見出し画像

#334 夢中になれる幸せ

 「夢中」
 この言葉を見ると、自然と子どもの頃が頭に浮かぶ。
 小学校の休み時間。鬼ごっこやドッジボールなどの遊びをしているとき。
 それから家でゲームしているとき。親には「1日1時間まで!」と言われ、いかにも有害なものと捉えられていたゲームに、僕は夢中になっていた。大人が悪いものと言えば言うほど、子どもというのは夢中になりやすいのかもしれない。

 子どもの頃は、毎日何かしらに夢中になっていたな、と思う。
 そう考えると、大人になるというのは寂しいものだ。
 大人になり、何かに夢中になるという時間が少なくなっている気がする。

 僕の父はアルコール依存症で、今年ついに断酒することを諦めた。
 依存症の治療というのは本人の気持ちが一番大事だ。本人が本気で依存から脱しようと思わない限り、治療の第一歩を踏み出すことはできない。
 父はかつて一度は断酒をしよう、せめて酒量を少なくしようと努力していた時期はあった。しかし、「老後は何をしてもいい」「自分のやりたいように生きればいい」と、とある自己啓発本に書かれた言葉を鵜呑みにして、酒を我慢することをやめてしまった。こういう無責任に虫のいい言葉を並べる自己啓発本は、図書館でもよく見るけれど、こういう形で有害になるのかと思った。
 先日アルコールを体内から抜くために1か月入院をしたけれど、結局退院したその日に酒に手を付けた。本当に断酒することを諦めてしまった。その固い決意を僕ら家族は受け止めざるを得なかった。
 退院してから最初の診察日。父はこう言った。

「色々考えたんですけど、お酒が私にとって唯一の楽しみなんです。毎日生きていても楽しいことなんてありません。だからやめることはできません」

 開き直りと言えばその通りかもしれない。
 だが僕は父のその言葉を聞いて、同情せずにはいられなかった。
 僕だって仕事で嫌なことがあったり、辛いことがあったりすると、憂さ晴らしにお酒を呑むことがある。父がお酒を呑むのはそれと一緒なのではないか。楽しくない日常の中で、お酒が唯一楽しみとして感じられるのであれば、それを奪うのはあまりにも酷なのではないか……そう思ってしまった。
 先生も、父の言葉を聞いて深く唸り、小さくこう言った。

何か夢中になれることがあればいいんですけどね。読書とか、楽器とか」

 ああ、夢中になれるものがあるって幸せなことなんだ。
 夢中になることって、自分を救うことにも繋がることなのだ——。
 先生の言葉を聞いてそう思った。

 2月の終わりから3月の頭にかけて、僕は理由のわからないモヤモヤを抱えていた。
 それが原因で仕事でのミスが増えてしまい、それがさらにモヤモヤを増やしていく。負のスパイラルに短期間ながらも苦しんでいたのである。
 そのスパイラルから脱けだせたのも、「夢中」のおかげだった。

 数か月ぶりに会う親友との時間。中学生の頃に遊んだゲームが改めて発売され、僕らはそれにのめり込んだ。当時の思い出を話しつつ、目の前で展開されるゲームの世界に、僕らはとにかく夢中になったのだ。
 あの日のように。
 夢中になれるものが周りに沢山あった中学時代の頃のように。
 たくさん遊び、たくさん笑い、たくさんゲームに熱中し、僕の心からモヤモヤは霧散していた。
 あのとき大人たちから「よくない」とされていたテレビゲームだけど、大人の僕にとってはとても大切なものになっている。
 夢中になれるから。それゆえにモヤモヤを払拭できるから。頭を空っぽにできるから。

 歳を重ねるにつれて、夢中になることって難しくなっていくものなのだろうか。「楽しいことが一つもない」と断言する父を見ると、どうしてもそう思ってしまう。
 一方で、図書館には読書に夢中になっているご高齢の方々も大勢来館される。あの人たちを見ていると、やはり思い直す。
 夢中になることに年齢なんて関係ない。
 自分が夢中になれるものを大切にできるかどうかだ。

 夢中になる深度こそ子どもの頃より低くなったものの、夢中になれるものは僕にはいくつかある。
 書くこともその一つだ。

 夢中になれることは、幸せなこと。
 受け身ではいけない。自分から何かに夢中になることが、将来の自分を救う結果になるだろうから。

いいなと思ったら応援しよう!

立竹落花 サポートをしていただけるととてもとても嬉しいです! 読書と勉強の糧にさせていただきます!