#246 で、自分は何がしたいの?
僕の所属する図書館では、年に数回館長との面談が行われる。
そこで業務上の目標だったり、悩みや希望だったりを話すことになるわけだが、今回の面談について、あらかじめ館長がこう言ってきた。
「何がしたいのか、どうなりたいのかを聞かせて下さい」
何がしたい。
どうなりたい。
それは、普段僕が常日頃から考え、悩み、そして結論を出せぬ問題だった。
あるスタッフが、面談から帰ってきた。
まだ面談を受けていない他のスタッフから「どうだった?」「何を聞かれた?」「何を話した?」と、怒涛の質問攻めをされている。
それらに、彼女は淡々と答えた。
「この職場の現状とか、会社の現状とか、そういうのを一切気にしなくていいから、何が本当にやりたいのか――自分軸が何かを聞かれました」
やりたいことなんてないよー。
ええ、私っていったい何がしたいんだろう。
自分軸ってなに? わかんなーい。
全員が唸っていた。
そんな会話を横で聞いていた僕も、心の中で唸っていた。
僕の面談はまだ数日先ではあるけれど、できれば面談をするときまでには一つの答えを見つけていたい。
だから僕は、この数日間ずっと自分の軸を探し続けていた。
何がしたい。
どうなりたい。
僕は、今の図書館で働き続けることに悩んでいる。
司書としての仕事は楽しいし、責任者として経験を積ませていただいているが、薄給なのである。これは図書館業界全体の大きな問題だ。
生活をするためにはお金を稼ぐことは不可欠。
ゆえにそこに不満があるならば、転職するのも一つの手だ。
だが、そうして転職して適応障害になった経験もある。
いやたかだか一つの会社が合わなかっただけだろとも思うが、適応障害になる可能性というリスクがあるのも間違いない。
そんなリスクを踏んでまで、司書をやめたいのだろうかとも思う。
長い間そんながんじがらめの現状に苦しみ、もはや辟易していた。
だが、ふと思ったことがある。
僕は、本当にお金を稼ぎたいと思っているのだろうか。
どこかで「お金を稼がなければならない」と思ってはいないだろうか。
もちろんお金を稼がなければ食べていけない。
だけど、僕にとってお金先行で働くことは、自分軸ではないのではないか。
世の中、収入を重視して働く人はたくさんいる。
仕事とやりたいことを切り離して考えている人もたくさんいる。
だから僕もそうでなければならないと思ってはいないだろうか。
他人の意見や行動——他人が言う「普通」に従っているだけではないか。
そこに、自分というものはあるのだろうか。
で、自分は何がしたいの?
で、自分はどうしたいの?
自問自答しているうちに、僕は他人を意識しすぎていることに気づいた。
お金を稼ぎたいのは、もちろん自身の生活のためではある。
だけど心のどこかで「お金を稼げないのは恥ずかしい」「お金を稼げる人は凄い」という固定観念に支配されていることに気が付いた。
それって結局、他人からの評価を気にしているだけではないか。
他人からの評価を気にしながら行動するのは、自分の人生じゃない。
お金のため、誰かから認められるための人生じゃない。
本当に、心から、自分のやりたいことをやるのが自分の人生だ。
なぜ僕はnoteをやっているのだろう?
――それは、自分の気づきや考えを表現したかったから。
なぜ図書館司書という仕事を僕は選んだのだろう?
――それは、図書館が好きだから。図書館に救われたから。
それらの選択に、お金も評価も、承認欲求も関係ない。
自分がやりたいからやっているだけ。
だから、生きている心地を感じるのだ。
他人は関係ない。自分は何がしたいの?
他人は関係ない。自分はどうしたいの?
「生きている意味なんてない」と落ち込むことがある。
「生きている意味」で検索しても、自分の生きている意味を見つけることは絶対にできない。
小説やエッセイを書いているとき。
図書館の本棚を整理しているとき。
つまり、何かをつくっているとき——僕は生きていると感じる。
それは僕がやりたいことだから。
やりたいことをやれているとき、人は生きている意味を見出すのだろう。
何がしたい。
どうなりたい。
つくりたい。つくる人間になりたい。
度重なる自問自答の末、僕はその答えを見出したのだった。
もう、他人の人生を生きることはやめだ。
僕はつくることで、自分の人生を生きる。
面談にしては壮大すぎるけど、それを館長に伝えよう。
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