[小説]かきならせ、空! 第四話
特に待ち合わせたわけでもないのに、バスの本数があまりに少ないせいで結局みんな同じバスに乗り合わせることになった。デニムのキュロットにフーディを合わせた空楽、ダークブルーのワイシャツに細いネクタイを締め、黒のスキニーパンツというモデルみたいな服装なのに大きめのバックパックを背負っている雫、いつもほどよれていないジャージで髪は下ろしている琴那、シンプルなジーンズに明るい暖色のシャツの六弦。一見ちぐはぐな四人がバスを降りて畑の中の道を歩いている様子は、映画の中のシーンみたいに意味を含んでいそうだった。琴那の家も、この前訪ねたあのジャズバンドの練習に使われている倉庫も路線バスのバス停から歩いてすぐの距離だったけれど、瑠海の家はバス停からかなり離れていた。空楽たちは春の乾いた風に吹かれながらの道中を楽しんでいた。
「この距離を毎朝通ってるのかあいつは」
雫が言った。
「雫は中学一緒だったんじゃないの?」
「一緒だったけど家には遊びに行ったことないんだよね。こんなとこに住んでるとは知らなかった。まさかうちからバスに乗ってさらにこんなに歩かないと着かないとはね。あいつこんなところからどうやって中学来てたんだろ。めちゃくちゃ遠いと思うんだけど」
「見て見て。この周り、中学校一個もないよ」
琴那が地図アプリで中学校の検索結果を表示して言った。
「だから僕が行ってた中学が一番近いってことになったんだろうけど。もしかして毎日親に送迎してもらってたのかな」
「少なくとも冬はそうだろね。こんなとこ除雪だってちゃんと入るのかなって感じだし」
「あ、ここを右だね」
地図アプリを見ながら琴那が言う。一行は畑の中を通るまっすぐな道路が交差しているところを右折した。
「なんの目印もないね。もう一回来ても迷わず行ける気がしないよ」
空楽は周りを見回しながら言った。どっちを向いても同じような景色が広がっていた。しばらく歩くと、瑠海が目印だと言っていた看板が見えてきた。
「あれじゃない?」
「そうっぽい」
道路に沿って垣根があり、その垣根が車三台分ぐらい途切れて門になっていた。石造りの門柱には「雪野」と表札が出ていた。
「ここだ」
門から砂利敷きの敷地が広がり、右手側に大きめの家が建っていた。砂利敷きの敷地は乗用車が十台は停められそうな広さで、その奥にビニルハウスが二棟並んでいた。母屋から広めの駐車場を挟んだ反対側に、巨大な倉庫風の建物と、この間のかまぼこ型の倉庫を一回り小ぶりにしたような倉庫が並んで建っていた。
門には呼び鈴などは無かったので、空楽たちは砂利敷きの敷地へ入っていった。「おーい」と声がして見上げると、二階の窓から瑠海が乗り出して手を振っていた。
「おー。来たよ」
空楽は手を振って答えた。
「今行く」
瑠海は窓から引っ込むと、しばらくして玄関から出てきた。出てきた瑠海はだぶだぶのパーカーにスウェットのパンツで、素足にサンダル履きだった。長い髪はバレッタで雑に留めてあり、そこからこぼれた髪が手持無沙汰に揺れていた。
「なんだよ、瑠海も休みの日そういう感じなの?」
「ん?」
瑠海は自分の服装を見下ろした。
「みんなこんなもんじゃない?」
「完全に同意」
今日は普段よりはちゃんとしているものの、やはりジャージでやってきた琴那が言った。
「メンバーと会うだけだからね。バンドメンバーなんて家族みたいなもんだし」
琴那が言うと瑠海も「そゆこと」と同意した。
「先週会ったばかりなのにもう家族なの、いいね」
六弦が言うと、そんな四人の様子を雫が写真に撮った。
「雫完全に記録係になってるね」
「任せといて。端から記録しとくから」
砂利の上でサンダルを引きずりながら歩く瑠海のあとを、一行は賑やかについて行った。
「これが例のあれさ」
瑠海はかまぼこ型の倉庫の前で止まり、仲間の方を振り返りながらそう言うと降りているシャッターの鍵穴に鍵を差し込んで回した。瑠海は見るからにスムーズには回っていなさそうな鍵と奮闘してから引き抜き、かがんでシャッターを開けた。雫はなにやら機械を取り出してシャッターの方に向けていた。
「なにしてるの?」と空楽が尋ねると、雫は「録音」と答えた。
瑠海が倉庫に踏み込んで内側のスイッチを操作すると薄暗い照明が点灯した。中に入っていく瑠海に続いて空楽たちも倉庫へ踏み込んだ。中には大型の除雪機がカバーを被った状態で置いてあり、壁に作りつけられた棚には家電の箱などが積み上げられていた。
「見ての通り、この倉庫ほとんど使ってないんだよね」
「ここをあの練習場みたいにするには、たぶんステージみたいな、なんか台が必要だね」
地面を踏みながら六弦が言った。
「そうなんだよ。あそこは倉庫の中の一部分だったけど、木の床みたいなの置いてステージみたいになってたよね。ここは完全に土間だから、ドラムとかアンプ置くにしてもああいう台が必要だと思う」
「機材もけっこう必要だね。ギターアンプ二台とベースアンプ、それにドラムでしょ。あとボーカルを出すためのパワーアンプ。キーボードいないからミキサーまではなくても良さそうだけど、でも誰かコーラス歌ったりするならミキサーもあったほうがいいよな」
琴那が腕組みをしながら言った。
「おれ、いくらかあてがあるよ。まずおれの父さんが、ギターアンプ一台貸してくれるって。そんなデカいやつじゃないけど一応ライブハウスとかでも使われてるようなやつ。それと、先週のあのおじさんたちが、なんか商店街で閉店した店の宴会場にあったパワードミキサーとスピーカーの一式をもらってきてくれるって言ってた」
「パワードミキサー?」
空楽が訊いた。
「パワードミキサーっていうのはアンプが内蔵されたミキサーのことだよ。普通はミキサーってのは音を混ぜる機械でさ。ミキサーで混ぜたやつをパワーアンプに送って、そこからスピーカーで鳴らすんだよね。パワードミキサーはそのアンプがミキサーに内蔵されてるやつのこと」
「それをもらえるってことなの?」
「実際タダでもらってくるのかはわからなくて、安く買ってくるのかもしれない。なんか閉店したお店からもらってきてやるって言ってた。あそこでサックス吹いてたおじさんは商店街で飲み屋やってて、なんか商店街のつながりでいろんな人脈があるみたい」
「そんな人と一緒にやってる六弦がすごいよ」
空楽はため息気味に言った。
「一緒にやってるっていうか完全に遊んでもらってる感じだよ。おじさんたちの仲間にもベースやる人がいるんだけど、その人が来れないときにおれが暇だったら呼ばれるんだよ」
「へえ」
空楽はずっと感心していた。
「あたしのお父さんもね、ギターアンプは貸してくれるって」
「瑠海のお父さんもギターやるの?」
「うん。最近はほとんど弾いてないけどね。昔はバンドやってたらしい。あたしがギター始めた頃はよく教えてもらってた」
「瑠海も六弦もお父さんがギターやるのかあ。ね、琴那んとこは? お父さんかお母さん音楽やるの?」
空楽は琴那の方を向いて訊いた。
「ん? うちの親はやらないよ。うちが中学からドラムやってるからよく親も音楽やるのって言われるけどね。うちの親は聴き専。音楽自体は好きだから家には昔から音楽が溢れてるけどね。でも二人とも楽器はやらないよ」
「そうなんだ。うちも両親とも音楽はやらないんだよね。ね、雫んとこは?」
「うちの父さんは聞き専のオタクだよ。音楽マニア。妙な音楽をたくさん知ってる。で、自分は作らないのに作り方にも詳しいんだよね。だから僕がこういうのいいねとか言ってると、これはこういう楽器で作るんだぞとか教えてくれるんだよ。それで僕はこういう世界にハマってったわけ」
倉庫の外からディーゼルエンジンと砂利を踏む音が聞こえた。それを聞いて瑠海は「あ、誰か来た」と言って倉庫から出て行き、空楽たちも後に続いた。家の敷地に入ってきたのはトラックで、荷台の側面に「島中工務店」と書かれていた。トラックは敷地の真ん中あたりに停まり、運転席からつなぎの作業着を着たおじさんが降りてきた。おじさんはつやつやに日焼けしていて、全身に元気がみなぎっていた。
「おう。瑠海ちゃんこんちは。お父さんは?」
「島中さんこんにちは。お父さんとなんか約束してました? お父さん朝からどこかに出かけてて、今いないんですけど」
「あ、そう。じゃそろそろ戻ってくるかな。それが問題の倉庫?」
「問題?」
戸惑う瑠海をよそに、島中は倉庫へ入っていった。空楽たちも後に続いた。
「ははん。なるほどね」
島中はそう言うとてきぱきと慣れた様子で倉庫内を歩き回り、作業着の腰のところに付けてあったコンベックスを取り出していくつかの寸法を測り始めた。
「あの人は誰?」
空楽は瑠海の耳元で訊いた。
「島中さんって、あたしのお父さんの知り合いの大工さん。うちの家も島中さんとこで建てたって聞いてる」
「へえ。そうなんだ。ね。島中さんは何をしてるの?」
「あたしにもわからない」
いくつかの寸法を測り終えた島中はコンベックスを腰に戻し、今度は壁や柱を叩きながら歩き回った。叩く場所によって違う音に耳を傾けながら、島中はときどき頷いたり口をすぼめたりしながら移動した。
「なるほどぅ。なかなかだな、こりゃ」
島中は独り言にしては大きな声でそう言って瑠海に微笑んで見せ、トラックのところへ戻っていった。瑠海は空楽と目を合わせて首をかしげた。空楽たちが倉庫から出ると、門から今度はミニバンと、その後ろから大きな四輪駆動車が入ってきた。
「あ、お父さん帰ってきた」
ミニバンは島中工務店のトラックを避けて奥のビニルハウスの前に止まり、四輪駆動車もその隣に停まった。四輪駆動からは背の高い細身のおじさん、ミニバンからはそれより幾分背が低く、その代わりがっちりしたおじさんが降りてきた。
「おお。揃ってるね。いらっしゃい」
ミニバンから降りてきたほうのおじさんが言った。
「あれがあたしのお父さん」
瑠海が言った。
「瑠海の父です。よろしく。こちらは東川で珈琲屋をやってる澤木くん」
瑠海のお父さんは空楽たちのところへ来ると挨拶をし、もう一人の背の高いおじさんを紹介した。
「こんにちは。澤木です。雪野さんはちょくちょくうちの店に来てくれてて、それで仲良くなりました」
澤木は丁寧にあいさつして丁寧に頭を下げた。
「澤木くんは今は珈琲屋だけど若いころはバンドマンだったんだよ」
「もうだいぶ前の話ですけどね。昔はギターを弾いてました」
澤木が言った。
「わたしは会ったことありますね。瑠海です。ギター弾いてます。仲間を紹介しますね。こっちからギターボーカルの空楽、このバンドの言い出しっぺです。歌がすごい魅力的です。隣がドラムの琴那。とても安心感のあるドラムを叩きます。そして六弦。ベーシストです。なんでも弾ける器用系です。最後が雫。雫はバンドのメンバーじゃないんですけど、ハウステクノみたいなのをやってる人です。なんかこのバンド関係のとこにはいつも来て動画撮影したりしてます」
瑠海が澤木に挨拶し、澤木と自分の父親にみんなを紹介した。メンバーはそれぞれ自分が紹介されたところで会釈した。
「みんなよろしく。ちょっとばたばたしてるけどゆっくりしてって」
瑠海のお父さんはそう言うとトラックの方へ歩いて行った。その背中を見送ると、澤木は空楽たちに会釈してミニバンの方へ戻って行った。
「ごめん島中さん、先に来てましたね」
トラックのところで瑠海のお父さんは島中と話し始めた。
「ああ。一通り見せてもらったわ。二段階だろうな。先に下だけなんとかして、あとから壁だな」
「さしあたり床と電源周りだけなんとかなればいけるんでそれでいいです」
「雪野さん、荷物どこへ降ろします?」
澤木がミニバンのところで叫んだ。
「一旦母屋の方に入れよう」
瑠海のお父さんが叫び返した。
澤木はミニバンの後部ドア を開けた。中には大小さまざまな灰色の箱が入っていた。箱は四角いものと筒状のものがあり、大きさはまちまちだった。
「ドラムだよ、あれ」
ミニバンに積まれた荷物を見て琴那はそう言うと、澤木のところへ駆け寄って行った。
「手伝います」
「あ、重いからいいよ」
「いえ、わたしドラマーですから。これドラムセットでしょ」
「おれも手伝いますよ。スタンドケース重いでしょ」
六弦も駆けつけて、ミニバンの中から大きな四角い箱を引っ張り出した。しっかり腰を入れてそのケースを持ち上げた六弦を見て澤木は頷いた。
「さすがだね。どれがなにかわかってるなら話が早そうだ。それじゃお言葉に甘えて手伝ってもらおうかな」
琴那も小さめの丸い箱を両手に一つずつ持って運び出した。空楽はその様子を見ながら手伝おうか迷ったけれど、空楽にはどれがなんのケースなのか、それがどのぐらいの重さなのかも見当がつかず、行っても邪魔になりそうなので行かずにおいた。
「ちょっとお父さん。なにが起きてるの?」
どんどん話を進める大人たちに瑠海が叫んだ。
「なにがって。この倉庫を練習場にするんだよ。その話をいろんな知り合いにしたの。したら澤木君が古いけどドラムあるよって言うから貸してもらうことにして、島中さんとこでこの倉庫に練習するためのステージを作ってもらえないか相談したんだよ」
「もちろんなんだって作るんだけどよ。そのままじゃ冬寒すぎてお陀仏なんだよ。冬も練習すんならある程度断熱して、なんか暖房設備も入れないとなんないな。これ下が地面むき出しで基礎も無いからさ。このままじゃえれえ寒いんだよ。断熱ったって壁ぺっこぺこだからさこれ。最低でも体育館ぐらいの壁にしないとな。あとはどこまでやるかの相談だな」
瑠海がなにを言う間もなく島中が話し始めて、瑠海は話すタイミングを逸した。
「さしあたりまだ冬まで時間あるんで、まずは床ですね。ドラム置ける状態にするのが最優先で」
瑠海のお父さんはそのまま島中と話し始めた。
「なんなのさ、いったい」
「これはつまり、この倉庫をバンドの練習場にすべく、いろんな人たちが協力してくれることになった、ということでは?」
雫が言った。
「いくらなんでも話が急すぎるんだけど」
あちこちでがやがやとにぎやかに声が飛び交い、戸惑いながらおろおろする瑠海と、行き場を見失って手持無沙汰になった空楽が取り残されていた。雫はあちこち移動しながら、ドラムセットを運ぶ澤木たち、トラックの荷台のところで会話している島中たち、持て余している瑠海と空楽を忙しそうに撮影していた。
しばらくしてトラックのエンジンがかかり、ハンドルを握った島中が「みんな、またな」と叫んでからトラックをバックさせて出て行った。瑠海のお父さんは島中に手を振ってから瑠海のところへ戻ってきた。
「ね、お父さん。なんなのこれは」
「だからさ。ここで練習できるようにこの倉庫を改造するんだよ」
「いつ?」
「明日からやるってさ。来週にはここで練習できるようになるよ」
「え? そんなに急なの?」
瑠海は空楽がまだ聞いたことのなかったような声で言った。
「だって早く練習できるようにしないとだろ」
「いや、そうだけどさ。すごいお金かかるんじゃないの?」
「そんなもんおまえ、出世払いだよ。バンドが有名になって売れたらそんとき払ってくれ」
「は? もうなに言ってんのよ。心の準備がなんもできてないんだよこっちは」
「あのな。心の準備なんてもんを待ってたらパッションは冷めちまうの。行くぜと思ったらもう行ってるぐらいじゃないと」
瑠海のお父さんは諭すように言った。
「お父さんそんなキャラだった?」
「若いころはこうだったんだよ。瑠海が父さんの忘れかけてたもんを思い出させてくれたのさ」
そう言ってお父さんは瑠海の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「雪野さん、ドラム、一旦部屋の方に入れましたよ」
澤木が琴那たちと談笑しながら出てきて言った。
「おう、早いね」
「若人たちが手伝ってくれたからあっという間に終わりました」
「おっけーおっけー。で、瑠海たちは今日はどういう予定なんだ。なにも決まってないなら今から焼肉でもするか?」
「え? 焼肉? そっか。お昼だよね」
瑠海は唐突に変わった話題に、戸惑いながらも少し安堵した。
「ね、みんなどうする? 焼肉食べる?」
「さんせーい」
「食べないという選択肢はないのだ」
「腹なら減ってる。割といつでも」
「もちろん食べるっしょ」
瑠海の問いかけに、四人は口々に賛同した。
「しっかし、高校生が五人だろ。肉1トンぐらい必要なんじゃないか」
瑠海のお父さんが言うとすかさず瑠海が「そんなはずないでしょ」と返した。
「それじゃ、焼肉の準備しようか。あの倉庫に焼肉の道具も入ってるんだよね」
瑠海が一番近くにいた空楽に言い、二人が倉庫へ戻っていくと、琴那と六弦もついてきた。
「この辺に一式ある」
瑠海が折り畳みのテーブルを持ち上げると、それぞれその周辺にあった木炭用コンロ、焚き付け、木炭、椅子などを分担して運び出した。北海道では単に焼肉と言うとだいたいジンギスカンのことを指し、週末に庭でジンギスカンをするのは広く一般に浸透しているレジャーだ。雨さえ降らなければ毎週やるという人もいるし、ツワモノになると屋根のあるガレージで雨の日にもやるのである。ここに集まったメンバーたちもそれぞれ自分の家でやったことがあり、勝手もよくわかっていた。
「どの辺に置きますか?」
コンロを抱えた六弦が瑠海のお父さんに訊いた。
「ああ、このあたりかな。まあ、どこでもいいけど。このあと出入りもないし」
六弦はこのあたりと言われたところにコンロを据えて、琴那が運んできた木炭をコンロの中に並べた。その周囲にそれぞれが運んできたテーブルや椅子を並べ、特に誰も指示を出さなくても北海道スタイルの焼肉の準備が整っていった。準備が整った頃を見極めたかのように、母屋から瑠海のお母さんが食材を持って出てきた。
「みんなこんなところまでようこそ。遠かったでしょ。飲み物も食べ物もたくさんあるから遠慮なく召し上がってね」
それを聞いてみんな口々に「はーい」と答え、それぞれ椅子に腰を下ろした。
空楽が紙コップにコーラを注いで配って回り、雫が紙皿を配った。
「僕も休みの日にうちの庭で焼肉することがあるんだけどね」
澤木が話し始め、空楽たちは澤木に注目した。
「僕が一人で肉を焼き始めるとさ、近所の高校生なんかがやってきて食べていくんだよ」
「知らない子がですか?」
空楽が訊いた。
「さすがに最初の一人は知らない子ではないね。うちのお店によく来る子だったりする。でもそういう子が一人二人食べてるとね。その子たちの同級生なんかが増えていったりするんだよね」
六弦が火を起こして炭に火が入った。
「うまいもんだね」
瑠海のお父さんが六弦を褒めた。
「澤木さんのお店はやっぱり軽音の子が集まってくるんですか?」
今度は琴那が訊いた。
「いや、なぜかうちのお店に集まるのは写真部の子だね」
「写真部ですか。東川らしいですね」
琴那はそう言うと肉を焼き始めた。タイミングを計りかねていた他のメンバーも琴那に続いた。
「そうだね」
「ところで、澤木さんはギターをやってらしたんですよね」
「うん」
「なんでドラム持ってるんですか?」
「いい質問だ」
澤木は人差し指を立ててからコーラを一口飲んだ。
「これもお店のお客さんなんだけどね。僕が昔ギターやってたのを知って、ドラム預かってくれないかって言われたんだよ。なんでもその人は若いころドラムをやっててドラムセット持ってたんだけど、もう叩くあてもなくて、かといって捨てることはもちろん、よくわからない人に売るのもしのびないって言っててね。それで僕のところにに置く場所があるなら預かってほしいって。僕のところは裏にここみたいな倉庫があってさ。そこはラジコンで遊ぶコースみたいにしてるんだけど、場所は余ってるんだよね。そこで良ければ置けるけど湿度とか温度とか管理されてないからね。あまり良い状態では保存できませんよ、って言ったんだよ。でもそれでもいいから置いといてくれって。で、預かってた」
「じゃあのドラムは澤木さんのじゃないんですか」
「うん。僕のではない」
「いいんですかわたしが借りて」
琴那は不安げに尋ねた。
「うん。ちゃんと今回持ち主に電話して確認したから大丈夫だよ。高校生のバンドにあのドラム貸してもいいかって聞いたら、えらい喜んでたよ。叩いてくれるならあげてもいいって言ってた」
「ほんとですか」
「うん。だから大事に使ってあげて」
「はい」
琴那はひときわ力強く答えた。
「おれの父さんのギターアンプとか、おじさんたちが調達してくれる機材もここに持ってこないとだな」
「六弦くんは修治さんの息子さんでしょ」
澤木は六弦の方を向いた。
「あれ。澤木さん父をご存知なんですか?」
「うん。六弦くん、お父さんがベース調整してくれるでしょ」
「はい」
「お父さん、ギターとかベースの調整するのプロ級なの知ってる?」
「え? そうだったんですか? ぜんぜん知りませんでした」
六弦は口に運びかけた箸を止めた。
「六弦くんのお父さんはギターを弾いてたんだけど電気に詳しくて、今は電気関係の仕事をしてるでしょ。ギターとかベースのリペアを頼んだら大変なレベルでやってくれる。そういうお店をできるぐらいの腕前なんだよ。この辺でそういうお店やってもなかなかやっていけないって言ってたけどね。電気の専門家だから回路の改造なんかもお手の物だし、とても頼りになるんだよ。そういう仕事をする人をリペアマンというんだけど、六弦くんのお父さんは自分でお店やれちゃうぐらいのリペアマンなんだよ。僕もだいぶ前にギターの調整をお願いしたことがある」
「へえ。全然知りませんでした。ただギター弾くのが好きなんだと思ってました」
「実はただものじゃないんだよ。だからこのバンドは楽器のことも安心。なんか故障しても六弦くんのお父さんに相談すると大抵直せちゃう」
澤木はそう言って笑った。
「すごいね。なにもかもうまく行くね。わたしたち、導かれてるね」
空楽が焼き肉をほおばりながら言った。
「でも空楽。大変なのはここからだよ」
瑠海が浮かれる空楽に言った。
「まあバンドはメンバー探すのが最初の関門だからさ。そこを抜けたことでまずちゃんとスタートしたってのはあるよね」
六弦が横から言った。その隣で琴那が頷いていた。空楽はそれを見て、音楽的にはメンバー内で自分が一番未熟であることを思い出した。空楽は先週、はじめて四人で音を出したあのとき、これ以上ないぐらい素晴らしい演奏ができたと思った。でもきっとあれは、はじめてにしては良かったに過ぎない。長く音楽をやってきている彼らには、空楽にはまだわからない課題もいろいろ見えているだろう。空楽にとって夢みたいなメンバーが揃ったのは間違いなかったけれど、それは同時に、このままでは空楽が皆の足を引っ張ることになりかねないという意味でもあった。すべてがうまくいっているような錯覚があったけれど、実際のところ、まだなに一つ始まってもいないのだった。
「あ、ごめん。なにもそんなに水を差すつもりじゃなかった」
あからさまに不安な表情になった空楽を見て瑠海が言った。
「うん。みんなで高めあっていこうってこと」
六弦はマイペースに食べながら言った。
「うちも六弦にいろいろ教わろうと思ってるんで、よろしく」
琴那は紙皿に焼肉のたれを注いだ。
「え。琴那に教えられるようなことはあんまり無さそうだけど」
「練習で気になったことはバンバン言ってよ。うちはとにかくうまくなりたいからさ」
「そこは全員お互いに。みんなメンバーには遠慮しないこと。これルールね」
瑠海が一人一人の顔を見ながら言った。
「そうだね。思ったことは言う。正しいとか間違ってるとかじゃなくて、そう思った、感じたってことが大事だからさ」
琴那は肉を噛みながら言った。
「そうそう。メンバー間ではお世辞とか必要ないからさ。率直に意見言いあえる関係にしとこう」
六弦は相変わらずのテンションでそう言うと空楽の方を向いた。
「空楽もね。空楽は今このメンバーたちみんなすごいうまいと思ってるでしょ。でも空楽が歌ってて歌いにくい演奏だったらダメだからさ。そういうの言わないとダメだよ」
「歌のない音楽やってるテクニカル系の人がやらかしがちなやつだ」
琴那が言うと瑠海が「あたしじゃん」と言って皆を笑わせた。
「おれ実は、朝からずっと、いつ言い出そうかと思ってたんだけどさ」
六弦はそう言うと持ってきていたカバンの中を探って一枚の紙を取り出した。
「これ」
六弦がテーブルに出したフライヤーを、空楽たちはみんな乗り出して覗き込んだ。それはイベントの告知フライヤーだった。
「夏祭り?」
「そう。毎年商店街でやってるお祭りなんだけどさ。ライブステージがあるんだよ。タイヴァスの協賛でステージがあって、出演者を募集してる」
「タイヴァスっていうのは商店街にあるライブハウスの名前だよ」
瑠海が補足した。
「タイヴァスが協賛でさ。地元のミュージシャンで出演者を募集してるんだよね。もちろんアマチュア可。というか例年出てるのはアマチュアばかり。持ち時間短いから、普通にやると2曲ってとこだろうな。短い曲ならギリ3曲やれるかな、ぐらいの長さだね」
「初ステージとしてはちょうどいいってことね」
琴那が言った。
「おれさ。これにオリジナル2曲作って持ち込むのはどうかなと思うんだよ」
「攻めるね」
瑠海が即座に反応した。
「でも十分いける目標だと思わない? 最初から完璧じゃなくていいからさ。このバンドの音楽ってもんがどういうもんなのかを見つけるためにも、これいい目標になるんじゃないかと思うんだよ」
六弦の提案を受けて瑠海と琴那が目を見合わせ、三人が揃って空楽の方を向いた。
「えっと。三人ともいけると思ってる、みたいだね。それならわたしが反対する理由もない。正直、ぜんぜん自信もないけど」
空楽はそもそも夏祭りまでにオリジナルを二曲作ってライブに出るというのがどのぐらい難しいのか見当もつかなかった。
「大丈夫。空楽一人で出るわけじゃないから」
琴那が空楽の肩に手を乗せて言った。
「さすがにそれは楽しそうなんで、僕もソロでエントリーしよう」
雫が言った。
「大丈夫。僕は一人で出るわけなんだけど自信はあるから」
「すごいな雫は」
「自信っていうのはさ。僕はすごいんだって思うことじゃないんだよ。すごくなかったとしてもステージに立つ僕は輝ける、大丈夫って思うことだよ」
雫は空楽の顔を覗き込みながら言った。
「なおさらすごいよ。すごくなくても輝けるなんて、思えないよ」
「自分に嘘をつかなければいいだけだよ。僕は自分にだけは嘘をつかないようにしてる。そうすると自信が持てるようになるよ」
「自分に、嘘をつかない」
空楽は雫の言葉を繰り返した。
「大丈夫。空楽の自信は、あたしたちが引っ張り出して見せる」
瑠海が空楽の肩に手を置いて言った。
「じゃ、決まりでいいね。出るぞ、夏祭り」
六弦がフライヤーを掲げると、みんな拳とともに「おー」と声を上げた。見守っていた澤木と瑠海のお父さんは顔を見合わせて頷きあった。
空楽は想像もしていなかったようなスピードで憧れに近づいていくことに、喜びよりも大きな不安を感じていた。そんな自分に、わずかに苛立ちを覚えた。
《つづく》
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