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#72 過去の自分にありがとう

33年の人生を生きてきた中で、最近思っていることがある。

それは、今が一番楽しい、ということ。

仕事はそこそこに、家に帰ればこうしてnoteを書けている。
そんな今の生活が一番楽しいと思っている。

もちろん元来後ろ向きな人間なので、時折ネガティブになり、自己嫌悪に陥ることだってある。
けれど、それでも立ち直って前を向くことができているのは、周りの人たちのおかげである。
職場の同僚や友達はもちろん、記事を読んでくれる皆さんも。

だけど、もう一人、感謝するべき人がいるなと思った。
それは、ここまで連れて来てくれた過去の自分である。

過去の自分が嫌いだった

今までの記事で幾度か書いているけれど、僕はろくな学生時代を過ごしてこなかった。
自分勝手で、人の話を聞かず、人を傷つけたこともたくさんある。
女性に嫌われ、スクールカーストの上位層から白い目で見られていた。
そんな過去を振り返ると、湧き上がってくるのは、

過去の自分への嫌悪感だ。

過去の自分へ告ぐ。
お前が自分勝手だったから、僕は長年苦しんできたんだ。
お前があんな態度だったから、女性に嫌われたんだ。
生きづらかったのは、お前のせいだ。
お前のせいで黒歴史だらけだ。

思い出したくもない過去の自分をパンドラの箱にしまい、僕は厳重な鍵で閉めたのであった。

時は流れて――
自分が感じる生きづらさを解消するために、カウンセリングに通っていたことがある。
さまざまな意見が欲しくて、4人のカウンセラーに相談をした。

打ち明けた自分の悩みを、カウンセラーの方々は真摯に受け止めてくれた。
そして、提案された自分を変える方法として共通するものがあった。

それは、過去の自分を許すことであった。

自分は必死に生きてくれた

僕が劣等感を抱いた理由はさまざまあるけれど、一つは学校や受験などでやりたくもない競争や勉強を強要されたことにある。
無理やり競争させられ、劣等感を覚えた。
当然いい点数も取っていなかったので、両親から学生時代に褒められた記憶がほとんどない。

競争したくない。
もっとありのままの自分を認めてほしい。
だけど認めてくれない。
競争もやめさせてくれない。

檻の中で無慈悲に攻撃されているようなものだ。
だから僕は何度も何度も希死念慮に駆られてきた。
自傷行為に走ったことだってある。

それでも僕は、死を選ばなかった。
必死に生きた。生き抜いてきた。

ふと過去の自分をそう認めることができたとき、
過去の自分を、初めて可哀想だと思えるようになった。

確かに自分勝手だったかもしれない。
確かに人の話を聞かずに、嫌われていたかもしれない。
確かに人を傷つけてきたかもしれない。

だが、それは檻の外から攻撃してくる外界への抵抗だったと言えるのかもしれない。
残念ながら、生得的に僕は生きることに不器用だったのだ。
不器用ながらも、傷つきながらも、ここまで生き抜いてくれた。

彼が生き抜いてくれなければ、当然今はなかった。
楽しい時間を過ごせなかった。
こうしてnoteで文章を綴ることもなかった。

そう思えたとき、少しだけだけど、
僕は過去の自分を許せたような気がしたのだった。

時折喧嘩もするけれど

とは言っても、全ての自分を許せたわけではない。
ふと黒歴史を思い出すと、

だああ! なんであのときあんなことを……自分のバカヤロー!
わああ! あのときの自分恥ずかしい! 消えてしまいたい!!

と、一人で悶絶することもしばしばある。
ただ、今のそれは、完全なる自己否定にはなっていない。
言うなれば、過去の自分との喧嘩のようなものである。

完全に許せたわけではないけれど、
時折喧嘩もするけれど、

どんなに辛くてもここまで生き抜いてきてくれた過去の自分と、
少しずつ握手ができるようにしていきたい。










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