、ラジオで話す姿には、どこか気のいい兄ちゃんのような空気がある。
そのギャップに、私はすっかりやられてしまった。
これからは、ただの格闘技ファンとしてだけではなく、少し人生の先輩ぶった目線も混ぜながら、あたたかく応援していきたい。
もちろん、本人からすれば余計なお世話だろうけれど。
