#336 君と一緒に、今日も書く
3月、仕事終わり。
自転車を走らせていると、制服を着た子たちがはしゃいでいた。彼らの左胸には桜の胸章がついている。
もう卒業式の季節になったのかと、時の流れの早さを感じる。
そう、時は早い。あれから20年が経ったのか。
僕が楽しくも、嬉しくも迎えたあの中学校の卒業式に、大切な君はいなかった。
君とは中学1年生のときに知り合った。
僕のこの35年の人生、数々の辛い時期があったけれど、その一つがまさにそのときだった。嫌々頑張った中学受験を潜り抜け、入った先の中高一貫の進学校の環境がとにかく合わなかった。勉強のペースは早く、想像以上に難しい。それまで学校のテストと言えば100点が普通だったのに、60点、70点が関の山となってしまい、自分の不出来さに辟易した。
全てがストレスだった。学校に行くことが心から嫌になりながらも、どうにか不登校にならずに済んだのは、君と話すのが唯一最大の楽しみだったからだと思う。
僕にとって、君は完璧超人だった。
勉強もできたし、話も面白いし、いつだって周りに男女問わず人が集まる人気者。そんな君と、教室で影の薄かった僕はなぜだかとても仲良くなれた。好きなゲーム、趣味が同じだったから。それらの話をするだけで、僕たちは盛り上がることができた。
そんな君と仲良くなれたことが、当時の僕にとって最大の誇りだった。
おそらく君がいなければ、僕は確実に教室で孤立していたことだろう。君の友達だったから、僕はどうにかこうにか中学1年生をやり過ごすことができたのだ。
中学1年の最後の奈良・京都の研修旅行、君と過ごした時間の中で一番楽しかった2泊3日。宿でトランプやウノをやって大爆笑した時間は今でも忘れられない。
それが最初で最後の、君との旅行だったからだ。
中学2年生になり、僕には今でも定期的に会う親友ができ、その親友とも君は仲良くなってくれた。友達の友達は、友達。それを体現できたのも、君の人柄によるものだったのだろう。
だけど、僕と親友と君が、休日に一緒に遊ぶことは無かった。君が学校に来れなくなってしまったからだ。
先生から夏休みが明けるまで学校に来れないことを告げられたとき、僕は心配でたまらなかった。かと言って、どこに住んでいるのかもわからなかったから、会いに行くことすらできなかった。先生に縋ってでも、家の場所を教えてもらえばよかったと今では後悔している。変な遠慮が、当時の僕の心にはあったのだ。
夏休み明けに君が久しぶりに学校に来たとき、元気ではあった。
だけど、首にはコルセットが巻かれ、左腕が思うように動かすことができなくなっていた。それでも相変わらず君は多弁で、やっぱりクラスの中心にいた。廊下に出れば、君の周りに人は集まった。相変わらずの人気者だった。
それから中学2年生が終わるまでは、君はお母さんと一緒に学校に来るようになった。病気と闘っているのは目に見えていたけれど、僕はあえてその心配を伝えなかった。とにかくいつも通り、ゲームや漫画の話、学校の愚痴しか話さなかった。身体は前とは違っても、声も話し方も何も変わらない。君は笑ってくれた。
中学3年生の春まで、そんな時間が続いた。
僕たちには受験がないから、その時期もゆったりと過ごしていた。最初こそ合わなかった中学校の雰囲気にもだいぶ慣れ、勉強や先生は嫌だったけれど、どうにか友達に恵まれたおかげで楽しく過ごせていた。
だけど夏に入る頃から、学校に君の姿はなかった。
去年と同じで先生は「夏休み明けまでお休みです」と言っていたけれど、夏休みが明けてもとうとう君は学校に姿を見せることはなかった。
だけど、予想しない形で君の名前を耳にすることになったのは、君が入院中に書いた作文が、全国のコンクールに入賞したことだった。
「今はまだ入院してますけど、学校に来れるように毎日頑張っているようです。皆、待ってあげましょう」
学年集会で先生から君の受賞と状況が伝えられたときは、望外の喜びを覚えたものだ。そして少しの悔しさも。だって、作文は僕の得意分野。僕だって当時は気合いを入れて作文を書いたのだから。でもやっぱり、君への尊敬の方が勝ってた。
次会ったときは、作文のコツを教えてもらおう。その前に、とりあえず一緒に中学を無事に卒業しなくてはなと思っていた。
それなのに。
中学3年の11月、突然学年集会が開かれ、教頭先生は沈痛な面持ちで僕らに告げたのだった。
君が、この世界からいなくなってしまったことを。
先生たちは泣いていた。クラスメイトたちも泣いていた。だけど、僕は泣かなかった。泣けなかった。
期末テストを控えた12月の寒い夜、僕たちは君のお通夜で君の最期を見届けた。告別式には出られなかった。ちょうど期末テストの初日だったから。君のご両親が「皆さんの勉強の方が大事です。あの子もきっとそう思っていますから」と告別式への参加を認めなかったのだ。
だからやっぱり、きっと何かの冗談だろうと、僕は君がいなくなったことを認めることができなかった。
卒業式の日。
君のご両親が、わざわざ僕に声をかけてくれた。お母さんが持っている額の中で、君は朗らかに笑っていた。
「立竹君のことをいつも話してたの。学校行けたら話したいことがたくさんあったみたい」
僕は、強く奥歯を噛み締めた。そのときの痛みは未だに忘れられない。
僕だって一緒だ。まだまだ君と話したいことも、伝えたいこともたくさんあった。
今日だって、本当は一緒に「卒業おめでとう」と言い合いたかった。
もっともっとゲームの話も、漫画の話も、くだらない話もたくさんしたかった。
「友達になってくれてありがとう」と、面と向かって感謝を伝えたかった。
言葉が見つからない僕に、お母さんは声を震わせながら、こう言ってくれた。
「この子の分まで、これからを楽しんでね。辛いことはあるとは思うけれど、立竹君なら大丈夫だと思うから」
君の分まで、これからを楽しむ。
僕はこの言葉を、20年経った今でも心に刻み込みながら生きている。
今から数年前。
本気で創作に打ち込もうと決めたとき、自分のペンネームを考えていた。
そのとき最初に決めていたことは、君の名前から一文字——「竹」の文字を使うことだった。
それが、君の分まで、君と一緒にこれからを楽しむ最大の方法だと思ったからだ。
君に伝えたいな。
僕のペンネームは、君の名前から一文字取ったんだよ。
そのペンネームが書かれた賞状をもらったんだよ。
このペンネームで書いた文章が、今色々な人に読んでいただいているよ。
僕がこの名を名乗っている以上、僕は君のことを絶対に忘れないし、文章を書いている間は、君と一緒だ。
僕が書きたいことは、君と書きたいことであり、君に伝えたいことだ。
だからこれからも、君と一緒に書いていく。
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