#186 悔しさをバネに、今日も書く。
米津玄師さんのライブを見に行った。
「感電」「Lemon」「KICK BACK」「ドーナツホール」「がらくた」……
名曲の数々が壮大な演出で表現され、圧倒される約2時間。
その曲たちがたった一人の人間の脳から生み出されたのだと思うと、人間1人の力の大きさを感じずにはいられない。
米津さんに限らず、僕は作家の方やアーティスト全てを尊敬している。
自分の創ったものによって、この世界で輝くことができているからだ。
だけど反面、感情がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚に陥る。
尊敬の念、憧れ――それだけではない。
悔しさや嫉妬、そして自分も輝きたいという強い欲望も生まれるのである。
創作者ゆえの悔しさと嫉妬
図書館で働く人の中には、創作を趣味にしている人が少なからずいる。
文章を書いている人もいれば、絵画に打ち込んでいる人もいたし、工作に力を注いでいる人とも働いたことがあった。
今いる図書館には、僕と同じで小説執筆を趣味にしている同僚がいる。
昼休みが一緒になると創作談義になるから、話していてとても楽しい。
文章を趣味にしているもの同士、当然ながら今読んでいる本についての話題になった。
ところが同僚は、最近は小説をあまり読んでいないのだという。
その理由は——「悔しいから」。
同僚は面白い小説を読めば読むほど、悔しさと嫉妬に駆られるのだという。
自分もこんな小説が書きたい、だけどなかなか書けない、悔しい!
そういう思いが強くなりすぎてしまい、小説から離れてしまったらしい。
小説を書くなら、読むことから離れない方が絶対にいい。
けれど、その悔しさと嫉妬という感情は痛いほど理解することができた。
これは、創作者ゆえの感情なのだと思う。
僕も強く感動した小説を読んだとき、出会えてよかったという歓喜が湧くと同時に、「やられた!」という悔しさを感じることがある。
先に書いたライブでも、同様の悔しさを覚える。
表現方法は違えど、自身の創作物で多くの人を魅了しているのを目の当たりにするからだ。
その状況に感動を覚えると共に、悔しさと羨望が湧き出てくる。
そんな感情が発現したときに、改めて自分の核を自覚するのだ。
自分は、自分の創るもので輝きたい――!
そんな願望を、心の底から持っているのだと。
悔しさを創作意欲に変えていく
noteにおいても、尊敬とセットで悔しさが着いてくることがよくある。
自分と近いテーマの記事を読み、「自分もこんな風に書けばよかった!」という悔しさを覚えたことなんて枚挙に暇がない。
noteを換言すると、創作者の巣窟である。
ゆえに、悔しい気持ちを覚えることは至極当然だと言えるだろう。
だけど、この悔しいという気持ちが、創作者にとって大切なのだ。
なんなら他人の創作物に悔しいと思えるから、自分が創作者であるという自覚を覚えられるといってもいい。
もっといいものを書いてやる!
もっと強いメッセージをこめてみせる!
僕がこうしてnoteを続けられている要因の一つが、悔しさだ。
今日もそんな敗北感を創作意欲に変えて、記事を執筆するのである。
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